近年、企業活動における重要なリスクの一つとして「カスタマーハラスメント(カスハラ)」への対応が挙げられます。従業員の就業環境を害するだけでなく、企業の信頼性やブランドイメージにも影響を与えるカスハラですが、その問題は単なる迷惑行為にとどまりません。特に下請事業者に対するカスハラは、独占禁止法や下請法といった「経済法」に違反する可能性を孕んでいます。

さらに重要なのは、土下座などの強要が刑事犯になることや第三者不法行為として民事賠償請求の対象になることや組織がメンバーの安全を守らないことから債務不履行の安全配慮義務違反になる可能性があって、だんだん問題が大きくなってきているのです。

本記事では、コンプライアンス研修で長年ハラスメント問題を取り上げてきた中川総合法務オフィスの視点から、カスタマーハラスメントがどのように経済法と関わるのか、そして企業がいかに対応すべきかについて解説します。法律の条文にとどまらない、社会の歪みや人間心理にまで踏み込んだ考察を通して、カスハラ問題の根源と対策への理解を深めていただければ幸いです。

コンプライアンスの広がりとカスタマーハラスメント

コンプライアンスと聞くと、「法令遵守」を思い浮かべる方が多いでしょう。その原義の通り、企業活動はまず法規範に適合している必要があります。しかし、現代のコンプライアンスは、法令遵守に加え、社会規範、倫理、社内規程など、より広範なルールや期待に応える概念へと発展しています。

ハラスメント問題は、このコンプライアンスの領域において極めて重要な位置を占めます。パワハラ、セクハラ、マタハラ、イクハラといった従来のハラスメントに加え、近年特に注目されているのがカスタマーハラスメントです。顧客や取引先といった外部の利害関係者からの、業務の適正な範囲を超えた要求や言動は、従業員の心身の健康を損ない、働く環境を著しく悪化させます。これは、法令遵守はもとより、社会規範や倫理といった観点からも許容されるものではありません。

中川総合法務オフィスでは、以前から様々なハラスメント研修を実施してきましたが、ここ数年は特にカスタマーハラスメントを重点的に取り上げています。この問題が単なる迷惑行為ではなく、企業の存立を揺るがしかねないコンプライアンス上のリスクであることを啓蒙するためです。

また、さらに深刻なのが、ペイシェントハラスメントです。医療従事者へのハラスメントは命にかかわる場合もあって熾烈です。教育現場でもモンスターペアレントの存在が前から問題化していますがそれもカスタマーハラスメントに入るでしょう。

それらは単なる弱い者いじめや妬み、ストレスによる怒り爆発等ばかりでなく複雑な社会的な背景にも切り込んで総合的に検討すべきです。

カスハラが「経済法違反」となりうるケースとは?

カスタマーハラスメントは、多くの場合、顧客や利用者から企業やその従業員に対して行われます。しかし、取引関係における「力関係」を背景に行われるカスハラは、労働問題であると同時に、経済秩序を歪める行為として「経済法」の規制対象となり得ます。特に、親事業者から下請事業者に対して行われるケースで、この経済法との関連性が顕著になります。

