<事例>
被相続人X(男性・会社経営者)が死亡した。Xの相続人は、長年連れ添った配偶者Yと、先妻との間の子であるZの2名である。
Xの死亡時に有していた積極財産は、居住していたマンション(価額3000万円)のみであった。その一方で、Xは会社の運転資金として銀行から1000万円の借入れをしており、これが相続債務となっていた。
Xは、生前、次のような贈与を行っていた。
- 相続開始の8年前、Zが起業する際に、その事業資金として現金5000万円を贈与した。
- 相続開始の2年前、長年にわたり献身的にXの介護をしてくれた事実婚のパートナーであったEに対し、感謝の意として、Xが所有する株式(価額3000万円)を贈与した。XとEは、この贈与によって相続人であるYとZの遺留分を侵害する可能性があることを認識していた。
以上の事実関係を前提として、遺留分侵害が生じているか、また、生じているとすれば、誰が誰に対し、いくらの遺留分侵害額を請求できるかを述べなさい。
(どうぞ読者もお考え下さい)
【解説・解答】
1. はじめに(問題の所在と法改正のポイント)
本件は、相続人である配偶者Yと子Z、そして相続人以外の受贈者Eが関わる事案で、誰に、いくらの遺留分侵害が認められるかが問題となります。
特に、2019年7月1日に施行された改正民法により、従来の「遺留分減殺請求権」(物権的効果)は、「遺留分侵害額請求権」(金銭債権)へと変わりました(民法1046条1項)。これにより、遺留分を侵害された相続人は、贈与や遺贈の目的物そのもの(不動産や株式など)の返還を求めるのではなく、侵害額に相当する金銭の支払いを請求することになります。
また、遺留分算定の基礎となる財産に含める生前贈与の範囲についても、重要な改正がありました。特に、相続人に対する贈与(特別受益)について、従前は期間の定めなくすべて算入されていましたが、改正法では相続開始前の10年間に行われたものに限定されました(民法1044条3項)。
本問では、これらの改正点を踏まえて、順を追って計算していきます。
2. 解答の筋道
遺留分侵害額を算出するためには、以下のステップで計算を行います。
- 遺留分を算定するための財産の価額(基礎財産)を確定する。
- 各相続人の遺留分額を計算する。
- 各相続人が得た財産を考慮し、遺留分侵害額を計算する。
- 遺留分侵害額請求権の相手方と、その負担額を確定する。
3. 具体的な計算
STEP 1: 遺留分を算定するための財産の価額(基礎財産)の算定
遺留分を算定するための財産の価額は、被相続人が相続開始時に有していた財産の価額に、贈与した財産の価額を加え、そこから債務の全額を控除して算定します(民法1043条1項)。
- ① 相続開始時の積極財産
- マンション:3000万円
- ② 加算する贈与(民法1044条)
- Zへの贈与(相続人への特別受益):5000万円 相続人に対する贈与のうち、婚姻もしくは養子縁組のため、または生計の資本として受けた贈与(特別受益、民法903条1項)は、相続開始前の10年間にされたものに限り、遺留分算定の基礎財産に算入されます(民法1044条3項)。本件のZへの事業資金5000万円の贈与は8年前であり、特別受益に該当するため、全額が算入されます。
- Eへの贈与(相続人以外への贈与):3000万円 相続人以外への贈与は、原則として相続開始前の1年間にされたものが算入対象となります(民法1044条1項本文)。しかし、本件のEへの贈与は2年前ですが、「当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたとき」は、1年より前の贈与であっても算入されます(同項ただし書)。 判例(大判大正11年5月29日など)によれば、この「損害を加えることを知って」とは、贈与当時、被相続人の財産状況からみて、その贈与によって将来遺留分が侵害されることを予見・認識していたことを指します。本件では、XとEが遺留分を侵害する可能性を認識していたと明記されているため、この3000万円の贈与も算入されます。
- 贈与の合計:5000万円 + 3000万円 = 8000万円
- ③ 控除する債務
- 借入金:1000万円
- ④ 基礎財産の価額
- (① 3000万円 + ② 8000万円) - ③ 1000万円 = 1億円
STEP 2: 各相続人の遺留分額の算定
