はじめに

2026年1月1日、日本の下請取引規制は大きな転換点を迎える。昭和31年に制定された「下請代金支払遅延等防止法」が大幅に改正され、「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」、略称「中小受託取引適正化法」(通称:取適法)として生まれ変わる。

この改正は単なる名称変更ではない。従業員基準の導入、物流取引の追加、価格協議義務の法定化など、約20年ぶりとなる大規模な制度改革である。

本連載では、この取適法を逐条解説していく。第1回となる今回は、法律の根幹である第1条「目的」規定を詳しく見ていく。

第1条の条文

まず、条文を確認しよう。

第一条 この法律は、製造委託等に関し、中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等を防止することによつて、委託事業者の中小受託事業者に対する取引を公正にするとともに、中小受託事業者の利益を保護し、もつて国民経済の健全な発達に寄与することを目的とする。

この条文自体は、従来の下請法第1条とほぼ同様の構造を維持している。ただし、用語が変更されている点に注意が必要である。

用語の変更―「下請」から「中小受託」へ

なぜ「下請」という言葉をやめたのか

本法における「下請」という用語は、発注者と受注者が対等な関係ではないという語感を与え、時代の変化に伴い、発注者である大企業の側でも「下請」という用語は使われなくなっているという指摘がなされている。

「下請」という言葉には、上下関係、主従関係を連想させる響きがある。しかし、現代のサプライチェーンにおいては、発注者と受注者は対等なパートナーとして、それぞれの専門性を活かして協働する関係であるべきだ。

変更された用語

改正により、以下のように用語が変更された。

  • 「親事業者」→「委託事業者」
  • 「下請事業者」→「中小受託事業者」
  • 「下請代金」→「製造委託等代金」

これらの用語変更は、単なる言葉の置き換えではなく、取引関係に対する意識改革を促すものである。

第1条の三層構造

第1条は、法律の目的を三段階で示している。

第一段階:直接的目的―代金支払遅延等の防止

第一の目的は「中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等を防止すること」である。

ここでいう「等」が重要である。これには、代金支払の遅延だけでなく、以下のような行為が含まれる。

  • 受領拒否
  • 代金減額
  • 返品
  • 買いたたき
  • 購入・利用強制
  • 報復措置

さらに、今回の改正で「協議を適切に行わない代金額の決定」が新たに禁止行為として追加された。これは、コスト上昇を理由とした価格協議の求めに応じない行為を明確に違法とするものである。

第二段階:中間的目的―取引の公正化と利益保護

第二の目的は、「委託事業者の中小受託事業者に対する取引を公正にする」こと、そして「中小受託事業者の利益を保護」することである。

取引の公正化とは、違法行為の排除だけを意味しない。対等な協議、適正な価格決定、透明な契約関係の構築など、取引全体の健全性を指す。

利益保護も、単なる保護主義ではない。不当な不利益から守ることで、中小企業が持続可能な事業活動を継続できる環境を整備することを意味する。

第三段階:究極的目的―国民経済の健全な発達

第三の、そして究極的な目的は「国民経済の健全な発達に寄与すること」である。

この規定は極めて重要である。取適法が単なる中小企業保護法ではなく、経済政策の一環であることを示している。

改正の背景―なぜ今、大改正なのか

価格転嫁問題の深刻化

近年の原材料費、労務費、エネルギーコストの高騰に対し、立場の弱い中小企業が価格転嫁を十分に行えていない現状がある。

政府は「物価上昇を上回る賃上げ」の実現を掲げているが、中小企業が賃上げの原資を確保するには、サプライチェーン全体での適切な価格転嫁が不可欠である。

資本金基準の限界

従来の下請法は、取引当事者の資本金額のみで適用対象を判断していた。しかし、会社法改正による資本金制度の柔軟化により、実質的な事業規模と資本金額が乖離するケースが増加した。