日本の健全な経済社会は、自由な競争と公正な取引によって支えられています。この基盤を守るための最も重要な法律が、独占禁止法と下請法です。

  1. 独占禁止法との関連:優越的地位の濫用 独占禁止法は、私的独占、不当な取引制限、不公正な取引方法を規制することで、公正かつ自由な競争を促進することを目的としています。この中の「不公正な取引方法」の一つに、「優越的地位の濫用」(独占禁止法第19条、一般指定第14項)があります。これは、自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、相手方に不利益を与える行為を指します。
    公正取引委員会が示す「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」などによれば、優越的な地位とは、取引相手にとって、継続的な取引を行う場合に、相手方からの取引の停止等により事業経営上著しい影響を受けるおそれがあるといった、取引相手が事業者に対して著しく弱い立場にあることをいいます。そして、優越的な地位にある事業者が、取引に関連して、相手方の従業者に対し、通常の商慣習に照らして不当な行為(例えば、私的な用務への動員、長時間の拘束を伴う接待の強要など)を行うことも、優越的地位の濫用として問題となりうると示唆されています。
    カスタマーハラスメントの定義の一つとして、利害関係者(取引先、施設の利用者、顧客など)が、業務の適正な範囲を超えた要求や言動を行い、それによって労働環境が悪化することが挙げられます(これは、厚生労働省が示すパワハラ等の定義とも共通する要素を含んでいます)。
    もし、この「利害関係者」が、取引上の優越的な地位にある場合、そのカスハラ行為はまさに「優越的地位の濫用」に該当する可能性があるのです。取引上の力関係を利用した理不尽な要求や人格否定、威圧的な言動などは、従業員の労働環境を害するだけでなく、取引相手である企業の事業活動にも不当な不利益を与える行為だからです。
  2. 下請法との関連:親事業者の遵守義務違反 下請法(下請代金支払遅延等防止法)は、親事業者による下請事業者に対する不公正な取引を規制し、下請事業者の利益を保護することを目的としています。下請法は、特定の取引(製造委託、修理委託、情報成果物作成委託、役務提供委託)において、親事業者が下請事業者に対して行うことを禁止する様々な行為を定めています(下請法第4条)。 具体例として、下請事業者に対する「値引き要求」、「無償サービスの強要」、「無理な納期での要求」、「圧力的な言動」などは、まさに下請法第4条が禁止する親事業者の行為に該当する可能性があります。
    • 値引き要求: 下請代金の減額(第4条第1項第3号)に該当し得ます。当初決定した価格を後から一方的に引き下げる行為は不当です。無償サービスの強要: 下請事業者の意に反して、親事業者のために経済上の利益を提供させること(第4条第2項第6号「不当な経済上の利益の提供要請」)に該当し得ます。かつて報道されたような、取引先企業の従業員に自社の草むしりや清掃、ワックスがけ等を無償で行わせる行為は、まさにこれにあたります。無理な要求(納期等): 受領拒否(第4条第1項第1号)や、下請事業者の責めに帰すことのできない理由によるやり直し(第4条第2項第4号)につながる不当な要求、あるいは合理的な理由なく下請事業者に著しく不利益を与える行為(第4条第2項第7号「不当な行為」として、公正取引委員会規則で定めるもの。例えば、発注内容を頻繁かつ一方的に変更し、下請事業者に混乱や追加負担を生じさせる行為など)に該当し得ます。通常1週間かかる作業を3時間で強要するなど、物理的・時間的に不可能な、あるいは著しく困難な納期での納入を求める行為は、この範疇に入る可能性が高いでしょう。圧力的な言動: 直接的に上記の禁止行為に結びつかなくとも、取引上の優位な地位を利用した威圧的な言動や、下請事業者に精神的な苦痛を与え、正常な取引関係を阻害する行為は、他の不当な行為(第4条第2項第7号)として問題視される可能性があります。特に、上記の不当な要求等とセットで行われる場合、下請事業者が断れない心理状況を作り出すため、より悪質性が高まります。
    このように、親事業者から下請事業者へのカスハラ行為は、独占禁止法上の優越的地位の濫用、または下請法上の親事業者の遵守義務違反となる具体的なリスクを伴います。公正取引委員会は、これらの経済法違反に対して厳しい監視を行っており、違反が認められた場合には勧告や指導、社名公表といった措置が取られます。これは、単に罰則の対象となるだけでなく、企業のレピュテーション(信用、評判)に深刻なダメージを与えます。

