近年、企業や組織の窓口、電話対応において、顧客からの度を越した暴言、暴力、不当な要求(いわゆる「カスタマーハラスメント」「カスハラ」や「難クレーム」)が増加の一途をたどっています。これは単なる「お客様対応」の問題ではなく、働く人々の安全と尊厳に関わる深刻な課題であり、組織全体のコンプライアンス体制が問われる事態です。

このような不当な要求やハラスメントに対し、組織はどのように対応すべきでしょうか?感情的な対応や安易な妥協は問題を悪化させかねません。ここでは、毅然としつつも冷静に、そして法的な視点も踏まえた効果的な対応策を、具体的な方法論として解説します。そして最後に、立法化の動きもお伝えします。

1. なぜ今、不当要求・カスタマーハラスメントが増えているのか?その背景

不当要求やカスタマーハラスメントの増加には、いくつかの社会的な背景が考えられます。

  • 「お客様は神様」という誤解の深化: 一部の顧客において、行き過ぎた権利意識や、サービス提供者への一方的な優位性の意識が強まっている傾向が見られます。
  • ストレス社会のひずみ: 日常生活で抱えるストレスや不満を、サービスの提供者に対してぶつけるという行動が見受けられます。
  • インターネット・SNSの影響: 匿名での情報発信や、炎上騒ぎなどが容易になったことで、過激な言動が拡散・模倣されやすくなりました。また、「晒すぞ」「評判を落とすぞ」といった脅迫まがいの行為につながることもあります。
  • コミュニケーションの変化: 対面や電話での直接的なコミュニケーションが減少し、相手への配慮や共感性が薄れている可能性も指摘されています。
  • 企業の毅然としない態度: 過去に企業側が不当な要求に屈してしまった事例が広まることで、「強く言えば要求が通る」と考える者が増える悪循環も存在します。

こうした背景を理解することは、対応の重要性を再認識し、組織全体で問題意識を共有する上で不可欠です。

2. 不当要求・難クレームへの対応に当たっての基本的な心構え

不当な言動に直面した際、対応者は強いプレッシャーにさらされます。しかし、ここで重要なのは、感情的に反応するのではなく、事態を適切に収束させるための確固たる心構えを持つことです。

(1) 毅然とした態度を貫く:恐れず、侮らず、屈しない

不当な要求や暴言に対し、不用意に謝罪したり、曖昧な態度をとったりすることは、相手の要求をエスカレートさせる最も危険な行為の一つです。「お客様だから」と必要以上に恐縮する必要はありません。

  • コンプライアンス組織の一員としての自覚: あなたは、企業のルール、社会のルールを守る立場で対応しています。不正や暴力に屈しないという強い意志を持つことが、あなた自身と組織を守ります。
  • 厳正な姿勢: 企業の規定や法令に則り、対応の範囲を明確に伝えます。できないことは「できません」と明確に、しかし冷静に伝える勇気が必要です。
  • 従業員の安全確保という視点: 毅然とした態度は、対応者自身の安全を守るためでもあります。相手に「この人には何を言っても無駄だ」「ここからは一歩も引かないな」と認識させることが、沈静化につながることがあります。

(2) 信念と気迫を持つ:暴力・脅しには断固として屈しない

「暴力には屈しない」「粗暴な言動による脅しに負けない」「安易に弱みを見せない」。これは、不当要求に対峙する上での基本的なポリシーです。相手の威圧的な態度に気おされてしまうと、冷静な判断ができなくなり、不利な状況に追い込まれます。

  • 揺るぎない信念: 組織として決定した方針や、法律・倫理に基づいた判断に自信を持つことが重要です。
  • 内なる気迫: 声を荒げたり感情的になったりすることではなく、内面に秘めた「不正を許さない」「従業員を守る」という強い意志が、相手に伝わるものです。

(3) 冷静沈着な応対を心がける:挑発に乗らない、揚げ足をとらせない

不当要求を行う者は、しばしば対応者を挑発し、感情的な反応を引き出そうとします。また、言葉尻を捉えて論点をすり替えたり、揚げ足をとったりする手口を使うことがあります。

  • 感情のコントロール: 相手の暴言や侮辱的な言葉に感情的に反応せず、常に冷静を保ちます。深呼吸をする、即答を避けるなど、自分なりのクールダウン方法を持つことも有効です。
  • 正確な言葉遣い: 事実に基づき、曖昧さを避けた、正確で丁寧な言葉遣いを心がけます。専門用語の多用は避け、相手に誤解を与えないようにします。
  • 傾聴の姿勢と見極め: 最初は相手の話を聞き、何が相手の要求の核心なのかを見極めようとします。ただし、不当な要求であると判断した場合は、その場で安易な約束はせず、毅然とした態度に切り替えます。
  • 「クレーマー常套手段」への対策: マニュアル等で事前に学習し、相手が使う典型的な手口(大声、長時間居座り、関係ない他社の事例の引き合い、個人攻撃など)に惑わされないように準備しておくことが重要です。

