相続の現場では、故人の財産が確定し、相続人による遺産分割協議が成立するまでに、時として長い年月を要することがあります。では、その間に、もし遺産の一部が第三者の手に渡っていたり、預貯金が減少していたりした場合、遺産分割協議の効力は、そうした第三者に対しても及ぶのでしょうか。たとえば、故人の死後10年を経て遺産分割が成立した際、すでに不動産が売却されていたり、預金が使われていたりした場合、その不動産の返還や使途不明金の返済を、第三者に求めることはできるのでしょうか。

この問いは、民法が定める「遺産分割の遡及効」と「第三者保護」という、一見すると相反するかに見える二つの原則が交錯する、極めて重要なテーマです。中川総合法務オフィスでは、これまで京都・大阪を中心に1000件を超える相続無料相談を通じて、こうした複雑な事案に数多く向き合い、解決に導いてまいりました。本稿では、この問題について、法的な観点から深く掘り下げて解説いたします。


1. 遺産分割の遡及効と第三者の保護:民法の精神を読み解く

まず、遺産分割の効果に関する民法の基本的な考え方を見ていきましょう。

遺産分割の「遡及効」とは

民法第909条は、遺産分割の原則として「遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。」と定めています。これを「遡及効(そきゅうこう)」と呼びます。

これは、たとえ相続開始から長い時間が経って遺産分割協議が成立したとしても、その分割の結果は、あたかも相続が開始された時点ですでにそのように分割されていたかのように扱われる、ということを意味します。この規定は、共同相続人が遺産を共有している状態を早期に解消し、各相続人が単独で財産を取得した状態を、法的に安定させるためのものです。

例えば、父が亡くなり、長男と次男が相続人となったとします。父の死から1年後に遺産分割協議が成立し、長男が特定の不動産を、次男が預貯金を取得することになった場合、遡及効により、長男はその不動産を、次男はその預貯金を、父が亡くなった時点から所有していたものとみなされるのです。

「第三者の権利を害することはできない」というただし書きの重要性

しかし、民法第909条には、重要なただし書きが設けられています。それは、「ただし、第三者の権利を害することはできない。」という一文です。

このただし書きは、遡及効の原則を無制限に適用することによって、遺産分割とは全く関係のない、善意の第三者に不測の損害を与えることを防ぐための、非常に重要な規定です。

相続実務の現場では、この「第三者の権利を害することはできない」という原則が具体的にどのように適用されるかが、しばしば問題となります。特に、相続財産中の不動産については、その登記の有無が第三者への対抗要件として非常に重要になります。


遺産分割後の対抗問題:登記の重要性

最高裁判所は、昭和46年1月26日の判決において、次のように判示しています。

「相続財産中の不動産につき、遺産分割により相続分と異なる権利を取得した相続人は、登記を経なければ、分割後に当該不動産につき権利を取得した第三者に対し、自己の権利の取得を対抗することができない。」

これは、相続人同士で遺産分割協議が成立し、特定の不動産を相続することになったとしても、その旨の登記(相続登記)を完了していなければ、その不動産を遺産分割後に取得した第三者に対して、「私がこの不動産の所有者だ」と主張することができない、ということを意味します。

例えば、相続人Aが遺産分割により特定の土地を単独で取得したとします。しかし、Aが登記をする前に、相続人Bがその土地を第三者Cに売却してしまった場合、Aは登記がなければCに対して、自分が真の所有者であると主張することはできません。

この原則は、不動産取引の安全性を確保し、登記制度の信頼性を維持するために不可欠なものです。


2019年改正民法による明文化と、より明確化された対抗要件

上記最高裁判例の考え方は、2019年に施行された改正民法によって、さらに明確に条文に盛り込まれました。

民法第899条の2(共同相続における権利の承継の対抗要件)

  • ① 相続による権利の承継は、遺産の分割によるものかどうかにかかわらず、次条及び第九百一条の規定により算定した相続分を超える部分については、登記、登録その他の対抗要件を備えなければ、第三者に対抗することができない。
  • ② 前項の権利が債権である場合において、次条及び第九百一条の規定により算定した相続分を超えて当該債権を承継した共同相続人が当該債権に係る遺言の内容(遺産の分割により当該債権を承継した場合にあっては、当該債権に係る遺産の分割の内容)を明らかにして債務者にその承継の通知をしたときは、共同相続人の全員が債務者に通知をしたものとみなして、同項の規定を適用する。

