はじめに
現代社会は、デジタル技術の指数関数的な発展とネットワークの普遍化により、誰もが創造者となり、また同時に他者の創造物を利用する者となり得る時代です。このような状況下で、著作権法の役割は、創作者の権利を保護するという伝統的な使命に加え、新たな文化の創造と発展を促進するために、著作物の公正かつ円滑な利用をいかにして実現するかという、より複雑で高度な次元の課題に直面しています。
その核心的な論点として、長年にわたり議論の的となってきたのが、米国著作権法の「フェアユース(公正利用)」に相当する、包括的で柔軟な権利制限規定を我が国の法体系に導入すべきかという問題です。
中川総合法務オフィスの代表、中川が長年の実務と研究で培った視点から、この「フェアユース」問題を、単なる法解釈の議論に留めず、社会科学、人文科学、そして自然科学の領域までをも射程に入れた、複眼的かつ深遠な洞察をもって解き明かします。法は社会の写し鏡であり、社会の叡智を集めた良識であり、その変遷は我々の文明の進むべき道を指し示す羅針盤でもあるのです。
第1章:フェアユース導入議論の歴史的経緯と平成30年改正の意義
我が国におけるフェアユース導入の議論は、決して新しいものではありません。古くは麻生内閣の時代にまで遡り、2010年には文化庁から報告書が提出されるなど、その必要性が真剣に検討されてきました。しかし、今日に至るまで、米国型の一般的なフェアユース規定は導入されていません。
先日の著作権法学会でも、このテーマは熱い議論を呼び、若手の新進気鋭な報告に対して、経験豊富な大家から鋭い指摘がなされる光景は、この問題の根深さを象徴していました。
そして、大きな転換点となったのが「平成30年(2018年)著作権法改正」です。この改正は、フェアユースという一般条項を設けるのではなく、より具体的で予測可能性の高い複数の「柔軟な権利制限規定」を整備する道を選びました。文化庁は改正の趣旨を次のように説明しています。
「我が国の企業の法令順守意識,国民の著作権に対する理解の度合い,訴訟制度,立法府と司法府の役割分担の在り方,罪刑法定主義との関係といった観点を総合すれば,フェアユース規定のような規定ではなく,明確性と柔軟性の適切なバランスを備えた複数の規定の組合せによって対応することが最も望ましい。」
この理念のもと、以下の3つの主要な規定が新設・整備されました。
- 思想又は感情の享受を目的としない利用(第30条の4): AI開発のための学習用データとしての利用や、情報解析などがこれにあたります。
- 電子計算機における著作物の利用に付随する利用等(第47条の4): キャッシュなど、コンピュータ処理の過程で必然的に生じる一時的な複製を対象とします。
- 情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等(第47条の5): 検索結果のスニペット表示(検索エンジンの検索結果に表示されるウェブサイトの説明文)などが想定されています。
これは、米国の「司法による個別判断」を重視するアプローチとは対照的に、日本の「立法による事前類型化」を基本とする姿勢の現れであり、法文化の違いが如実に示された結果と言えるでしょう。
第2章:司法の判断-ラストメッセージ事件にみる日本のスタンス
立法府が慎重な姿勢を示す一方で、司法府はどのようにこの問題と向き合ってきたのでしょうか。その試金石となったのが、「ラストメッセージ事件」(東京地判平7・12・18)です。この判決は、日本の著作権法における「公正な利用」の立ち位置を明確にしました。
「本法は、第一条において、文化の発展という最終目的を達成するためには、著作者等の権利の保護を図るのみではなく、著作物の公正利用に留意する必要があるという当然の事理を認識した上で、…(中略)…具体的かつ詳細に定め、それ以上に「フェア・ユース」の法理に相当する一般条項を定めなかったのである。」
この判示は、著作権法がすでに権利制限規定を具体的に列挙しており、それ以外の利用については、裁判所が独自の「フェアユース」基準で判断することに抑制的であることを示唆しています。これは、法的安定性と予測可能性を重んじる大陸法的な思考の系譜に連なるものと解釈できます。
第3章:米国フェアユースの本質と日本への導入なき理由の哲学的考察
では、なぜ米国ではフェアユースが機能し、日本では導入が見送られ続けるのでしょうか。その根源を探るには、法制度の表面的な比較に留まらず、その背景にある哲学思想、さらには国民性にまで踏み込む必要があります。
米国のフェアユースは、以下の4つの要素を総合的に考慮して、ケースバイケースで判断されます。
- 利用の目的と性格(商業的か、非営利的・教育的か)
- 著作物の性質
- 利用された部分の量と実質性
- 利用が著作物の潜在的市場や価値に与える影響
この柔軟性は、創造と模倣、独占と共有という、文化発展に不可欠な二律背反の要素を、絶え間ない対話と緊張関係の中で調整していくという、プラグマティズム(実用主義)的な知恵の結晶です。それは、フロンティア精神に象徴される、試行錯誤を許容し、新たな価値創造を奨励するアメリカの文化そのものを反映しているかのようです。
翻って日本は、「和」を尊び、事前調整とコンセンサスを重視する文化です。明確なルールのないフロンティアに飛び出すよりも、定められた枠組みの中で創意工夫を凝らすことに長けてきた歴史があります。平成30年改正の「柔軟な権利制限規定」は、まさにこの文化的土壌が生んだ、日本的な課題解決のアプローチと言えるでしょう。
第4章:生成AI時代の到来と著作権実務の最前線
近年、ChatGPTやMidjourneyに代表される生成AIの急速な進化は、著作権の領域に新たな、そして根源的な問いを突きつけています。AIが学習データとして大量の著作物を利用することは、まさに平成30年改正第30条の4が想定した場面ですが、その出力物が既存の著作物と酷似していた場合、それは「公正な利用」の範囲を超えるのではないかという懸念が世界中で高まっています。
このような複雑かつ流動的な状況においてこそ、我々法律実務家の真価が問われます。例えば、キャラクターの著作権譲渡契約を巡る「ひこにゃん事件」では、契約書に明記されていない権利(翻案権等)の帰属が争点となり、社会的な注目を集めました。この事件において、当オフィスの代表は読売テレビに著作権専門家として招聘され、契約における権利処理の重要性について解説するなど、長年にわたる著作権実務の豊富な実績を有しております。
一個のキャラクター、一枚のイラストが、契約の不備によっていかに大きな紛争の火種となり得るか。それは、法という社会のインフラがいかに精緻な設計と運用を求められるかを示す好例です。
おわりに
「フェアユース」を巡る議論は、単に外国の法制度を輸入するか否かという表層的な問題ではありません。それは、私たちがどのような社会を目指し、どのように文化の発展を支えていくのかという、根本的な価値観を問うものです。
中川総合法務オフィスは、法律や経営という社会科学の知見はもとより、哲学や歴史といった人文科学、さらには物事の本質を見極める自然科学的な思考法までをも統合し、クライアントが直面する複雑な課題に対して、最適かつ創造的な解決策を提示することを使命としています。
著作権に関するお悩みは、創作活動の根幹に関わる重要な問題です。当オフィスでは、皆様が安心して創造の翼を広げられるよう、全力でサポートいたします。
初回のご相談は無料です。お気軽にお問い合わせください。
中川総合法務オフィスでは、著作権に関するあらゆるご相談について、初回の30分~50分を無料で承っております。面談(当オフィス等)またはZoom等を利用したオンラインでのご相談が可能です。一人でお悩みになる前に、ぜひ一度、専門家の知見をご活用ください。
ご予約・お問い合わせ
- お電話: 075-955-0307
- メールフォーム: https://compliance21.com/contact/