3. 不当要求・難クレーム発生時の具体的な対応フローとテクニック

実際の対応においては、初期段階での適切なアクションがその後の展開を大きく左右します。複数の担当者で連携し、安全確保を最優先に進めます。

(1) 受付・カウンター等での初期対応:安全な環境と情報の確認

受付やカウンターでの最初の接触時が非常に重要です。

  • 来訪者の確認: 氏名、人数、用件などを正確に確認します。不当な目的の来訪者は、これらの情報提供を拒む傾向があります。
  • 応対場所の選択: 周囲から見通せるカウンターや、ドアを開放した部屋など、密室にならない場所を選びます。これにより、複数の目が行き届き、緊急時の対応もしやすくなります。個室に通したり、ドアを閉め切ったりすることは極めて危険です。
  • 不要な物品の排除: 応対場所に、花瓶、灰皿、筆記具など、相手が感情的になった際に投げたり壊したりする可能性のある物品は置かないようにします。飲み物も、相手を落ち着かせる意図で出すことがありますが、これも投げつけられるリスクがあるため、基本的には不要です。
  • 牽制表示の活用: 「暴力追放ポスター」「不当要求行為防止責任者講習受講修了書」などを掲示しておくことは、不当な目的の者に対する一定の牽制効果が期待できます。企業の毅然とした姿勢を示す視覚的なサインとなります。

(2) 複数での応対体制:役割分担と証拠の確保

不当要求者への対応は、必ず複数で行います。最低でも2名、可能であれば3名以上で対応するのが望ましいとされます。

  • 人数の優位性: 常に相手より多い人数で応対することで、物理的な威圧感を緩和し、対応者の安心感を高めます。
  • 明確な役割分担:
    • 主担当(応対係): 冷静に相手の話を聞き、企業の規定や方針を説明するなど、対話の中心になります。感情的にならず、マニュアルに沿った対応を心がけます。
    • 記録係: 応対の一部始終(日時、場所、来訪者の言動、要求内容、対応者の発言、状況の変化など)を詳細かつ正確に記録します。これは後々の証拠として極めて重要になります。ICレコーダー等での録音も有効ですが、地域や状況によっては相手に告げる必要がある場合もあるため、事前に社内ルールや法的な側面を確認します。(多くの自治体や企業の対応マニュアルで、記録の重要性が強調されています。)
    • 連絡・通報係: 必要に応じて、上司、関係部署、警備員、そして警察への連絡・通報を行います。緊急時のエスケープルートや通報手段を事前に確認しておきます。

(3) 所属長の安易な対応は避ける:決定権者を前面に出さない原則

初期段階で、部長や課長といった「決定権を持つ者」を安易に対応させるのは避けるべきです。

  • 即答のプレッシャー回避: 決定権者が対応すると、相手は「その場で結論を出せ」「すぐに要求を通せ」と強く迫ってくる可能性が高まります。その場で安易な約束をしてしまうリスクを避けるため、まずは現場の担当者が会社のルールや一般的な対応方針を説明するに留めます。
  • 組織的な対応の姿勢: 担当者が「私には判断できませんので、しかるべき部署・担当者に正確に申し伝え、改めて回答させていただきます」と対応することで、組織として毅然と対応している姿勢を示すことができます。
  • 名刺の取り扱い: 安易に名刺を渡すことは避けます。名刺から個人の連絡先や家族構成などを調べ上げ、更なる嫌がらせに発展するリスクがあるためです。ネームプレート等で所属を示すに留めるのが賢明です。担当者は、「名刺はお渡ししておりません。〇〇部の△△が担当いたします」などと伝えます。