カスハラ・経済法リスクへの対策:強固なコンプライアンス体制の構築

カスタマーハラスメント、特に経済法違反のリスクを伴うカスハラを防ぐためには、企業は以下の観点から強固なコンプライアンス体制を構築・運用する必要があります。

  1. 法規範・倫理規範の理解促進: 独占禁止法や下請法、そして従業員の労働環境保護に関する法規(労働契約法における安全配慮義務など)についての正しい知識を役員・従業員に徹底することが基本です。しかし、法律の条文を知るだけでは不十分です。なぜこれらの法律が存在するのか、その根底にある「公正な取引」「対等な人権・人格尊重」といった倫理的な価値観への理解を深めることが不可欠です。強い立場にある者が弱い立場の者を不当に扱うことは、人間として、社会の一員として許されない行為であるという認識を共有する必要があります。
  2. 組織としての体制整備:
    • 統制環境・統制活動: 経営トップが率先してコンプライアンスを重視する姿勢を示し、組織全体で不正や不当な行為を許さない文化を醸成します。具体的な行動規範やガイドラインを策定し、周知徹底を図ります。
    • リスク評価と対応: カスハラや経済法違反が発生しうる業務プロセスを特定し、そのリスクを評価します。評価に基づき、研修の実施、チェック体制の構築、契約内容の見直しといった対策を講じます。
    • 情報管理と伝達: コンプライアンスに関する情報(懸念される行為、相談内容、発生事案など)が組織内で適切に収集・管理・伝達される仕組みを構築します。関連部署やコンプライアンス委員会が情報を共有し、迅速に対応できる体制が必要です。(かつて報道された某F企業の事例のように、重要な情報が適切な部署に伝わらないことは、組織の結束を弱め、コンプライアンス違反を助長します。)
  3. 相談・通報窓口の設置・充実: 従業員や取引先が、カスハラや不当な取引について安心して相談・通報できる窓口を設置することが極めて重要です。内部の窓口に加え、外部の弁護士等に委託した相談窓口を設置することは、匿名性の確保や公平な調査の観点から有効です。相談・通報があった場合には、プライバシーに配慮しつつ、迅速かつ誠実に事実確認と対応を行う体制が必要です。必要に応じて、外部の専門家(弁護士など)による第三者調査委員会を設置することも検討すべきです。
  4. 被害者・従業員の保護: 企業は、カスハラから従業員を守る法的・倫理的な義務を負っています(労働契約法上の安全配慮義務)。カスハラが発生した場合、被害を受けた従業員に対しては、メンタルヘルスケアを含めた適切なケアを行うとともに、必要に応じて配置転換や加害者への対応を行います。また、加害者が取引先である場合でも、毅然とした態度で臨み、従業員を守る姿勢を明確に示す必要があります。
    東京都のように、カスハラを含む第三者からのハラスメントに対する企業の対策義務を定める条例も存在しており(東京都ハラスメント防止対策条例)、企業が講ずべき対策の重要性は高まっています。加害者が従業員等に対する関係で不法行為責任(民法第709条)を負う可能性や、企業が安全配慮義務違反として債務不履行責任(民法第415条)を問われる可能性も十分に理解しておく必要があります。

カスタマーハラスメントへの国や地方公共団体の対応状況

カスタマーハラスメント(カスハラ)に対して、国は労働施策総合推進法に基づき、企業にカスハラ対策を義務付ける案を検討しており、地方公共団体では、条例制定や相談窓口の設置など、より具体的な対策を講じている.

(1)国の対応:

  • 厚生労働省は、労働政策審議会雇用環境・均等分科会において、企業にカスハラ対策を義務付ける案を示し、了承されました.
  • 具体的には、労働施策総合推進法に基づき、カスハラに関する指針が示されることになります.
  • この改正により、カスハラ対策は法的な強制力を持つ義務として位置付けられました.
  • 企業には、相談窓口の設置や対応体制の整備、従業員研修の実施など、具体的な防止措置が求められています.

(2)地方公共団体の対応:

  • 東京都、北海道、群馬県では、カスハラ防止条例が施行され、全国で初めて都道府県レベルでの条例制定となりました.
  • カスハラ防止条例は、顧客等からの暴言や脅迫、不当な要求といった著しい迷惑行為から従業員を守り、誰もが安心して働ける環境を確保することを目的としています.
  • その他、地方公共団体では、相談窓口の設置や、カスハラ防止に関する啓発活動なども行われています.
  • 三重県桑名市は、カスハラ対策として全国で初めて、悪質な加害者の氏名を公表できる条例を制定しました。​この条例は2025年4月1日に施行。

結び:社会の歪みを正し、健全な関係を築くために

カスタマーハラスメント、そしてそれが引き起こす経済法上の問題は、単に法的な問題を指摘するに留まらず、現代社会における人間関係や取引のあり方に潜む歪みを浮き彫りにします。力を持つ者がその力を濫用し、弱い立場にある者を苦しめるという構造は、法律や経済といった領域を超え、哲学や倫理といった人文科学の領域にも深く関わる普遍的なテーマです。

社会全体が健全に発展していくためには、一人ひとりが自己の言動を律し、相手の尊厳を尊重する姿勢を持つこと、そして組織が従業員や取引先を守り、公正な取引関係を築く努力を怠らないことが不可欠です。

中川総合法務オフィスでは、相続や著作権といった専門分野に加え、企業のコンプライアンス体制構築やハラスメント対策に関する豊富な経験を有しております。今回のテーマのような、カスタマーハラスメントと経済法が交錯する問題についても、法的な側面だけでなく、組織文化の醸成や倫理観の浸透といった多角的な視点から、実践的なサポートを提供しております。ハラスメント対策を含むコンプライアンス研修等にご関心がありましたら、ぜひお気軽にご相談ください。

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