1. 改正の背景と全体像
令和6年6月14日に公布された「建設業法及び公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の一部を改正する法律」が、令和7年12月12日をもって全面施行された。この改正は、建設業界が直面する深刻な構造的課題への抜本的な対応策である。
建設業界の現状データ
建設業の処遇は他産業と比較して厳しい状況にある。建設業の生産労働者の平均年収は432万円で、全産業平均の508万円を15%下回っている。また、年間労働時間は2,018時間と、全産業平均の1,956時間を3.1%上回る長時間労働が常態化している。
この結果、建設業就業者数は平成9年の685万人(全産業の10.4%)から令和5年には483万人(同7.2%)まで減少し、担い手不足が深刻化している。
改正法の3本柱
今回の改正は以下の3つを柱として構成されている:
- 労働者の処遇改善 - 適正な労務費の確保と賃金上昇の実現
- 資材高騰への対応 - 労務費へのしわ寄せ防止
- 働き方改革と生産性向上 - 長時間労働の是正と効率的な現場管理
2. 受注者にも拡大された契約締結の禁止事項
2.1 原価割れ契約の禁止(建設業法第19条の3第2項)
これまで注文者のみに適用されていた原価割れ契約の禁止が、建設業者(受注者)にも拡大された。建設業者は、国土交通省令で定める正当な理由がある場合を除き、建設工事を施工するために通常必要と認められる原価に満たない金額での請負契約を締結してはならない。
この規定により、「発注者からの値下げ圧力」や「上位契約額の制約」を理由とした原価割れ受注は、原則として法違反となる。「通常必要と認められる原価」の判断には、後述する「労務費に関する基準」が重要な指標となる。
2.2 著しく短い工期による契約締結の禁止(建設業法第19条の5第2項)
同様に、著しく短い工期での契約締結も受注者に対して禁止された。建設業者は、その請け負う建設工事を施工するために通常必要と認められる期間に比して著しく短い期間を工期とする請負契約を締結してはならない。
この規定は、2024年4月から適用された時間外労働規制への対応として、週休2日の確保や猛暑日の不稼働を前提とした適正な工期設定を法的に担保するものである。
3. 見積書の内訳明示と「安すぎる見積り」の禁止
3.1 材料費等記載見積書の作成努力義務(建設業法第20条第1項)
建設業者は、注文者から要求があった場合、以下の項目を内訳として明示した「材料費等記載見積書」を交付する努力義務が課された:
- 材料費
- 労務費
- 法定福利費の事業主負担分
- 安全衛生経費
- 建設業退職金共済契約に係る掛金
これまで「一式」で済まされていた見積りから、特に労務費を明確に区分した透明性の高い見積りへの転換が求められる。
3.2 著しく低い材料費等による見積り・変更依頼の禁止(建設業法第20条第2項・第6項)
重要なのは、見積り内容の「水準」にまで規制が及ぶ点である。建設業者は、建設工事の施工に通常必要と認められる材料費等の額を著しく下回る見積りを行ってはならない。同時に、注文者も、材料費等記載見積書に記載された額を著しく下回る金額となるような見積り変更依頼を行ってはならない。
特に以下の行為は建設業法違反となりうる:
- 公共工事設計労務単価を明らかに下回る労務単価での見積り
- 不当に効率の良い歩掛を用いた、実態からかけ離れた少ない人工での見積り
- 注文者による上記水準への値下げ要求
3.3 発注者への勧告・公表制度(建設業法第20条第7項)
注文者が材料費等記載見積書の金額を著しく下回る変更依頼を行い、その金額で契約締結した場合、許可行政庁から当該発注者に対して勧告・公表が行われる仕組みが整備された。これにより、発注者側の不当な値引き要求にも法的な歯止めがかかることとなった。
4. 公共工事における入札金額内訳書の強化
4.1 記載事項の明確化(入契法第12条)
公共工事の入札金額内訳書に、以下の内訳の明示が義務付けられた:
- 材料費
- 労務費
- 法定福利費の事業主負担分、安全衛生経費、建退共掛金等
- その他施工に必要な経費
