コンプライアンス研修や講演、そしてコンサルティングを通じて日々感じている、ハラスメント問題の根深さについての事例を紹介させていただきます。昨今、企業や団体においてコンプライアンスの重要性が叫ばれる一方で、残念ながらハラスメントに関する相談や問題は依然として後を絶ちません。特に、労働現場や各種団体において、その根絶には程遠い現状があります。
今回取り上げるのは、東京高等裁判所令和4年5月31日の判決、いわゆるセクハラ事件です。この判決は、男女雇用機会均等法が求める、女性の地位に対する配慮、性差別のない職場環境、そしてセクシュアルハラスメントのない環境の実現がいかに重要であるかを改めて示唆しています。これらの配慮を怠れば、法律違反となり、損害賠償請求といった事態を招きかねません。かつては組織の賠償責任が明確になるケースは少なかったのですが、世界保健機関(WHO)の提言を受け、男女雇用機会均等法には事業主の配慮は措置義務と明記され、日本もその流れに沿っています。しかし、このような判例が出ている現状を見ると、その趣旨が現場レベルまで十分に浸透しているとは言えないでしょう。
ハラスメントに関する重要な最高裁判例 - 大阪海遊館事件からの教訓
このような状況を踏まえ、改めて注目すべきは、ハラスメントに関する画期的な最高裁判例が二つ存在することです。その一つが、平成27年2月26日の大阪海遊館事件判決です。この判決は多岐にわたる重要な点を指摘していますが、コンプライアンス専門家の視点から特に重要なポイントを3つ挙げたいと思います。
1. 言葉によるセクシュアルハラスメントの明確化
この判決が画期的だったのは、昭和の時代とは異なり、言葉によるセクシュアルハラスメントも明確にハラスメントとして認定した点です。職場における性的な話題は、それを不快に感じる者にとっては精神的な苦痛以外の何物でもありません。聞きたくないことを聞かされる苦痛、不快感は計り知れません。裁判所は、セクシュアルハラスメントにおける不快感の基準は、原則として被害者がどう感じたかという点に置くべきであるという判断を示しました。
2. マタニティハラスメントに関する重要な判例
もう一つ重要な判例として、平成26年10月23日の最高裁判決、同じく大阪海遊館事件の前年に出されたマタニティハラスメントに関する判決があります。これは、女性が職場で妊娠したことに対する差別的な言動が、重大なハラスメントに該当することを示したものです。これらの二つの最高裁判例によって、セクシュアルハラスメントやマタニティハラスメントといった行為は、裁判になれば厳しく糾弾されることが明確になりました。しかしながら、依然としてこれらのハラスメントに起因する事件が発生していることは憂慮すべき事態です。
東京高裁令和4年5月31日判決 - 医療法人におけるセクハラ事件の概要
今回注目する東京高等裁判所令和4年5月31日の判決は、ある医療法人におけるセクシュアルハラスメントに関する事件です。この医療法人には、医師、看護師、栄養士など、様々な職種の職員が在籍していました。特に、入院患者の食事管理は、栄養士の専門性が不可欠であり、患者の生命維持に直結する重要な業務です。
この医療法人において、事務長の下に次長という立場の職員がおり、実務上、現場の職員を指導する重要な役割を担っていました。しかし、この次長が長年にわたりセクシュアルハラスメント的な言動を繰り返しており、被害を受けた職員たちがその行為をやめるよう訴えていました。代表者もこの事態を把握し、次長に指導を行いましたが、驚くべきことに、判決を読む限り、その後も次長のハラスメント行為は止まらなかったようです。
この事例は、私が以前関わった愛知県の福祉関係の豊川市役所事件、いわゆる「スーパー福祉部長事件」と類似していると感じました。これらの事件に共通するのは、加害者が組織内で強い権限を持っているため、周囲が注意や制止をすることが困難であるという点です。加害者は、自身の地位を利用し、もし自分が不在になれば現場が回らないといった認識を持っている場合があり、その結果、違法な行為であっても誰も止めることができない状況を生み出してしまうのです。
最終的に、この医療法人の代表者は、セクシュアルハラスメントを理由に次長を解雇せざるを得ませんでした。そして、この解雇の正当性が争われたのが本件の裁判です。私自身は、このような悪質なハラスメント行為に対しては、解雇はやむを得ない判断だと考えます。
