はじめに
2016年末から2017年にかけて、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)が運営するキュレーションメディア(まとめサイト)事業が、著作権法や医薬品医療機器等法(薬機法)などの法令違反や、不正確・不適切な記事の量産により、社会的な批判を浴び、全サイト閉鎖に追い込まれました。この問題は、単なる一企業の不祥事にとどまらず、急成長するインターネットメディアの影に潜むコンプライアンス意識の欠如、ずさんなリスク管理体制、そして企業倫理のあり方を浮き彫りにしました。
本稿では、このDeNAキュレーションメディア問題を改めて振り返り、第三者委員会の報告書などを基に事実関係を整理するとともに、その背景にある構造的な問題を多角的に分析します。さらに、法律や経営、倫理といった社会科学的視点に加え、より本質的な問題を捉えるための哲学的・科学的視点も交えながら、現代企業がこの事件から何を学び、コンプライアンスとリスクマネジメント、そして企業倫理をいかに組織に根付かせるべきかを探ります。
1.事件の経緯:急成長の陰で
- 事業開始と拡大: DeNAは2014年10月、キュレーションプラットフォーム事業への参入を発表。買収した企業なども含め、「WELQ(ウェルク)」「MERY(メリー)」をはじめとする10のサイトを展開し、急速に事業を拡大しました。特に健康・医療情報を扱ったWELQは、SEO(検索エンジン最適化)を駆使して検索上位に表示され、多くのアクセスを集めました。
- 問題の発覚: しかし、2016年後半頃から、WELQの記事内容の不正確さ、医学的根拠の欠如、他のサイトからの無断転載疑惑などがインターネット上で指摘され始めます。他のキュレーションサイトについても、同様の問題が次々と明らかになりました。
- 株価への影響: 問題が表面化すると、DeNAの企業価値に対する懸念から株価は下落しました。特に、問題が大きく報じられた2016年11月末から12月初旬にかけては、顕著な株価の変動が見られました。(2016年当時の株価チャート参照)
- 謝罪とサイト閉鎖: 2016年12月7日、DeNAは記者会見を開き、南場智子会長と守安功社長(当時)が謝罪。全10サイトの記事を非公開にすると発表しました。守安社長は「メディア事業への認識が甘かった」と述べ、南場会長は「ゼロから会社を作り直す気持ち」と語りました。しかし、この会見には事業責任者が出席しておらず、責任の所在が曖昧であるとの批判も受けました。
2.第三者委員会報告書が明らかにしたこと(2017年3月13日公表)
DeNAが設置した第三者委員会の調査報告書は、コンプライアンス上の重大な問題を明確に指摘しました。
- 著作権法違反の可能性:
- 記事の無断複製・翻案:サンプル調査の結果、最大で約5.6%の記事に複製権・翻案権侵害の可能性があり、一部は公衆送信権、同一性保持権、氏名表示権の侵害にもあたりうると推計されました。
- 画像の無断転載:約472万個の画像のうち、約74.8万個に複製権侵害の可能性が指摘されました。
- 倫理的問題:著作物性が認められないまでも、他の記事からの安易なコピー&ペーストや、不適切な引用が多数存在しました。
- 薬機法、医療法、健康増進法違反の可能性:
- WELQの記事19本を調査した結果、薬機法違反(未承認医薬品等の広告禁止など)が8本、医療法違反(誇大広告の禁止など)が1本、健康増進法違反(虚偽・誇大な表示の禁止)が1本確認されました。これらは、読者の健康に関わる重大な問題です。
- 原因・背景:
- 報告書は、原因として「収益至上主義」「コンプライアンス意識の欠如」「リスク管理体制の不備」などを挙げています。特に、記事作成マニュアルにおいて、他サイトからのコピー&ペーストを推奨するかのような記述が存在したことは衝撃的でした。
- 記事の質や正確性よりも、SEO対策を優先し、大量の記事を生成することに注力した結果、法令や倫理規範が軽視される構造が生まれていました。
3.問題の根源:単なる法令違反を超えて
この事件の本質は、表面的な法令違反にとどまりません。中川総合法務オフィスの代表が指摘するように、より根深く、多層的な問題が絡み合っています。
- プラットフォーム事業者の責任: インターネット上で「場」を提供するプラットフォームは、そこで流通する情報の質や適法性に対して、どこまで責任を負うべきか。DeNAのケースは、単なる場の提供者という立場を超え、コンテンツ生成に深く関与していた実態がありながら、その責任を十分に果たしていなかったことを示しています。現代では、プラットフォーム事業者の社会的責任はますます重くなっています。
- 安易な外部委託と管理体制の欠如: 多数の記事を安価かつ大量に生成するため、外部ライターに広範に委託していましたが、その品質管理や著作権・薬機法等に関する教育、チェック体制が極めて不十分でした。コスト削減やスピード重視が、品質とコンプライアンスの犠牲の上に成り立っていました。
※この安易な外部委託については、著作権違反で地元の京都企業より委託を受けて中川総合法務オフィスが詳細な調査報告書を出した結果、訴訟になって賠償金を取るケースもありました。 - M&AにおけるPMIの失敗: 事業拡大を急ぐあまり、買収した企業の事業(キュレーションメディア)に対するデューデリジェンス(事前調査)や、買収後の統合プロセス(PMI: Post Merger Integration)におけるガバナンス、コンプライアンス体制の構築が不十分だった可能性があります。M&Aは成長戦略の有効な手段ですが、統合後のリスク管理を怠れば、大きな禍根を残します。
