中川総合法務オフィス代表の中川恒信が、日本国憲法の根幹をなす「基本的人権」について、その本質から具体的な適用、そして現代社会における進化の様相までを、法律論に留まらない幅広い視点から解説します。単なる条文解説にとどまらず、哲学や社会の変化といった人文・社会科学全般の知見を交えながら、私たちの日常生活に深く関わる人権問題を多角的に考察します。
1. 基本的人権とは何か?その本質と永続性
日本国憲法は、大日本帝国憲法とは一線を画し、詳細な人権カタログを設けることで、個人の権利を明確に保障しています。これは、人間が人間として尊厳を持って生きるために不可欠な権利を、国家権力から守るという強い立憲主義の理念に基づいています。
基本的人権の最も根本的な理由は、何と言っても「個人の尊厳」にあります。人権とは、人が自律的な個人として自由と生存を確保するために必要な権利であり、人間であるというだけで当然に享有できる、いわゆる「自然権」としての性質を持つと理解されています。基本的な生活上の利益や権利を包括して「基本的人権」と称します。
日本国憲法第11条は、基本的人権について、「国民は、すべての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と力強く規定しています。これは、基本的人権が過去から現在、そして未来へと引き継がれる普遍的かつ永続的な権利であり、たとえ憲法が改正されたとしても容易に侵害されることのない、まさに憲法自体の限界をも示唆する重要な条項です。
2. 網羅的な人権カタログと「新しい人権」の台頭
憲法に具体的に列挙された人権(自由権、社会権など)は基本ですが、社会は絶えず変化し、新たな価値や利益が生まれます。技術の進歩、ライフスタイルの多様化、環境問題の深刻化などは、憲法制定時には想定されなかった新たな人権の保障を求める声を生み出しています。これが「新しい人権」と呼ばれる領域です。
例えば、プライバシーの権利、環境権、知る権利、さらには自己決定権や平和的生存権などが「新しい人権」として議論されてきました。これらの権利は、憲法に直接明記されていないからといって保護されないわけではありません。
日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めています。この「幸福追求権」を定めた条項は、限定列挙された人権にとどまらず、個人の尊厳に基づき派生するあらゆる新しい権利を受け止める包括的な基本権条項として機能しています。また、最低限度の生活を保障する第25条(生存権)なども、新しい社会権の根拠となり得ます。裁判実務においても、13条は新しい人権を認める際の重要な根拠として活発に利用されており、まさに時代と共に進化する人権概念を支える要となっています。
3. 人権の「主体」を巡る多様な視点
基本的人権は「人間であること」に基づき認められる権利ですから、原則として性別や社会的身分に関係なく認められます。しかし、憲法の条文が「国民」を対象としている場合があるため、その主体についてはいくつかの論点が存在します。
- 日本国民の要件: 日本国民であることの要件は、憲法第10条及び国籍法に定められています。国籍法では、単純な出生地主義(生まれた場所で国籍が決まる)ではなく、原則として血統主義(父または母が日本国民であることなど)が採用されています。
- 天皇・皇族の人権: 天皇・皇族についても基本的人権は保障されますが、皇位の世襲制という特殊な地位から、憲法上の制約がかかると解されています。具体的には、参政権(選挙権・被選挙権)は認められず、婚姻の自由も大幅に制約されます。また、特定の政党支持など政治的な言論の自由も極めて制限されます。
- 外国人の人権: 外国人については、憲法が日本の「国民」を対象としているという建前から、人権の「性質」に着目し、日本国民にのみを対象とする性質の権利(参政権、社会権の一部、日本への入国の自由など)を除き、原則として保障が及ぶと解されています。ただし、地方自治体の領域においては、地域に密着した生活者の権利として、外国人にも地方参政権を認めるべきだという議論や、条例等で一部権利を認める動きも見られます。
- マクリーン事件: 外国人の政治活動の自由に関する重要な判例です。最高裁判所は昭和53年10月4日の判決で、政治活動の自由も基本的には保障されるが、それは在留資格に基づいて許された活動の範囲内での効力であり、在留期間中の政治活動を在留更新の許否の判断要素とすることは妨げられないとしました。
- 外国人指紋押捺制度訴訟: かつて外国人登録制度で行われていた指紋押捺義務付けについて、最高裁判所は平成5年2月26日の判決で、憲法13条が保障する「みだりに指紋押捺されない自由」は外国人にも及ぶと認めつつも、制度の目的・方法の合理性から憲法13条には違反しないと判断しました。
- 法人の人権: 法人そのものは人間ではありませんが、社会的な実在性を持つ主体として、その活動に必要な範囲で基本的人権の保障が及びます。