実質的には事業規模は大きいものの当初の資本金が少額である事業者や、減資をすることによって本法の対象とならない例があるという問題が指摘されていた。

物流業界の2024年問題

物流業界では、荷待ち時間の無償化、荷役作業の強要など、不透明な取引慣行が問題視されてきた。現行の「物品の運送の再委託」に加えて「物品の運送の委託」を新たな規制対象に追加することで、発荷主と運送事業者間の取引適正化を図る。

公正取引委員会の取組

公正取引委員会のウェブサイト(https://www.jftc.go.jp/partnership_package/toritekihou.html)では、取適法に関する詳細な情報が提供されている。

同サイトには以下の資料が掲載されている。

  • 改正法条文
  • 運用基準
  • ガイドブック
  • リーフレット
  • 改正ポイント説明会資料

企業実務においては、これらの資料を参照しながら、2026年1月の施行に向けた準備を進める必要がある。

実務上の重要ポイント

「等」の解釈

条文中の「遅延等」という表現に注目したい。この「等」により、法律が禁止する行為は支払遅延に限定されない。現在では11の禁止行為が定められており、今回の改正でさらに追加される。

取引の「公正化」の具体的内容

取引の公正化には、以下が含まれる。

  • 書面(電磁的記録を含む)による契約条件の明示
  • 対価の適正な決定
  • 支払期日の遵守(60日以内)
  • 価格協議への誠実な対応
  • 手形払いの原則禁止

経済政策としての位置づけ

第1条が「国民経済の健全な発達」に言及していることは、この法律が経済政策の一環であることを明確にしている。

中小企業の健全な発展は、以下につながる。

  • イノベーションの促進
  • 雇用の安定
  • 地域経済の活性化
  • サプライチェーンの強靭化
  • 経済全体の競争力向上

2026年1月施行に向けた準備

企業が今すぐ確認すべきこと

  1. 自社が委託事業者に該当するか
    • 資本金基準だけでなく、従業員数基準も確認
    • 従業員300人超(一定の取引は100人超)の事業者は要注意
  2. 対象取引の洗い出し
    • 製造委託、修理委託に加え、特定運送委託も対象に
    • 金型以外の型・治具等の製造委託も明確化
  3. 支払方法の見直し
    • 手形払いは原則禁止
    • 一括決済方式等でも満額現金化が必要
    • 振込手数料の中小受託事業者負担も禁止
  4. 価格協議体制の構築
    • 中小受託事業者からの価格協議要請への対応手順
    • 協議記録の作成・保管体制

罰則の強化にも注意

改正により、違反行為に対する公正取引委員会の監視・執行も強化される見込みである。特に、価格転嫁拒否に対しては、下請Gメンの活用や業界団体への申入れなど、積極的な取組が予定されている。

歴史的意義と今後の展望

昭和31年の下請法制定から約70年。その間、日本経済は高度成長、バブル経済、長期デフレ、そして現在の物価上昇局面へと大きく変化した。

取引環境も、製造業中心から情報サービス、物流を含む多様な業種へと拡大してきた。グローバル化、デジタル化により、サプライチェーンはますます複雑化している。

こうした環境変化に対応し、「下請」という呼称を廃して対等なパートナーシップを志向する今回の改正は、単なる法改正を超えた、日本の取引文化の転換点といえる。

まとめ

取適法第1条は、法律全体の理念と目的を示す羅針盤である。

「代金支払遅延等の防止」という手段から、「取引の公正化」と「中小受託事業者の利益保護」という中間目的を経て、「国民経済の健全な発達」という究極目的に至る三層構造は、この法律が目指す方向性を明確に示している。

2026年1月の施行まで、企業には十分な準備期間がある。この第1条の理念を理解し、単なる法令遵守を超えて、真の対等なパートナーシップに基づくサプライチェーン構築を目指すことが求められる。

次回以降の逐条解説では、各条文の具体的内容を詳しく見ていく。第1条で示された理念を念頭に置きながら、実務対応のポイントを明らかにしていきたい。


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