はじめに - 遺言実務の現状と課題

現代の相続実務において、遺言書の作成から執行に至るまでの過程は、法改正による大きな変化を経験しています。特に2020年に全面施行された相続法改正以降、遺言の効力をめぐる問題が複雑化し、「遺言破り」という現象が実務上深刻な課題となっています。

京都・大阪を中心に1000件を超える相続無料相談を実施してきた実務経験から、遺言が「破られる」という現象の実態と、その対策について包括的に解説いたします。さらに、2024年4月に施行された相続登記義務化の影響も踏まえ、現在の遺言実務における最新の課題と対策を詳述します。

1. 遺言が破られる現実 - 実務から見た深刻な問題

1.1 公正証書遺言でさえも有効性が争われる現状

公正証書遺言は「最も確実な遺言」と言われながらも、実際には有効性をめぐって訴訟に発展するケースが増加しています。特に認知症の進行過程で作成された遺言書については、遺言能力の有無が争点となり、医学的証拠に基づく複雑な立証が必要となります。

実務においては、遺言作成時の医師の診断書、介護記録、ケアマネージャーの証言など、多角的な証拠収集が不可欠となっています。しかし、これらの証拠が十分でない場合、公正証書遺言であっても無効とされるリスクが存在します。

1.2 複数の自筆遺言書による混乱の拡大

自筆証書遺言の場合、遺言者が複数回にわたって遺言書を作成し、それぞれ異なる内容を記載することで、相続人間で深刻な紛争が発生するケースが後を絶ちません。特に、遺言者の意思能力が低下する過程で作成された複数の遺言書については、真正性の判断が極めて困難となります。

このような状況下で、相続人は自分に有利な遺言書のみを主張し、不利な遺言書については隠匿や破棄を図るという事態も現実に発生しています。

1.3 法定相続人全員の合意による遺言の「反故」

法定相続人全員の合意があれば、遺言の内容に反する遺産分割協議を行うことが可能とされています。しかし、この場合でも重要な制限があります。

できない場合の代表例:受遺者が法定相続人以外の場合

実際に当事務所で経験した苦渋の事例として、故人が生前お世話になった近隣の方に財産の一部を遺贈する旨の遺言を残していたにもかかわらず、法定相続人全員が「家族以外には渡したくない」として、遺言執行を妨害しようとしたケースがありました。

判例では、「遺言の内容が相続分および分割方法の指定である場合は、遺産分割協議が遺言執行者の遺言の執行を妨げるものでないのであるから、遺言執行者には遺産分割協議の内容に立ち入る権利も義務もなく、遺言執行者には遺産分割協議の無効を確認する利益は認められない」とするものがあります(東京地判平成10年7月31日、控訴審の東京高判平成11年2月17日も同旨)。

しかし、この判例の立場では、声の大きい相続人が得をする結果となってしまいます。遺言の効力を薄める法律論を展開することは、そもそも自分の財産をどのように処理するかは本人の自由である憲法29条の財産権保障の観点から、深い疑問を禁じ得ません。

対策:家族信託と専門家の遺言執行者選任

このような事態を防ぐためには、改正信託法に基づく家族信託制度の活用や、第三者的な法律専門家で相続実務に精通した適任者を遺言執行者に選任しておくことが不可欠です。

1.4 遺言書の事実上の発見されない問題

自筆証書遺言の紛失・隠匿リスク

自筆証書遺言の場合、原本が1通しかないため、本や書類の間に挟まって行方不明になりやすいという根本的な問題があります。また、公正証書遺言であっても、手元に正本や謄本がない場合、相続人がわざわざ公証役場に問い合わせなければ、事実上遺言は存在しないことになります。

さらに深刻なのは、死後に自筆証書遺言を相続人が発見した際、内容を読んで自分に都合が悪いことが書かれていた場合、ひそかに破棄・隠匿するという行為です。自筆証書遺言であれば、「一」から「二」に書き換えるなど、改ざんも比較的容易です。

法務局における遺言書保管制度の現状と課題

このような問題を解決するため、2020年7月から「法務局における遺言書の保管等に関する法律」が施行されました。制度開始当初は毎月1400件~2000件程度の申請がありましたが、現在はやや減少傾向にあります。下記の図解資料をご覧ください。