- 八幡製鐵政治献金事件: 法人の政治活動の自由が問題となった事案です。最高裁判所は昭和45年6月24日の判決で、基本的人権の保障は性質上可能な限り内国の法人にも適用されると解すべきであり、法人の政治活動の自由、ひいては政治献金もその一環として認められるという考え方を示しました。
4. 人権の制約:公共の福祉と内在的制約
基本的人権は絶対無制限に認められるものではありません。憲法第12条は、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と定め、人権の行使には一定の制約が伴うことを示唆しています。
さらに、憲法第13条(幸福追求権)、第22条(居住移転・職業選択の自由)、第29条(財産権)など、多くの条文で「公共の福祉に反しない限り」という留保が付されています。この「公共の福祉」とは、人権相互の衝突を調整したり、社会全体の利益を守るために必要とされる制約原理を指します。これは、人権というものが、他の人々の人権や社会全体の利益との関係で、当然に一定の制約を受けるという「内在的な制約」があることを意味します。
また、公務員や刑務所に収容されている者など、国との間に特別な法律関係にある者に対しては、その関係を維持するために必要最小限度の人権制約が認められることがあります(特別権力関係論)。例えば、未決拘禁者(裁判確定前の被疑者・被告人)に対する書籍の閲覧制限は、逃亡・罪証隠滅の防止や監獄内の規律維持のために、必要かつ合理的な範囲で認められると判断されています。
5. 私人間における人権の適用(間接適用説)
憲法は、本来、国家と個人との関係を規律することを主眼としています。しかし、現代社会においては、巨大な企業などが国家に匹敵するほどの社会的な影響力を持つこともあります。このような状況下で、私人(個人や企業)間の関係、特に雇用関係などにおいても、憲法の人権規定の精神をどのように反映させるかが重要な問題となります。
これに対する通説・判例の考え方が「間接適用説」です。これは、憲法の人権規定が私人間に直接適用されるわけではないが、民法などの私法の一般条項(例えば、民法第1条:権利濫用、第90条:公序良俗、第709条:不法行為など)を適用・解釈する際に、憲法の保障する基本的人権の趣旨を「考慮」することで、人権保障の精神を私人間にも及ぼそうとする考え方です。憲法の理念が私法の解釈を通じて間接的に影響を与えるイメージです。
- 三菱樹脂事件: 企業の採用活動における思想・信条を理由とする不採用が問題となった事案で、最高裁判所は昭和48年12月12日の判決で間接適用説の立場を明確にしました。企業には経済活動の自由や採用の自由がある一方で、それが憲法の理念に照らして社会的に許容される範囲を超えるかどうかが、民法90条等の解釈を通じて判断されるべきことを示唆しました。
このように、私人間における人権保障は、憲法を直接持ち出すのではなく、既存の私法秩序の中で憲法の精神をどのように活かすかという、ある種の「知恵」と「バランス感覚」によって図られています。
6. 法の下の平等とその深化
憲法が保障するもう一つの偉大な原理が「平等権」です。自由と平等は、人間社会の根本をなす価値として、常にその関係性が議論されてきました。日本国憲法は、両者を不可欠なものとして保障しています。最も基本的な規定は、憲法第14条です。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
この「法の下の平等」は、単に「法を適用する際に誰にでも平等に適用する」(法適用の平等)ことだけでなく、「法の内容自体が平等である」(法内容の平等、または法成立の平等)ことも含むと解されています。内容が不平等な法をいくら平等に適用しても、結果は不平等になるからです。したがって、不平等な内容を持つ法律は、裁判所による違憲審査(憲法第81条)の対象となり、憲法違反と判断される可能性があります。これは、権利侵害を主張する際の強力な武器となります。
平等とは、すべての人を全く同じように扱う「絶対的平等」ではなく、個人の能力や置かれた状況の事実上の差異を前提とした「相対的な平等」であると理解されています。つまり、合理的な理由に基づく区別(これは「差別」とは異なります)は許容されるということです。何が「合理的」かは、その区別の目的や、目的と手段との関連性、社会状況などを総合的に考慮して判断されます。
近代社会における平等の概念は、機会の平等(Formal Equality - チャンスは皆平等に与えられるべきだ)から、現実の社会経済的な格差を是正しようとする結果の平等(Substantive Equality - 結果においても一定の平等を目指すべきだ)へと重心を移してきている傾向があります。特に福祉国家の理念の下では、自由競争の結果として生じる大きな格差に対し、税制や社会保障などを通じて是正を図ろうとします。これは、単に機会を与えるだけでは、生まれや環境によって生じる不利が解消されず、実質的な自由や人間の尊厳が損なわれるという認識に基づいています。どこまで実質的平等を追求すべきかは、常に自由とのバランスが問われる、極めて哲学的な問いでもあります。