(4) 徹底した記録の実施:全ての言動を「見える化」する

不当要求対応において、最も重要と言えるのが「記録」です。

  • 詳細な記録内容: 日時、場所、相手の氏名(不明の場合は特徴)、人数、同伴者の有無、具体的な要求内容、使用された言葉(暴言、脅迫、侮辱など)、具体的な行動(机を叩く、物を投げる、立ちはだかるなど)、対応者の言動、応対時間、目撃者などを詳細に記録します。
  • 録音・録画の活用: 可能であれば、ICレコーダーや防犯カメラによる録音・録画を行います。これにより、言動の客観的な証拠が残ります。(ただし、プライバシーや各都道府県の条例など、法的な問題がないかを事前に確認し、社内規定を整備しておく必要があります。状況によっては「防犯のため録音・録画しています」と表示することも有効です。)
  • 証拠としての有効性: 詳細な記録や客観的な音声・映像データは、後の社内での状況共有、対応策の検討、そして万が一、警察への被害届提出や民事・刑事訴訟となった場合の強力な証拠となります。特に、脅迫罪、強要罪、威力業務妨害罪などの立証には、不当な言動の具体的な内容を記録することが不可欠です。
  • 文書化の重要性: 口頭でのやり取りだけでなく、相手から渡された文書、送られてきたメールやFAXなども全て保管します。こちらから相手に送る文書も、内容を明確に記録に残します。

4. 公職にある者等からの不当な要求への対応

不当な要求は、一般の顧客だけでなく、公職にある者や特定の団体関係者等から行われるケースも見受けられます。公益を目的としない個人的な口利きや、その立場を利用した威圧的な言動による不当な要求は、企業の公正な業務遂行を妨げ、不正行為を誘発する温床となりかねません。

  • 「口利き」の罠: 特に「今夜空いていますか」「ちょっと相談に乗ってほしい」といった、業務とは直接関係のない場での接触を求めてくる場合は注意が必要です。安易に業務外で会うことは、不当な働きかけを受けるリスクを高めるだけでなく、あらぬ疑いをかけられる可能性もあります。対応は必ず勤務時間内に、職場で、複数で行うことを原則とします。
  • 不正誘発のリスク: 公職者等からの不当な口利きが、入札における便宜、許認可における優遇、人事における不正な働きかけなど、具体的な不正行為に発展する事例も報告されています。
  • 記録と組織内共有の徹底: 公職にある者等からの不当な働きかけについても、一般の不当要求と同様に、日時、相手の氏名・所属・役職、具体的な要求内容、対応者などを詳細に記録することが極めて重要です。そして、これらの情報を組織内で適切に共有し、必要であれば、倫理監督部署や顧問弁護士等に速やかに相談できる体制を構築しておく必要があります。多くの自治体や官公庁でも、職員向けの倫理規程や不当要求対応マニュアルが整備されており、公務における不当な働きかけを排除する取り組みが進められています。企業側も、これに呼応し、毅然とした態度で臨むことが求められます。(参考:各省庁や自治体の倫理規程、職員向けコンプライアンスガイドラインなど)

5. 組織としての予防策と体制構築:事前の備えが被害を最小限に抑える

不当要求への対応は、個々の担当者のスキルだけでなく、組織全体としての予防策と体制構築が不可欠です。

(1) 不当要求対応マニュアルの作成と周知徹底

どのような言動が不当要求に該当するのか、発生した場合の具体的な対応手順、報告・連絡体制、記録方法、相談窓口などを明記したマニュアルを作成し、全従業員に周知徹底します。マニュアルは、対応者の判断の拠り所となり、対応の一貫性を保つ上で非常に重要です。

(2) 従業員向けの研修実施

不当要求の種類や特徴、基本的な対応方法、ロールプレイングによる実践的な訓練、メンタルヘルスケアに関する情報提供など、従業員向けの定期的な研修を実施します。特に、顧客と直接接する機会の多い部署の従業員に対しては、重点的な教育が必要です。

(3) 相談窓口・報告体制の整備

不当要求を受けた従業員が、一人で抱え込まずに気軽に相談・報告できる窓口(社内、社外、ハラスメント相談窓口等)を設置し、その存在を従業員に広く知らせます。報告を受けた場合の対応フローも明確にしておきます。

(4) 弁護士・警察等の外部機関との連携強化

顧問弁護士と連携し、法的な観点からのアドバイスや、実際に訴訟等に発展した場合の対応について準備を進めておきます。また、所轄の警察署や暴力追放運動推進センター等と日頃から連携を取り、緊急時の通報や相談がスムーズに行えるように関係を構築しておくことも有効です。(参考:各都道府県警察のホームページ、暴力追放運動推進センターの活動内容)

(5) 組織内での情報共有

発生した不当要求の事例や対応策について、組織内で適切に情報共有を行います。これにより、他の従業員が同様のケースに遭遇した際に参考とすることができ、組織全体の対応力向上につながります。