この改正により、遺産分割によって法定相続分を超えて権利を取得した場合、その部分については、不動産であれば登記、預貯金などの債権であれば債務者への通知といった対抗要件を備えなければ、第三者に対して自己の権利を主張できないことが、法律で明確に定められました。これは、法的な安定性と予測可能性を高める上で非常に重要な改正と言えます。


権限なく使われた預金は不当利得に

では、もし遺産分割協議が成立する前に、一部の相続人が他の相続人の同意なく、故人の預金を引き出して使ってしまった場合はどうなるのでしょうか。

このようなケースでは、「無権利法理」が適用され、権限なく使われた預金については、その分を返還すべきであると考えられます。これは、法律上の原因なく他人の財産によって利益を得た者は、その利益を返還しなければならないとする不当利得の考え方に基づきます。

したがって、たとえ遺産分割協議が後から成立したとしても、それ以前に一部の相続人が不当に費消した預金については、その相続人に対して返還を求めることが可能です。


遺産分割前の財産処分に関する明文化された規定

相続開始から遺産分割までの間に、相続財産が処分されてしまうケースは少なくありません。例えば、相続人の一人が勝手に故人の車を売却してしまったり、貴重品を処分してしまったりするような場合です。このような事態に対処するため、2019年の民法改正で以下の条文が追加され、実務上の運用がより明確になりました。

民法第906条の2(遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合の遺産の範囲)

  • 遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合であっても、共同相続人は、その全員の同意により、当該処分された財産が遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことができる。
  • 2 前項の規定にかかわらず、共同相続人の一人又は数人により同項の財産が処分されたときは、当該共同相続人については、同項の同意を得ることを要しない。

この規定により、たとえ遺産分割前に財産が処分されてしまっても、相続人全員の合意があれば、その財産が依然として遺産として存在するものと「みなす」ことができるようになりました。これにより、処分された財産の評価額を遺産総額に含めて遺産分割を行うなど、より柔軟な対応が可能になります。

また、共同相続人の一人または数人が財産を処分した場合、その処分をした相続人については、他の相続人の同意なしに、処分された財産を遺産とみなすことができるようになっています。これは、不当な財産処分を抑制し、公平な遺産分割を実現するための重要な規定です。


分割前の預貯金引き出しの明文化と金融機関の指針

相続発生後、相続人が葬儀費用や当面の生活費に充てるため、故人の預貯金を引き出したいというニーズは非常に高いものです。しかし、これまでは共同相続人全員の同意がなければ金融機関が預貯金の払い戻しに応じないケースが多く、相続人にとって大きな負担となっていました。

この問題を解決するため、2019年の民法改正で以下の規定が新設され、遺産分割前でも一定額の預貯金を引き出せるようになりました。

民法第909条の2(遺産の分割前における預貯金債権の行使)

  • 各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の三分の一に第九百条及び第九百一条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については、単独でその権利を行使することができる。この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。

これにより、各相続人は、法定相続分に応じた一定の範囲内で、単独で故人の預貯金を引き出すことができるようになりました。具体的な限度額は、金融機関ごとに法務省令で定められていますが、一般的には、1つの金融機関につき150万円が上限とされています。

この規定は、遺された家族が当面の生活に困らないようにするための、実用的な配慮がなされた画期的な改正と言えるでしょう。各金融機関もこの規定に基づき、預貯金払い戻しに関する具体的な指針を定めていますので、詳細は各金融機関の窓口または当サイトの別稿(準備中)をご参照ください。


2. 共同相続人間の担保責任:公平な遺産分割の実現のために

遺産分割協議によって、ある相続人が取得した財産に、後から何らかの欠陥が見つかったり、債権が回収不能になったりした場合、その損失をどのように扱うべきでしょうか。民法は、共同相続人間の公平を図るため、「担保責任」という制度を設けています。

「売主と同じく、その相続分に応じて担保の責任を負う」原則

民法第911条は、共同相続人間の担保責任の基本原則を定めています。

民法第911条(共同相続人間の担保責任)

  • 各共同相続人は、他の共同相続人に対して、売主と同じく、その相続分に応じて担保の責任を負う。

これは、遺産分割によってある財産を取得した相続人に対し、その財産に隠れた瑕疵(欠陥)があったり、第三者との間で権利に関する争いが生じたりした場合、その損害について、他の共同相続人が、あたかも売主であるかのように、自身の相続分に応じて責任を負うというものです。