4.2 労務費ダンピング調査の実施
公共発注者は、提出された入札金額内訳書の内容を確認する「労務費ダンピング調査」を実施することとされ、「労務費ダンピングを防止するための公共発注者向けガイドライン」が公表されている。
5. 「労務費に関する基準」と実効性確保措置
5.1 労務費基準の勧告
令和7年12月2日、中央建設業審議会から「労務費に関する基準」が勧告された。この基準は、公共・民間を問わず、適正な労務費(賃金の原資)を確保するための重要な指標として機能する。
国土交通省は、職種別・都道府県別に「労務費の基準値」を公表しており、これが価格交渉時の参照指標となる。また、建設業法第20条の「通常必要と認められる労務費」の相場観としても活用される。
5.2 CCUSレベル別年収の設定
技能者の技能・経験に応じた適正な賃金を担保する観点から、建設キャリアアップシステム(CCUS)のレベルに応じた年収の「目標値」と「標準値」が設定された。標準値を下回る支払状況の事業者については、労務費ダンピングの疑いがあるとして重点的な調査対象となる。
5.3 見積書等の10年間保存義務
材料費等記載見積書が取り交わされた場合、当初見積書および最終見積書について、工事目的物の引渡しから10年間の保存が義務付けられた(建設業法施行規則第26条第5項)。これは、建設Gメンや許可行政庁による事後的な調査・検証を可能とするものである。
5.4 自主宣言制度とコミットメント条項
技能者の処遇改善に取り組む企業が市場で選択される環境を整備するため、「建設技能者を大切にする企業の自主宣言制度」が創設された。宣言企業には、ホームページでの公表や経営事項審査における加点措置等の優遇措置が講じられる。
また、建設工事標準請負契約約款にコミットメント条項(適正な労務費・賃金の支払いに係る表明・情報開示条項)が導入され、サプライチェーン全体での適正な労務費・賃金支払いの確認が可能となった。
6. 実務対応のポイント
6.1 建設事業者が直ちに取り組むべき事項
見積書・契約関係の整備
- 労務費、法定福利費、安全衛生経費等を内訳明示できる見積書フォーマットへの改訂
- 公表された「労務費の基準値」を参照した原価積算の見直し
- 著しく短い工期や原価割れでの契約を防ぐチェック体制の強化
文書管理体制の整備
- 見積書および打合せ記録の10年間保存に対応した文書管理ルールの策定
- 建設Gメンや許可行政庁の調査に対応できる証拠保全体制の構築
取引関係の見直し
- 下請業者への新ルール周知と適正な取引関係の構築
- 自主宣言制度への参加とコミットメント条項を盛り込んだ契約書の検討
6.2 発注者の留意点
適正な発注の実践
- 必要かつ十分な見積期間の確保
- 材料費等記載見積書の交付要求と内容の考慮・尊重
- 著しく低い労務費水準での値下げ要求の回避
制度活用の推進
- 自主宣言制度への参加と宣言企業の優先選定
- コミットメント条項を盛り込んだ契約書の積極的活用
7. おわりに - 持続可能な建設業への転換点
今回の改正建設業法の全面施行により、適正な労務費が公共・民間を問わず、受発注者間、元請-下請間、下請間のすべての段階で確保される制度的枠組みが確立された。
この改正の目標は、2024年度から2029年度までに全産業を上回る賃金上昇率を達成し、2029年度までに技能者と技術者の週休2日の割合を原則100%とすることである。
建設業界は今、「安さ一辺倒の競争」から「適正な処遇を前提とした技術・生産性の競争」への歴史的転換点に立っている。賃金の原資を削ったダンピング受注競争を撲滅し、技能者の処遇改善と持続可能な施工体制を前提とした健全な競争環境の実現が求められている。
中川総合法務オフィスでは、改正法に対応した契約書の整備、社内コンプライアンス体制の構築、見積書フォーマットの見直し等について、継続的な支援を行っている。本稿の内容については、今後YouTube等の動画コンテンツでも、具体的な事例を交えながら詳しく解説していく予定である。
改正法への対応に不安のある事業者は、早期に自社の契約実務・見積実務を点検し、必要な見直しに着手されることをお勧めする。(下記は国土交通省HPより引用)


