生成AIの急速な普及と著作権法の岐路

生成AIの普及は、著作権法における根本的な問題を顕在化させている。2018年に制定された著作権法第30条の4は、AI技術の発展を見据えた「柔軟な権利制限規定」として導入されたが、現在の生成AI技術の飛躍的な進展を完全には予測していなかった。本稿では、コンプライアンスの専門家として、著作権法学会の議論や文化庁の「考え方」を踏まえながら、現在の法制度が抱える本質的な問題を論じる。

著作権法第30条の4の構造と問題点

著作権法第30条の4は、著作物の表現を「享受」することを目的としない利用、特に情報解析のための利用について、原則として著作権者の許諾なく著作物を利用できると定めている。この規定には「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない」という但し書きが付されているが、本文と但し書きは主従関係になく、実質的にはフェアユース規定に近い性質を持つ。

特に第2号では、「情報解析の用に供する場合」について、「いずれの方法によるかを問わず利用することができる」と規定している。この条文は、情報解析・情報分析のためであれば著作物を自由に使用できるという、極めて寛容な姿勢を示している。しかし、著作物の財産的価値を利用しないという前提が、現実の生成AI市場では大きく崩れている。

文化庁の「考え方」とその限界

文化庁は、文化審議会著作権分科会法制度小委員会において、生成AIと著作権に関する議論を行い、2024年3月15日に「AIと著作権に関する考え方について」を取りまとめた。この「考え方」は、現行の著作権法がAIとの関係でどのように適用されるかについての一定の指針を示すものである。

生成AIによる著作物の利用は、「開発・学習段階」と「生成・利用段階」という2つの段階に分けて考える必要がある。開発・学習段階では主にAI事業者が関係し、生成・利用段階では主に利用者が関係する。

しかし、この「考え方」には重大な限界がある。まず、法的拘束力を持たないため、あくまで一つの解釈に過ぎない。民主主義国家において、行政機関の見解が法律そのものではない以上、最終的な判断は司法に委ねられる。また、両論併記が多く、曖昧な表現が散見される点も指摘せざるを得ない。

機械学習に関する論点

現在の著作権法学会でも議論されている主要な論点は以下の通りである。

著作権法第30条の4の基本的解釈

非享受目的で情報解析を行う場合、原則として著作権者の許諾なく著作物を利用できる。しかし、この「非享受目的」が享受目的と併存している場合の問題が存在する。実際のAI開発では、このような併存状態が多数存在すると考えられる。

但し書きの「不当に害する場合」の解釈

「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」とはどのような場合かについて、条文は具体的な基準を示していない。これは実質的にフェアユース規定と同様の性質を持つが、日本は判例法の国ではないため、判例の蓄積による解釈の明確化には限界がある。

また、日本の司法制度の利便性の低さも問題である。訴訟に持ち込めば1年から2年を要することは珍しくなく、その間に依頼者が病気になったり亡くなったりする事例も存在する。このような状況では、司法による迅速な権利救済は期待できない。

生成及び利用段階における著作権侵害の可能性

類似性と依拠性の判断

従来の著作権侵害の判断基準である「類似性」と「依拠性」が、生成AIの文脈でどのように適用されるべきかという問題がある。日本の著作権法は、アイデアと表現の二分論を採用しており、アイデアを模倣しても著作権侵害にはならないが、表現を模倣すれば類似性の判定対象となる。

しかし、生成AIが「ジブリ風」の絵を生成するような場合、この枠組みで適切に判断できるのか疑問である。また、依拠性の立証も極めて困難である。元々学習データに含まれていたために生成されたのか、それとも学習せずに偶然類似したものが生成されたのか、判別は実質的に不可能に近い。

生成物の著作物性

生成AIを使用して作成された成果物に著作物性を認めるべきかという問題も存在する。中国での判例では、プロンプトに工夫を重ねた場合の生成物に著作物性を認める方向性が示されているが、その判断の詳細な基準は明確ではない。

文化庁の「考え方」では、プロンプトにおける創作性の程度が重要な判断要素とされているが、どの程度の創作性が必要かについての明確な基準は示されていない。

大手メディアとAI企業の訴訟

最近の動向として、極めて重要な事態が発生している。2024年6月頃から、朝日新聞社と日本経済新聞社は、生成AI企業の米Perplexity AIが自社の記事を無断で複製・保存し、AIサービスの回答に使用していたとして、2025年8月26日に東京地方裁判所に共同提訴した。両社はそれぞれ22億円、合計44億円の損害賠償を求めている。