憲法には、14条以外にも、第15条第3項(公務員の普通選挙)、第24条第2項(婚姻における両性の平等)、第44条(議員及び選挙人の資格の平等)など、様々な場面で平等原則が具体的に定められています。
7. 平等原則の具体的な適用事例と現代的課題
平等原則は、私たちの社会生活の様々な場面で具体的な問題として現れ、裁判でも多くの重要な判断が下されてきました。
- 男女間での定年年齢差: かつて多くの企業の就業規則に見られた、男性より女性の定年年齢を低く定める慣行は、性別のみを理由とする不合理な差別として、憲法14条の平等原則に反し、民法第90条(公序良俗違反)により無効とされています。
- 嫡出子と非嫡出子の相続分: 法律上の婚姻関係にない父母から生まれた子(非嫡出子)の法定相続分を、法律上の婚姻関係にある父母から生まれた子(嫡出子)の半分とする旧民法の規定は、長くその合理性が問われてきました。最高裁判所は、平成25年9月4日の決定で、この規定は憲法第14条の法の下の平等原則に違反し、違憲であるとの判断を下しました。この決定を受け、民法が改正され、嫡出子と非嫡出子の法定相続分は同等となりました。これは、時代の変化に伴う家族観の多様化と、個人の尊厳の尊重という観点から、法律が憲法の理念に追いついた重要な事例と言えます。
- 女性の再婚禁止期間: 女性のみに、離婚または配偶者の死亡後一定期間の再婚を禁止する規定(旧民法)も、婚姻の自由や平等原則との関係で議論されてきました。これは、父性の推定の重複を防ぐという目的がありましたが、近年、技術的な進歩(DNA鑑定など)や社会状況の変化から、期間の長さなどが不合理であると指摘され、現在は民法が改正され、期間が大幅に短縮されるとともに、一定の要件下では期間内でも再婚が可能となるなど、制約が緩和されています。
- 尊属殺重罰規定: 父母や祖父母などの尊属を殺害した場合に、普通殺人の法定刑より著しく重い刑(旧刑法では死刑または無期懲役)を定めていた規定についても、平等原則違反が争われました。最高裁判所は昭和40年4月28日の判決で、尊属に対する行為が倫理的に強い非難を受けるとしても、法定刑の差が合理的根度を超えており、憲法第14条の平等原則に違反し、違憲であるとの判断を下しました。その後、刑法は改正されています。
- 選挙権における投票価値の平等(一票の格差): 衆議院議員選挙や参議院議員選挙における、議員一人あたりの有権者数の不均衡、いわゆる「一票の格差」は、有権者の投票価値の平等という点で、継続的に憲法14条違反が問われてきました。最高裁判所は、この格差が合理的な期間内に是正されない場合は違憲状態である、あるいは違憲であるとの判決を繰り返し下しており、選挙制度改革の大きな原動力となっています。例えば、衆議院議員選挙の直近の判例では、最高裁判所は令和3年5月25日に合憲と判断しつつも、格差の是正が喫緊の課題であることを指摘しました。また、参議院議員選挙の直近の判例では、最高裁判所は令和4年5月25日に合憲と判断していますが、衆議院とは選挙区割りなどの構造が異なるため、投票価値の平等だけでなく地域代表といった他の要素も考慮されるという判断のニュアンスの違いが見られます。選挙制度は単なる人口比例だけでなく、政治的・社会的要素のバランスの上に成り立っており、その「合理性」の判断は極めて難しい課題です。
この他にも、売春防止条例の地域差の合憲性や、氏名呼称権(最高裁判所 平成元年2月8日判決など)に関する議論など、平等原則が問われる事例は多岐にわたります。氏名呼称権については、不正確なあだ名などで呼ばれても、それが侮辱や嫌がらせを目的としたものでない限り、直ちに不法行為が成立するわけではない、といった判断がなされています(最高裁判所昭和63年2月9日判決)。
8. 人権保障の探求は終わらない
基本的人権と平等原則は、日本国憲法の魂ともいえる理念であり、私たちの社会がどのようにあるべきかを示す羅針盤です。しかし、これらの権利の内容や適用範囲は、時代の変化、技術の進歩、価値観の多様化に伴い、常に問い直され、解釈が深まっていきます。そして、その探求は、私たち一人ひとりが憲法の精神を理解し、自らの権利を行使するとともに、他者の権利を尊重し、公共の福祉を考慮する不断の努力(憲法第12条)によって支えられています。
法律の条文や判例を学ぶことはもちろん重要ですが、その背景にある人間の尊厳、自由と平等のバランスといった哲学的な問い、そして社会全体の調和をどのように実現していくかという社会科学的な視点を持つことが、真に人権を理解し、現代社会の複雑な課題に向き合う上で不可欠であると私は考えます。法律は単なる技術ではなく、人間存在の根源に関わる問いに答えるための叡智の結晶であり、その探求に終わりはありません。
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