- 「売上至上主義」と企業文化: 短期的な収益目標の達成が最優先され、コンプライアンスや倫理的な配慮が後回しにされる企業文化が醸成されていたのではないでしょうか。これは、ワタミの過重労働問題など、他の企業不祥事にも共通して見られる構造です。経営トップの姿勢が、組織全体の価値観や行動基準に大きな影響を与えます。
- コンプライアンス・法規範の軽視: 著作権や薬機法といった法律が、ビジネス上の「コスト」や「制約」程度にしか認識されず、守るべき社会規範としての重要性が理解されていなかった可能性があります。コンプライアンスは、単なるルール遵守ではなく、企業が社会から信頼され、持続的に発展するための根幹です。遵守すべきは法の精神であり、その背景にある倫理観です。
- 責任の取り方の問題: 問題発覚後の記者会見のメンバー構成や、その後の対応において、真に責任ある立場の人間が矢面に立たなかったとの批判もあります。不祥事発生時における真摯な反省と、実効性のある再発防止策、そしてステークホルダーへの透明性の高い説明責任が求められます。
4.DeNAの対応と再発防止策
DeNAは第三者委員会の提言を受け、以下のような再発防止策を発表しました。
- 経営体制の変更: 代表取締役を2名体制とし、創業者である南場会長が代表取締役に復帰。取締役会による監視機能の強化。
- コンプライアンス・管理体制の強化: 専門部署の設置、法務・知財部門の強化、記事審査プロセスの厳格化など。
- 役職員の意識改革: コンプライアンス研修の実施、倫理意識の向上。
これらの形式的な体制変更や研修が、真に企業文化を変革し、実効性を持つものとなったかについては、継続的な検証が必要です。「格付け委員会」などの外部評価も参考に、多角的な視点での評価が重要となります。(参考:格付け委員会サイト http://www.rating-tpcr.net/result/#13
)
5.現代企業への教訓:コンプライアンスとリスクマネジメントの本質
DeNAキュレーションメディア問題は、変化の激しい現代において、すべての企業にとって重要な教訓を含んでいます。
- コンプライアンスは経営の根幹: コンプライアンスは、単なる「守り」のコストではなく、企業の社会的信頼を築き、持続的な成長を支える「攻め」の基盤です。法令遵守はもちろん、社会規範や倫理観に基づいた誠実な事業活動が不可欠です。
- リスクマネジメントの実効性: 「3つのディフェンスライン」(事業部門、管理部門、内部監査部門)やERM(全社的リスクマネジメント)といったフレームワークを導入するだけでなく、それが組織内で形骸化せず、実質的なリスクの特定、評価、対応、モニタリングとして機能しているかが重要です。特に、経営トップのコミットメントと、リスクをオープンに議論できる企業文化が鍵となります。リスクは完全に排除できるものではなく、変化する環境の中でいかにレジリエンス(回復力・適応力)を高めるかという視点が求められます。
- テクノロジーと倫理の両立: AIを含む新しいテクノロジーを活用する際には、効率性や収益性だけでなく、倫理的な問題や社会への影響を十分に考慮する必要があります。技術の進歩は、人間の判断や倫理観の重要性を低下させるものではありません。むしろ、より高度な倫理的判断が求められる場面が増えています。
- 専門性と倫理観の統合: 法律、経営、テクノロジーなど、各分野の専門知識は重要ですが、それらが倫理観と結びついて初めて社会に貢献するものとなります。中川総合法務オフィスの代表が示すように、社会科学、人文科学、自然科学といった幅広い知見を統合し、物事の本質を見抜く複眼的な思考を持つことが、複雑化する現代社会で企業が正しい舵取りを行うために不可欠です。職業倫理の確立は、コンプライアンス再生の中心課題と言えるでしょう。
おわりに
DeNAキュレーションメディア問題は、インターネットビジネスの急速な発展の裏で、基本的なコンプライアンスや倫理観がいかに簡単に崩れ去るかを示した事例です。この教訓を活かし、企業は目先の利益や効率性にとらわれることなく、法令遵守、リスク管理、そして高い倫理観に基づいた経営を実践していく必要があります。それが、社会からの信頼を獲得し、持続的な成長を達成するための唯一の道です。
なお、最後にこの不祥事の根深さをまとめて指摘します。
(1)本件のDeNAのキュレーション問題は、
インターネットのプラットホームの問題、
記事の委託先の管理の問題、
マスメディアの創業者賛美による売り上げ第一主義、
マスコミなどメディアの視聴率第一経営姿勢の問題(ワタミの過重労働自殺問題なども同じ)、
企業買収(M&A)事業拡大におけるPMI (Post Merger Integration)問題、
取引先決定の公正さの問題、
不祥事における責任の取り方の問題、
社会的損害に対する無責任、
著作権法の理解不足、軽視と法規範としての2次的扱い、
(2)コンプライアンス違反があったのであれば、本サイトの私の論考にあるように、正面からコンプライアンスの適正復活に心血を注ぐべきで、そこでは職業倫理の形成方法が中心になるがいかにして達成するのか。
(3)もちろん、リスクマネジメントの問題として、
3つのデフェンスライン、
ERM2017の企業への取り込み
などはこの会社などの最大の喫緊問題です。