参考として、家庭裁判所での検認も同程度の件数ですが、公正証書遺言は毎月1万件弱と圧倒的に多く、法務局保管制度の普及はまだ十分とは言えない状況です。

実務上の課題

京都地域での実務経験として、この制度を利用する際の課題として、通常の登記業務で利用している嵯峨野出張所などでは取り扱いができず、河原町荒神口の法務局本局まで行く必要があります。交通費だけでも相当な負担となり、高齢者には物理的に困難な場合があります。過日も遺言者とその家族で行きましたが、かなり高齢者には負担です。

繰り返しになりますが、しかしながら、実務上は一体誰が、相続人の情報を取得し、保管法務局に提供するのか。相続人であれば他の相続人の情報を入手できるだろうが、第三者である受遺者や遺言執行者等は、現行の法制度では相続人の情報(戸籍謄本や附票、除籍謄本など)を取得することは不可能である(弁護士等の職務請求除く)。

そもそも、相続人はともかく、相続人以外の第三者が、どうやって法務局に保管されている他人の自筆証書遺言の中で、自分のことが書かれているのか把握できるのか。

また、相続おもいやり相談室でもこの「務局における自筆証書遺言の保管制度」を使って、すでに依頼者の遺言を作成しているが、京都でのローカルな話であるが、通常は登記で使っている嵯峨野の法務局の出張所ではできない。河原町荒神口の法務局まで行くことになる。タクシーで行ったが小型でも最低5千円はかかる。

また、令和2年の夏から始まったので、それで遺言執行業務もしていない。評価は難しい。

1.5 成年後見制度による事実上の遺言内容変更

成年後見人は被後見人のすべての財産について管理権を有し、この権限には処分権も含まれると解されています。この処分権の行使には家庭裁判所の許可が必要ですが、被後見人の介護費用捻出などの理由があれば、遺言で「誰々に相続させる」と指定されていた不動産であっても、後見人によって売却される可能性があります。一部の後見人の冷酷で不親切な行為があるのは、NHKクローズアップ現代での特集報道がありました。まことに残念な状況です。

このような事態を完全に防ぐことは困難ですが、信頼できる方との任意後見契約や信託契約の活用により、一定程度の防止は可能です。

後見制度支援信託の限界

親族後見人による横領等の不正行為防止のために創設された後見制度支援信託制度もありますが、信託銀行等に預ける通常使用しない金銭(現在はおおよそ500万円以上)についても、必要に応じて使用されることに変わりはありません。

1.6 相続の効力等に関する対抗要件制度の影響

2018年相続法改正により導入された対抗要件制度は、遺言の効力をさらに複雑化させています。遺言により不動産を相続した場合でも、登記を行わなければ第三者に対抗できないという「早い者勝ち」の原則が適用されるようになりました。

2024年4月施行の相続登記義務化の影響

2024年4月1日から相続登記が義務化され、不動産を相続した場合は3年以内に登記を行わなければ10万円以下の過料が科されることになりました。この制度変更により、遺言執行者は相続発生後により迅速に登記手続きを行う必要性が高まっています。

2. 自筆証書遺言に関する法改正と実務上の問題点

2.1 自筆証書遺言の方式緩和とその課題

2019年の法改正により、自筆証書遺言の財産目録については自筆でなくても、パソコンで作成したものや銀行の預金通帳のコピーなどでも認められるようになりました。しかし、この緩和措置により新たな問題も生じています。

真正性の立証責任の問題

財産目録がパソコンで作成された場合、その目録が真正に作成されたものであることの立証責任は誰にあるのでしょうか。この立証は容易ではなく、相続人間で争いとなった場合、複雑な証拠調べが必要となります。

実務上の対策

疑いを招かないようにするため、以下の点に注意が必要です:

  1. 余白の排除:財産目録については、追加記載を許すような無駄な空きスペースが生じないよう工夫する
  2. 統一性の確保:「署名・押印」は、すべて遺言の本文で使用したのと同じ筆記用具と印鑑を使用し、署名の字体を統一する
  3. 作成日の記載:法的要件ではないが、記載が望ましい
  4. 契印・割印の実施:複数ページにわたる場合は忘れずに実施する
  5. 具体的な財産の記載:「自宅敷地建物及び隣接土地」、「○○マンション」のように具体的に記載する
  6. 書き直し理由の記載:財産目録を書き直した場合は、その理由も付言事項などに記載する