ハラスメント問題の根底にある日本社会の寛容さと世代間ギャップ
しかしながら、この事件を考える上で、ハラスメントという問題の根底にある日本社会の特性にも目を向ける必要があります。大阪海遊館事件の判決でも示唆されているように、性的なことに対する日本人の寛容さ、そして歴史的な背景も考慮に入れるべきでしょう。昭和の時代には、セクシュアルハラスメントという概念自体が社会的に十分に認識されておらず、不適切な言動が半ば許容されていた時代がありました。そのため、当時の価値観の中で育った世代の中には、自身の言動が現代の規範に照らし合わせるとハラスメントに該当するという認識が低い人もいるかもしれません。これは、まさに世代間のギャップとして、ハラスメント問題の解決を難しくしている要因の一つと言えるでしょう。
コンプライアンス違反という視点で見ると、ハラスメントは単なる個人の問題ではなく、組織全体の課題として捉える必要があります。指定された担当部署だけでなく、組織内部全体でハラスメントを防止し、早期に発見・解決するための仕組みを構築することが不可欠です。そのためには、組織のトップである代表者が、コンプライアンスを経営の重要課題として認識し、積極的に取り組む姿勢を示すことが何よりも重要です。私がコンサルティングを行う際、トップの方と直接お話しする機会が多いのは、まさにこの点に理由があります。
男女雇用機会均等法をはじめとする関連法規は、改正を重ね、ハラスメント防止のための規定は年々強化されています。例えば、ハラスメントに関する相談窓口の設置や、通報者に対する不利益な取扱いの禁止などが明文化されています。パワハラ防止のための労働施策総合推進法も同様です。
さらに、組織的な対応として、ハラスメントに関する相談体制の充実が不可欠です。相談しやすい環境を整備し、相談があった場合には適切に対応できる体制を構築することが重要です。また、組織の実情に合わせたハラスメント防止規程を策定することも重要です。その際、匿名の相談を認めるかどうかなど、具体的な運用方法についても検討する必要があります。これらは全て、組織の代表者がコンプライアンスをどのように捉え、どのように組織運営に反映させるかという姿勢に大きく左右されます。
ハラスメントの種類と特徴 - 不利益型と環境型
セクシュアルハラスメントには、大きく分けて不利益型と環境型があります。不利益型は、ハラスメント行為によって被害者が何らかの不利益を受けるものです。私が以前相談を受けた事例では、我慢していれば車を与えられるといった優遇措置と引き換えに、セクシュアルハラスメントが行われていたというケースもありました。
一方、環境型は、職場全体の雰囲気がハラスメントによって悪化し、働く上で不快な環境が生じている状態を指します。性的な冗談や噂話が飛び交うような職場では、誰もが安心して働くことはできません。加害者は場を盛り上げているつもりかもしれませんが、被害者にとっては耳障りなだけであり、仕事への集中を妨げる要因となります。特に、セクシュアルハラスメントにおいては、パワハラとは異なり、被害者が性的に不快だと感じた時点で成立すると考えるべきです。
医療法人におけるハラスメント対策の重要性 - 配置転換の難しさも考慮して
今回の医療法人の事例でも、裁判官が指摘しているように、当該部署の常勤職員が全員女性であったという特殊な状況がありました。そのため、被害者を加害者から遠ざけるための配置転換という措置を講じることが難しかったと考えられます。これはあくまで推測ですが、代表者が人員を採用する際に、男性職員も積極的に採用するなど、人員構成のバランスにも配慮する必要があったかもしれません。
いずれにしても、医療現場におけるコンプライアンスの徹底、特にハラスメントの防止は喫緊の課題です。医療法人の外部からの評判にも大きな影響を与えかねません。医療法人全体として、この問題に真摯に取り組み、実効性のある対策を講じることが求められます。私も、引き続きこれらの問題意識を持ち、皆様のお役に立てるよう努めてまいります。
【中川総合法務オフィス】
当オフィスでは、企業・団体におけるコンプライアンス体制の構築、ハラスメント対策、各種法律相談など、専門的なサポートを提供しております。コンプライアンスに関するお悩みやご相談がございましたら、お気軽にお問い合わせください。