6. 法的側面:不当要求行為は犯罪となり得る

不当要求行為の中には、刑法等の法令に抵触するものも少なくありません。企業や従業員が被害を受けた場合、法的手段に訴えることも含めて検討する必要があります。

  • 脅迫罪(刑法222条): 人を恐喝する目的で生命、身体、自由、名誉、財産に対し害を加える旨を告知する行為。
  • 強要罪(刑法223条): 脅迫または暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、または権利の行使を妨害する行為。不当な内容の念書を書かせたり、無理な要求をのませたりする場合に成立し得ます。
  • 威力業務妨害罪(刑法234条): 威力を用いて、人の業務を妨害する行為。大声を出したり、長時間居座ったり、多くの従業員を対応に縛り付けたりして、企業の正常な業務を妨げる場合に成立し得ます。
  • 暴行罪(刑法208条): 人の身体に対し不法な有形力を行使する行為。直接的な暴力だけでなく、胸ぐらを掴む、物を投げつけるなども含まれます。
  • 傷害罪(刑法204条): 人の身体を傷害する行為。
  • 器物損壊罪(刑法261条): 他人の物を損壊する行為。
  • 不退去罪(刑法130条後段): 要求を受けても正当な理由なく建造物等から退去しない行為。

これらの犯罪に該当する行為を受けた場合は、ためらわずに警察に被害届や告訴状を提出することを検討すべきです。また、不当要求によって生じた損害(対応に要した人件費、業務停止による損失、精神的苦痛など)に対して、民事訴訟で損害賠償を請求することも可能です。法的専門家である弁護士と連携し、適切な手続きを進めることが重要です。

7. 法改正の動き:カスタマーハラスメント対策は法制化へ向かうのか?

これまで述べてきた既存の法律や、厚生労働省が策定した対策マニュアル等による対応に加え、近年、カスタマーハラスメントに対してより実効性のある対策を求める声が高まり、法規制の必要性についての議論が活発に行われています。

背景には、ガイドラインだけでは企業の取り組みに限界があること、被害を受ける労働者の保護をより一層強化する必要があること、そして何をもって不当な要求とするかの明確な基準が求められていることなどがあります。

現在、国会や政府の検討会議等において、カスタマーハラスメントを明確に定義し、企業に具体的な対策(相談体制の整備、研修の実施、被害者への配慮等)を義務付けるための法制化に向けた議論が進められています。新たな独立した法律の制定や、既存の法律(労働契約法、労働施策総合推進法、民法、刑法など)の改正による対応など、様々なアプローチが検討されている段階です。

具体的な法案の提出や成立に至る時期は不確定ですが、カスタマーハラスメントへの対策が、企業の努力義務や推奨事項に留まらず、法的義務として位置づけられる方向であることは間違いありません。これにより、企業はより強力な責任をもって従業員を保護し、毅然とした対応を行うことが、単なる望ましい行為ではなく、法的に求められる責務となります。

企業としては、こうした法制化の動向を注視しつつ、現在のうちから社内規程の整備、研修の実施、相談体制の構築といった対策をより一層強化しておくことが、来るべき法改正への備えとなると同時に、従業員が安心して働ける環境を確保する上で不可欠です。

8. 結び:困難に立ち向かう組織の力と人間の尊厳

(※元の「7. 結び」の内容がここに続きますが、番号を8に変更します。)

不当要求やカスタマーハラスメントは、対応する従業員に大きな精神的負担を強いるだけでなく、組織全体の士気や生産性にも悪影響を及ぼします。これに対し、組織が毅然とした態度で立ち向かうことは、従業員を守り、公正なビジネス環境を維持するために不可欠です。

これは単なるトラブルシューティングやリスク管理に留まりません。働く一人ひとりの人権と尊厳をどのように守るか、そして社会の一員として、不正や暴力といった「悪」にどう向き合うかという、より根源的な問いでもあります。歴史を振り返れば、様々な困難や不正に対し、人々は勇気と知恵、そして互いを支え合う連帯の力で立ち向かってきました。

法律や経営といった社会科学の知見に加え、哲学や思想が説く人間の本質や倫理、あるいは自然科学が明らかにする人間の心理や行動パターンへの理解は、私たちがこのような困難な状況にどう対処すべきか、より深い示唆を与えてくれます。不当な力に屈しないという「信念」、従業員を守り抜くという「気迫」、そして冷静に状況を分析し、最善の手を打つ「知性」。これら全てが合わさって、組織は不当要求という波を乗り越える力を得るのです。

不当な要求に対し、曖昧な態度をとらず、明確なルールに基づき、組織として一致団結して毅然と対応することが、結果として問題の早期解決につながり、従業員が安心して働ける環境を築き、企業の信頼とコンプライアンスを守る盾となるのです。法制化の動きは、まさにこの方向性を後押しするものであり、全ての企業が真摯に向き合うべき課題となっています。

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