2025年(令和7年)10月1日、公証役場の実務に「デジタル化」という大きな波が押し寄せる。これまで「紙とハンコ、そして対面」が絶対的な原則であった公正証書の世界が、ついにインターネットやウェブ会議システムを受け入れることになるのだ。
中川総合法務オフィス代表として、企業法務やコンプライアンスの現場に立ち会ってきたが、今回の改正は個人の相続対策、特に「公正証書遺言」の作成実務において極めて大きな転換点となると感じている。本稿では、公開された資料をもとに、このデジタル化が遺言にどのような影響を与えるのか、そのメリットと看過できないハードルについて専門家の視点で解説する。
1. 公証役場へ行かずに遺言が作れる「リモート方式」の導入
最大の変更点は、ウェブ会議(リモート方式)の解禁である。
これまで公正証書遺言を作成するには、原則として遺言者が公証役場へ出向くか、病気等で動けない場合は公証人に病院や自宅へ出張してもらう必要があった。しかし、2025年10月以降は、指定公証人の役場において、ウェブ会議システムを利用した作成が可能となる。
具体的には、遺言者は自宅にいながら、PC画面越しに公証人と対話し、本人確認や遺言内容の読み聞かせを受けることになる。署名もタブレット端末等への電子サインやマイナンバーカードを用いた電子署名で完結するため、実印の押印すら不要となる。
これは、足腰が不自由な高齢者や、感染症対策で外出を控えたい方にとっては朗報と言えるだろう。
2. 「電子データ」が原本となる大転換
作成された公正証書は、これまでの「紙」ではなく「電子データ」として保存されるのが原則となる。 遺言者(嘱託人)が受け取る正本や謄本についても、以下の3パターンから選択可能となる。
- 電子データを出力した書面(紙)で受け取る
- クラウド経由でメール受信し、データで受け取る
- USBメモリ等を持ち込み、データで受け取る
遺言書が「データ」として公証役場のサーバー(クラウド)に安全に保管されることは、紛失や火災による焼失リスクの回避という観点で、コンプライアンス・リスク管理上も合理的な進化である。
3. 見逃せない「手数料の改定」と「技術的ハードル」
利便性が向上する一方で、実務家として指摘しておかなければならない「落とし穴」も存在する。
① 手数料の実質的値上げ デジタル化に伴い、手数料体系が見直される。遺言公正証書の場合、目的価額が1億円以下であれば、従来の手数料に1万3000円が加算されることになった。デジタルインフラの維持コストと考えればやむを得ないが、利用者にとっては負担増となる点は留意が必要だ。
② 高齢者には厳しい技術要件 リモート方式を利用するための機材要件が意外にシビアである。資料によれば、スマートフォンやタブレット単体でのウェブ会議参加は認められず、「パソコン」が必須とされている(電子サイン用に別途タブレット等は可)。 さらに、OSはWindows 10/11や最新のMacOSに限られ、ブラウザのバージョン指定もある。多くの高齢者がこのIT環境を自力で整備できるかといえば、甚だ疑問である。
③ 公証人の裁量権 リモート方式は無条件に認められるわけではない。「公証人が相当と認める場合」に限られる。遺言能力(認知症の有無など)の確認が微妙なケースでは、画面越しではなく、これまで通り対面での作成(または出張)を求められる可能性が高いだろう。
総括:専門家のサポートがより重要に
公証役場のデジタル化は、制度としては素晴らしい進歩だ。しかし、遺言作成の現場、特に高齢者を対象とした実務においては、IT環境の整備や接続サポートといった新たな「障壁」が生まれることも予想される。
また、電子署名やデータ管理といった新たなプロセスは、不慣れな一般の方にとって心理的なハードルになり得る。公正証書遺言の作成を検討する際は、法的な内容の精査だけでなく、こうしたデジタル手続きへの対応も含めて、我々のような専門家に相談することをお勧めする。