遺留分額は、上記で算定した基礎財産に、民法で定められた遺留分の割合(総体的遺留分)を乗じ、それに各相続人の法定相続分を乗じて算出します。
- 総体的遺留分
- 相続人が直系尊属のみの場合を除き、基礎財産の2分の1です(民法1042条1項2号)。
- 1億円 × 1/2 = 5000万円
- 各相続人の遺留分額
- 配偶者Yと子Zの法定相続分は各2分の1です(民法900条1号、4号)。
- 配偶者Yの遺留分額: 5000万円 × 1/2 = 2500万円
- 子Zの遺留分額: 5000万円 × 1/2 = 2500万円
STEP 3: 各相続人の遺留分侵害額の算定
遺留分侵害額は、上記の遺留分額から、①その遺留分権利者が受けた遺贈または特別受益の額、および②具体的な相続分に従って取得すべき財産の額を控除して計算します(民法1046条2項)。
- 子Zの遺留分侵害額
- Zは、特別受益として5000万円の贈与を受けています。
- 自身の遺留分額(2500万円)を、受けた特別受益(5000万円)が上回っています。
- したがって、Zの遺留分は侵害されておらず、遺留分侵害額請求権を行使することはできません。
- 配偶者Yの遺留分侵害額
- Yは特別受益を受けていません。
- Yが相続により取得する財産は、相続開始時の純資産(積極財産3000万円 - 債務1000万円 = 2000万円)を、具体的相続分に応じて分配した額となります。
- 本件では、Zが5000万円の特別受益を受けているため、相続財産2000万円はすべてYが取得することになります(いわゆる「超過特別受益」)。
- Yの遺留分侵害額 = Yの遺留分額 (2500万円) - Yが相続により取得した財産 (2000万円)
以下に計算の再確認をします。
- STEP 1
- 基礎財産 = (3000万円 + 5000万円 + 3000万円) - 1000万円 = 1億円
- STEP 2:
- 総体的遺留分 = 1億円 × 1/2 = 5000万円
- Yの遺留分額 = 5000万円 × 1/2 = 2500万円
- Zの遺留分額 = 5000万円 × 1/2 = 2500万円
- STEP 3:
- 相続開始時の純資産 = 3000万円 - 1000万円 = 2000万円
- Zの遺留分侵害額: Zは特別受益(5000万円)が遺留分額(2500万円)を上回るため、侵害額は0円。
- Yの遺留分侵害額:
- Yの遺留分額: 2500万円
- Yの特別受益: 0円
- Yが相続により取得する財産:
- みなし相続財産: 2000万円 (純資産) + 5000万円 (Zの特別受益) = 7000万円
- Yの具体的相続分: 7000万円 × 1/2 = 3500万円
- Zの具体的相続分: 7000万円 × 1/2 - 5000万円 = -1500万円 → 0円
- Zは超過特別受益者なので相続分は0。Yが相続財産2000万円の全額を取得します。
- Yの遺留分侵害額 = 2500万円(遺留分額) - 0円(特別受益) - 2000万円(具体的相続分) = 500万円
STEP 4: 遺留分侵害額請求の相手方と負担額
Yは、500万円の遺留分侵害額を、受贈者であるEとZに対して請求することができます。
負担の順序と割合は民法1047条に定められています。
- まず、受遺者(遺言による受贈者)が負担します。本件にはいません。
- 次に、受贈者(生前贈与の受贈者)が負担します。贈与が複数ある場合は、後の贈与から先に負担します。
- 相続人に対する贈与(特別受益)は、他の贈与よりも最後に負担義務を負います。
本件では、受贈者はEとZです。
- Eへの贈与:相続開始の2年前
- Zへの贈与:相続開始の8年前
したがって、後の贈与を受けたEが先に全額を負担します。
- Eの負担額: Yの遺留分侵害額は500万円です。Eは3000万円の贈与を受けているため、その贈与の価額を限度として負担義務を負います。 よって、Eが500万円全額を負担します。
- Zの負担額: Eが全額を負担できるため、Zに請求が及ぶことはありません。
4. 結論
- 遺留分侵害が生じているのは、配偶者Yについてであり、その侵害額は500万円である。
- 子Zについては、受けた特別受益の額が自身の遺留分額を上回っているため、遺留分侵害は生じていない。
- Yは、遺留分侵害額である500万円の金銭の支払いを、受贈者Eに対して請求することができる。