読売新聞社も同年8月7日に著作権侵害で提訴しており、約21億6,800万円の損害賠償を求めている。これらの訴訟が和解に至る場合、その金額は1億や2億という規模ではなく、膨大な額になると予想される。

robots.txtの無視と著作権侵害

朝日新聞社と日本経済新聞社は、自社サイトに「robots.txt」による技術的措置を実施し、記事コンテンツの利用を拒否する意思表示をしたが、Perplexity AIはこれを無視してコンテンツ利用を継続していたと主張している。

この行為は、著作権法第21条(複製権)、第27条(翻案権)、第23条(公衆送信権)の侵害に該当すると両社は指摘している。さらに、虚偽の情報を新聞社名とともに表示したことにより、不正競争防止法にも抵触すると主張している。

法の蹂躙と市場の形成

このような状況は、かつてYouTubeが普及した際の状況と類似している。約20年前、YouTubeの登場により、既存の著作権法の枠組みが大きく揺らいだ。結局、既存のコンテンツ所有者は、YouTube側から一定の金銭的補償を受けることで和解する道を選んだ。

しかし、このような「破壊と創造」の名の下に法が蹂躙されることは、法治国家として看過できない。自分たちが得た利益の一部を渡すから我慢しろという態度は、公平や平等、正義という法の根本原理を無視するものである。特に京都の学問的伝統を重んじる立場からは、理論と原則に基づく厳格な議論が不可欠である。

フェアユース規定の不在という構造的問題

日本には米国のようなフェアユース規定が存在せず、個別の権利制限規定で対応する方式を採用している。著作権法第30条の4はその一環として制定されたが、生成AI市場の急速な拡大は、この個別規定方式の限界を露呈している。

但し書きの「不当に害する場合」という要件は、実質的にフェアユース規定と同様の機能を果たすことが期待されているが、具体的な判断基準が明文化されていないため、予測可能性が著しく低い。英米法系の国であれば判例の積み重ねによって解釈が明確化されるが、日本の法制度ではそのような展開は期待しにくい。

今後の課題と展望

生成AIと著作権の問題は、今後さらに複雑化すると予想される。特に以下の点が重要な論点となるだろう。

立法による対応の必要性

現行の著作権法第30条の4の但し書きの解釈だけでは対応が困難な状況が既に生じている。学習段階における著作物の利用に関して著作権者の利益を保護する方向性を取るのであれば、条文の解釈ではなく、新たな立法措置が必要である。

具体的には、学習用データの著作権者に対する補償金制度の創設や、権利者による機械的に読み取り可能な方法での事前のオプトアウト制度の導入などが考えられる。

規範的行為主体論の適用

生成物の生成・利用が著作権侵害となる場合、原則としてAI利用者が侵害の主体となるが、規範的行為主体論に基づいて、生成AIの開発事業者やサービス提供事業者が侵害の主体として責任を負う場合がある。この法理論の適用範囲が今後の裁判で明確化されることが期待される。

国際的な調和

生成AIは国境を超えて利用されるため、各国の著作権法の調和が重要である。しかし、フェアユース規定の有無など、各国の法制度には大きな差異が存在する。国際的な議論と協調が不可欠である。

結語:法治国家における原則の重要性

生成AIの発展は、確かに社会に多大な利益をもたらす可能性を秘めている。しかし、技術の進展が既存の法秩序を無視する理由にはならない。著作権法第30条の4の現在の条文では、生成AIの開発業者や提供者がやりたい放題になっている状況は否定できない。

法治国家である日本において、法の解釈権は国民に属する。文化庁の「考え方」はあくまで一つの意見であり、それを金科玉条のように扱うべきではない。民主主義と法治主義の原則に基づき、公平で正義にかなった法制度の確立が求められる。

著作権法学会での議論や今後の判例の蓄積を注視しながら、技術革新と権利保護のバランスを慎重に模索していく必要がある。記者が膨大な時間と労力を費やして取材・執筆した記事が対価なしで大量利用されることは、報道機関全体の基盤を破壊する。このような状況を放置することは、文化的創造活動の基盤そのものを危うくする。

哲学者カントが指摘したように、理性の自律的な使用こそが啓蒙の本質である。技術に対して盲目的に追従するのではなく、理論と原則に基づいた批判的思考を持ち続けることが、真に成熟した社会を構築する道である。


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代表の中川恒信は、850回を超えるコンプライアンス等の研修を担当してきた豊富な実績を持つ。不祥事組織のコンプライアンス態勢再構築の経験があり、内部通報の外部窓口を現に担当している。マスコミからしばしば不祥事企業の再発防止意見を求められる、業界内でも高い評価を得ている専門家である。

著作権法やAI関連法務を含む、幅広いコンプライアンス領域に精通しており、法律・経営の社会科学のみならず、哲学思想などの人文科学や自然科学にも深い知見を有する。理論的基盤と実務経験の両方を兼ね備えた研修は、受講者から高い評価を得ている。

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