例えば、遺産分割によって特定の土地を取得した相続人が、後になってその土地に土壌汚染が判明し、その除去費用が発生した場合、他の共同相続人も自身の相続分に応じてその費用を負担する責任を負う可能性がある、ということです。これは、遺産分割が共同相続人全員の合意によって成立するものである以上、個々の財産に関するリスクも共同で分担すべきという公平の理念に基づいています。


債権に関する担保責任:債務者の資力を担保する

遺産には、不動産や預貯金だけでなく、故人が持っていた第三者への貸付金などの「債権」も含まれることがあります。遺産分割によって特定の債権を取得した相続人は、もしその債権が後から回収不能になった場合、どうなるのでしょうか。

民法第912条(遺産の分割によって受けた債権についての担保責任)

  • 各共同相続人は、その相続分に応じ、他の共同相続人が遺産の分割によって受けた債権について、その分割の時における債務者の資力を担保する。
  • 2 弁済期に至らない債権及び停止条件付きの債権については、各共同相続人は、弁済をすべき時における債務者の資力を担保する。

この規定は、共同相続人が遺産分割によって債権を取得した場合、他の共同相続人は、その債権の「資力(支払い能力)」を、各自の相続分に応じて担保する責任を負うことを定めています。

つまり、遺産分割時に「この債権は間違いなく回収できる」と考えていたにもかかわらず、後になって債務者が破産するなどして回収不能になった場合、その債権を取得した相続人は、他の相続人に対して、その損失の一部を負担するよう求めることができる可能性がある、ということです。


資力のない共同相続人がある場合の分担

もし、担保責任を負うべき共同相続人の中に、その責任を果たすだけの資力がない者がいた場合はどうなるのでしょうか。

民法第913条(資力のない共同相続人がある場合の担保責任の分担)

  • 担保の責任を負う共同相続人中に償還をする資力のない者があるときは、その償還することができない部分は、求償者及び他の資力のある者が、それぞれその相続分に応じて分担する。ただし、求償者に過失があるときは、他の共同相続人に対して分担を請求することができない。

この条文は、万が一、責任を負うべき相続人が支払能力を欠いている場合でも、その損失が他の資力のある相続人や求償者(損失を被った相続人)によって、各自の相続分に応じて公平に分担されることを定めています。ただし、損失を被った相続人自身に過失があった場合には、他の相続人に分担を請求することはできない、というただし書きも付されています。


遺言による担保責任の定め

これらの担保責任に関する規定は、原則として適用されますが、被相続人が遺言によって異なる意思を表示していた場合は、その遺言の内容が優先されます。

民法第914条(遺言による担保責任の定め)

  • 前三条の規定は、被相続人が遺言で別段の意思を表示したときは、適用しない。

これは、故人が遺言によって、特定の財産に関する担保責任の負担割合を定めたり、特定の相続人には担保責任を負わせないといった意思を表明したりすることが可能であることを意味します。


まとめ:相続は「人」と「法」が織りなす複雑な営み

遺産分割協議の効力が第三者に及ぶか否かという問題は、一見すると法律論に終始するように思えますが、その根底には、個人の財産権の尊重、取引の安全性の確保、そして共同相続人間の公平という、法哲学の深い理念が横たわっています。中川総合法務オフィス代表は、長年の実務経験と、法律・経営学といった社会科学に加え、哲学・思想といった人文科学、さらには自然科学に至るまで、幅広い学問分野への深い洞察を通じて、これらの複雑な問題を多角的に捉え、最適な解決策を導き出すことを使命としております。

相続は、単に財産を分ける行為にとどまりません。故人の想いを繋ぎ、遺された家族が新たな一歩を踏み出すための、大切なプロセスです。その過程で生じる様々な疑問や不安に対し、私たちは法的な専門知識だけでなく、人生経験に裏打ちされた深い教養と洞察力をもって、皆様に寄り添い、最善の道筋を共に探求してまいります。

相続に関するお悩みは、些細なことでもお気軽にご相談ください。当オフィスでは、初回30分~50分の無料相談を、ご自宅、病院やホームなどの施設、面談会場、またはオンラインにて承っております。

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