はじめに――「現場の問題」を「経営の問題」に引き上げる視点

コンプライアンス研修を建設会社で実施してきた経験から、一つの構造的な課題が見えてくる。現場の職員は「法律は経営陣の話」と思い、経営陣は「現場の問題は担当者に任せている」と言う。双方が「自分の問題ではない」と思っているうちに、誰も責任を取らない状態で不祥事が積み重なる。

「建設業の不祥事はなぜ起きるのか」で論じたように、建設業の不祥事の多くは個人の突発的な逸脱ではなく、組織構造と文化の問題として生まれる。その組織構造と文化を決定的に規定するのが経営トップの姿勢だ。

しかし「トップコミットメントが大切」という言葉は空虚になりやすい。本稿では、経営層のコンプライアンス責任を「精神論」ではなく「法的義務」「組織設計上の責任」「実践的行動」という三つの軸で具体的に論じる。


経営層の法的義務①――会社法第362条の内部統制構築義務

建設業の経営者がコンプライアンスに責任を持つ根拠は、道徳的な要請だけではない。会社法は取締役会設置会社において、取締役会が「取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備」を決定しなければならないと定めている(会社法第362条第4項第6号)。

従業員の法令遵守意識を高めることがコンプライアンス経営なのではなく、経営陣が適正かつ健全な事業活動をしていくための仕組みを作ることがコンプライアンス経営の本質だ。取締役には、取締役の職務や会社の業務の適正を確保するために必要な体制を構築する義務があること(会社法第362条第4項第6号)に留意しなければならない。

つまり、コンプライアンス体制を「担当者に任せる」ことは、取締役の義務を果たしていないことと同義だ。体制を整備するか否かの意思決定そのものが、取締役の法的義務の対象となっている。

この義務は、取締役会非設置会社(多くの中小建設会社が該当)にも、会社法第348条第3項第4号により代表取締役・取締役が同様の責任を負う形で準用される。規模の大小にかかわらず、経営トップがコンプライアンス体制の整備について責任を負うことは法が定めるところだ。


経営層の法的義務②――建設業法上の法定要件

建設業法は許可要件の一つとして「常勤役員等」に一定の経営経験を求めることで、建設業の経営に業知識を持つ経営者が実質的に関与することを制度的に担保している。

「常勤」とは、原則として本社・本店等において休日その他勤務を要しない日を除き一定の計画の基に毎日所定の時間中、その職務に従事していることをいう。

この「常勤性」の要件は、名目上の経営者ではなく実質的に経営に関与する人物が許可主体の中枢に存在することを求めている。形式的に役職に就いているだけで実態を伴わない「名義貸し」的な経営体制は、許可要件違反として許可取消の対象となりうる。

さらに、建設業法は法人処罰を定める両罰規定(建設業法第53条)を置いている。法人の代表者または法人・人の代理人・使用人・その他の従業者が建設業法上の違反行為を行った場合、行為者を罰するほか、その法人または人に対しても罰金刑が科される。経営者自らが違反行為を指示・黙認した場合はもちろん、「知らなかった」という場合も、相当の注意を払わなかったとして処罰対象となりうる。


建設業特有の経営責任――建設業法違反における経営者の刑事責任

建設業法違反の中には、経営者が直接問われうる刑事責任が存在する。

例えば、建設業法第47条は「三年以下の拘禁刑又は三百万円以下の罰金」という重い刑罰を定めており、対象となる行為は無許可営業・名義貸し・一括下請(丸投げ)等だ。これらの行為が経営判断として行われた場合、経営者自身が刑事訴追の対象となる。

また、建設工事の施工中に重大な労働災害が発生した場合、元請の経営者・管理責任者は労働安全衛生法上の安全配慮義務違反として刑事責任を問われる可能性がある。「安全事故と経営責任」で詳論したとおり、最高裁は元請企業の安全配慮義務を広く認めており、現場から遠い経営者であっても体制上の不作為を問われうる。


COSOモデルにおける「統制環境」――経営者の姿勢が組織のトーンを決める

「内部統制崩壊のケース」でCOSOモデルの5要素を論じた。その第一要素である「統制環境(Control Environment)」は、内部統制の基盤であり、組織の倫理観・誠実性・経営哲学・権限と責任の割り当て・人材管理方針が含まれる。

COSOモデルが「統制環境」を第一要素に置く理由は明確だ。経営トップがコンプライアンスを軽視する姿勢を見せれば、その雰囲気は組織全体に伝播し、どれだけ精巧なルールを整備しても機能しない。逆に、経営トップが「コンプライアンスは経営の根幹だ」という姿勢を言葉と行動で示し続ければ、組織の判断基準が変わる。

ビッグモーターの事案を分析すると、経営トップの「数字を上げれば手段を問わない」という姿勢が組織全体のトーンを決め、現場レベルでの不正を黙認・助長する文化が生まれていた。建設業においても、「工期に間に合わせることが最優先」「違反があっても受注を取ることが大事」という経営トップのメッセージは、現場の判断を歪める。