2.2 法務局における自筆証書遺言保管制度の詳細

制度の概要と利点

法務局で保管された自筆証書遺言については、家庭裁判所の検認手続きを要しないことになり、大きな実務の変更点となっています。

この制度の主な利点は以下の通りです:

  1. 紛失防止:法務局という公的機関での保管により、遺言書の紛失リスクが排除される
  2. 改ざん・隠匿防止:相続人による隠匿や改ざんのリスクが大幅に軽減される
  3. 複数遺言書問題の解決:最新の遺言書の特定が容易になる
  4. 検認手続きの省略:家庭裁判所での検認が不要となり、手続きの簡素化が図られる

手続きの詳細

申請手続き

遺言書保管の申請は、遺言者の住所地・本籍地・遺言者が所有する不動産の所在地のいずれかを管轄する法務局で、遺言者本人が行う必要があります。

重要な注意点:

  • 封筒に入れずに法務省令で定める様式に従って作成する
  • マイナンバーカード等の本人確認書類を持参する
  • 代理人や使者による申請は認められない
  • 病気等で本人が出頭できない場合は利用不可

病気等で出頭できない場合の代替手段

遺言者が病気などで法務局に出頭できない場合は、この保管制度を利用できません。このような場合は、公証人に病院等へ出張してもらい、公正証書遺言を作成することが現実的な選択肢となります。

保管・管理システム

法務局では、遺言書の原本を保管するとともに、画像情報等の遺言書に係る情報を電子データとしても管理します。これにより、全国どこの法務局からでも遺言書の有無を確認することが可能になります。

相続開始後の手続き

遺言書の存在確認

相続人や受遺者は、全国どこの法務局に対しても、自分が関係する自筆証書遺言が保管されているかどうかの確認を請求できます。保管されている場合は、遺言書保管事実証明書の交付を受けることができます。

遺言書の閲覧

遺言書が保管されている法務局では、相続人等は保管されている遺言書の原本を閲覧することができます。

実務上の課題と限界

第三者の情報取得問題

実務上の重要な課題として、第三者である受遺者や遺言執行者が、相続人の情報(戸籍謄本等)を取得することが困難という問題があります。現行法制度では、弁護士等の職務請求を除き、第三者が相続人の情報を取得することは原則として不可能です。

遺言書の存在把握の困難さ

相続人以外の第三者が、法務局に保管されている遺言書に自分のことが記載されているかどうかを把握する方法が限定的であるという課題もあります。

地域的な利便性の問題

京都地域での実例として、通常の登記業務で利用している嵯峨野出張所では遺言書保管業務を取り扱っておらず、河原町荒神口の法務局本局まで行く必要があります。高齢者にとって、この物理的な負担は決して軽視できません。

3. 現在の相続実務における総合的な対策

3.1 遺言書作成段階での対策

遺言能力の証明準備

遺言書作成時には、将来の争いを防ぐため、遺言能力の存在を証明する資料を準備しておくことが重要です:

  1. 医師の診断書・意見書:認知症の有無や程度に関する医学的評価
  2. 長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R):客観的な認知機能評価
  3. ビデオ撮影:遺言書作成時の様子を記録(プライバシーに配慮しつつ)

複数の遺言書防止策

遺言書の作成・保管・管理について、統一的なシステムを構築することが重要です:

  1. 公正証書遺言の優先選択:可能な限り公正証書遺言を選択する
  2. 法務局保管制度の活用:自筆証書遺言の場合は法務局保管制度を積極的に利用する
  3. 旧遺言書の明確な撤回:新しい遺言書を作成する際は、旧遺言書の撤回を明記する

3.2 遺言執行段階での対策

専門家による遺言執行者の選任

相続実務に精通した法律専門家(司法書士、弁護士等)を遺言執行者に選任することで、以下の効果が期待できます:

  1. 迅速な執行:法的知識に基づく効率的な遺言執行
  2. 中立性の確保:相続人間の利害対立を避けた公正な執行
  3. 法的対応力:遺言執行妨害に対する適切な法的対応

家族信託制度の活用

改正信託法に基づく家族信託制度は、遺言の限界を補完する有効な手段です:

  1. 生前からの財産管理:認知症対策としても有効
  2. 遺言執行の確実性:信託契約に基づく確実な財産移転
  3. 複雑な承継の実現:孫の代までの財産承継など、遺言では困難な承継パターンの実現

3.3 2024年相続登記義務化への対応

迅速な登記手続きの重要性

2024年4月1日から相続登記が義務化され、3年以内に登記を行わなければ10万円以下の過料が科されることから、遺言執行者は以下の点に注意が必要です:

  1. 遺言執行開始の即時登記:相続開始を知った時から速やかに登記手続きを開始
  2. 対抗要件確保の重要性:第三者に対する権利保全のため、登記の先後が重要
  3. 義務履行期限の管理:3年という期限を意識した計画的な手続き進行

4. 実践的な相続対策のご提案

4.1 包括的な相続対策の必要性

現代の相続実務では、単に遺言書を作成するだけでは不十分です。以下の要素を組み合わせた包括的な対策が必要です:

  1. 法的効力の確保:公正証書遺言または法務局保管制度の利用
  2. 執行体制の整備:専門家による遺言執行者の選任
  3. 補完制度の活用:家族信託、任意成年後見等の活用
  4. 税務対策:相続税・贈与税の最適化
  5. 紛争予防:相続人間のコミュニケーション促進

4.2 地域性を考慮した対策

京都・大阪地域における相続実務では、以下の地域特性を考慮した対策が重要です:

  1. 不動産の特殊性:京都の町家、大阪の商業地域等の特殊な不動産評価
  2. 家業承継:伝統産業や家族経営企業の事業承継対策
  3. 文化財・美術品:文化的価値を有する財産の承継対策
  4. 地域コミュニティ:地域との関係性を考慮した相続対策

5. 相続実務の将来展望

5.1 デジタル化の進展

相続実務のデジタル化は今後さらに進展すると予想されます:

  1. 電子遺言書:将来的な電子署名による遺言書の可能性
  2. オンライン手続き:各種相続手続きのオンライン化
  3. AIによる書類作成支援:定型的な書類作成の自動化

5.2 高齢化社会への対応

超高齢化社会の進展に伴い、以下の課題への対応が重要になります:

  1. 認知症対策:認知症患者の増加に対応した制度設計
  2. 独居高齢者対策:身寄りのない高齢者の相続対策
  3. 医療・介護との連携:医療・介護従事者との情報共有体制

5.3 国際化への対応

国際化の進展に伴い、以下の課題への対応も必要になります:

  1. 国際相続:海外資産を含む相続の増加
  2. 外国人の相続:日本在住外国人の相続問題
  3. 国際的な法制度の調和:各国の相続制度との整合性

おわりに - 専門家によるサポートの重要性

相続法改正により、遺言実務は従来以上に複雑化しています。「遺言破り」という現象は、単に法律的な問題だけでなく、家族間の感情的な対立、社会制度の変化、高齢化社会の進展など、多層的な要因が絡み合って生じています。

このような複雑な問題に対処するためには、法律、税務、不動産、金融などの専門知識を統合的に活用し、個別の事案に応じた最適な解決策を提案することが不可欠です。

中川総合法務オフィスでは、これまでの豊富な実務経験と、法律学、経営学といった社会科学のみならず、哲学・思想などの人文科学、さらには自然科学の知見も活用し、単なる法的手続きの代行にとどまらない、人生の総合的な設計支援を提供しています。

相続は、単に財産の移転という経済的な側面だけでなく、家族の絆、社会との関係、個人の価値観の実現など、人間存在の根源的な問題に関わる営みです。そのような深い洞察に基づいて、お一人お一人の人生観、価値観を尊重した、真に意味のある相続対策をご提案いたします。


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中川総合法務オフィスでは、初回30分~50分の相続相談を無料で承っております。ご自宅、病院、高齢者施設への訪問相談、オンライン相談にも対応しておりますので、どなたでもお気軽にご相談ください。

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