不祥事の発生を予防するためには、不祥事の情報が迅速的確に経営陣に上がってくるような仕組みを作ることが重要だ。不祥事情報がすぐに経営陣に知らされるという体制が機能すると、不正・不祥事の抑制に機能するとともに、経営に対する打撃を必要最小限に食い止めることができる。

この「情報が経営陣に届く仕組み」の設計もまた、経営者の責務だ。


トップコミットメントの実践――「言葉」から「仕組み」へ

「コンプライアンスを徹底する」という経営者の発言は必要条件だが十分条件ではない。コンプライアンス研修で最も確認したいのは、「経営者のメッセージが組織に届いているか」ではなく「経営者の行動が組織のコンプライアンスを担保する仕組みを作っているか」だ。

具体的に経営者がとるべき行動は以下の四つに集約される。

第一に、コンプライアンス体制の整備への資源投入だ。コンプライアンス研修の予算・外部専門家の活用・内部通報制度の整備は、経営者が承認・決定しなければ実現しない。「担当者に任せる」ではなく、経営者自身がこれらを経営計画に組み込むことが「仕組みとしてのコミットメント」だ。

第二に、コンプライアンス情報の経営会議への定期的組み込みだ。内部監査の結果・行政からの指摘・建設Gメンによる調査の内容を、経営会議の定期的な議題として扱う。これにより、コンプライアンスが「特別なイベント」ではなく「日常的な経営判断の一要素」となる。

第三に、短期的利益とコンプライアンスが衝突したときの経営判断の姿勢だ。「今回は受注のために見逃してくれ」「この件は黙っておいてくれ」という経営判断を一度でも下せば、現場はその判断を「経営者の本音」として学習する。コンプライアンスを優先した判断を経営者自身が示す場面を積み重ねることが、組織文化の形成につながる。

第四に、コンプライアンス違反への対応の一貫性だ。不祥事の発生防止には属人的な方策と組織的な方策とがあり、いずれも重要だ。役職員に対する研修や啓発を通じて個人の自覚を高めることによって不祥事を防止することは属人的な方策として重要だが、これだけしか行っていない会社もあり、それでは不十分だ。どんなに個人の自覚を高めても「魔が差す」「つい、うっかりする」ということはある。このようなことを極力起こさないようにするのが組織的な方策だ。 Tekitori


全国建設業協会「建設企業(団体)行動憲章」

全国建設業協会が平成27年2月に制定した「建設企業(団体)行動憲章」では、法令の遵守について規定するとともに、その周知・徹底についても定めている。各企業においても、最新の情報収集や講習受講を通じて、法令遵守体制の整備や役職員・協力会社等のコンプライアンス意識の維持・向上に努めるよう求めている。

業界団体の行動憲章は自社のコンプライアンス方針を策定する際の参照基準となる。重要なのは憲章の策定・採択ではなく、それを自社の方針に落とし込み、役職員・協力会社への周知徹底のための具体的な行動計画を持つことだ。


不祥事発生後の経営責任――初動が経営的ダメージを左右する

建設業で不祥事が発覚した後の初動対応は、その後の処分の重さ・取引先への影響・社会的信用の毀損の程度を大きく左右する。

再発防止策を策定するうえで重要なのは、不正に関する表面的・直接的な事実関係だけではなく、不正の行われた原因・背景の分析まで行うことだ。特に不正が大規模で組織的な場合や、経営陣や管理職の関与が大きい場合には、不正が行われるに至った背景として当該企業のガバナンス・コンプライアンス・内部統制上の問題・企業風土等についても調査分析する必要がある。

「個人の問題」として処理し、組織的な原因分析を行わずに再発防止策を形式的に提出した場合、第三者・行政・取引先の信頼は回復しない。経営者が自ら原因分析に関与し、再発防止策の実効性に責任を持つ姿勢を示すことが、処分後の信頼回復の起点となる。


まとめ

建設業経営層のコンプライアンス責任は、道徳的要請にとどまらない。会社法は取締役に内部統制体制の構築を義務付け、建設業法は常勤役員等要件と両罰規定によって経営者の実質的関与を制度的に求めている。

COSOモデルが「統制環境」を内部統制の第一要素に置くように、コンプライアンスの質は経営トップの姿勢と行動によって決まる。「現場の問題は担当者に」という経営スタイルは、組織的な法令遵守体制を構築する義務を履行していないことと同義であり、不祥事発生時には経営者自身が問われる。

コンプライアンス体制を「コスト」ではなく「経営インフラ」と位置づけ、資源投入・情報収集・意思決定への組み込みという具体的な行動で示すことが、元請ゼネコンとして持続可能な事業経営の基盤となる。

中川総合法務オフィスでは、建設会社の経営者向けコンプライアンス研修・内部統制体制の整備支援・外部コンプライアンス顧問を行っております。経営者向けのエグゼクティブ研修にも対応いたします。初回相談は無料です。お問い合わせはこちら

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