はじめに:相続という人生の問いに向き合う

人がこの世を去る時、遺されるのは思い出だけではありません。その人が生涯をかけて築き、また背負ってきた財産、すなわち「権利と義務」の総体が、次の世代へと受け継がれていきます。これが相続の本質です。

私たち中川総合法務オフィスは、これまで京都・大阪を中心に1000件を超える相続のご相談をお受けしてまいりました。その中で、ほとんどの方が最初に直面する根源的な問いが、「一体、どこまでが相続財産に含まれるのか?」という問題です。預貯金や不動産といったプラスの財産はもちろん、借金や保証債務といったマイナスの財産も対象となることは、多くの方がご存知かもしれません。しかし、その境界線は時に曖昧で、法律の条文を読み解くだけでは見えてこない深淵が広がっています。

当オフィスの代表は、法律や経営という社会科学の領域に留まらず、哲学・思想といった人文科学、さらには自然科学にも深い知見を有しております。その観点から見れば、相続法とは単なる手続きの規定ではなく、個人の尊厳、家族という共同体のあり方、そして社会の連続性をいかにして保つかという、古来からの人類の叡智が込められたものと言えます。

本稿では、単に法律の条文を解説するに留まらず、その背景にある思想や裁判所の判断(判例)の真意にも光を当てながら、「相続財産の範囲」という問いに、多角的に、そして深くお答えしていきます。

1. 相続の大原則:「一切の権利義務」を承継するということ

相続のすべてを貫く大原則が、民法第896条に示されています。

(相続の一般的効力) 第八百九十六条  相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。

ここに登場する「一切の権利義務」という言葉が、相続の包括的な性質を物語っています。これは、被相続人(亡くなった方)が有していた、ほぼすべての財産上の権利と義務を、相続人が丸ごと引き継ぐことを意味します。

  • 権利(プラスの財産): 不動産の所有権、預貯金、株式、自動車、債権(誰かにお金を貸している権利)など。
  • 義務(マイナスの財産): 借金、未払いの税金、損害賠償義務、そして後述する「保証債務」など。

申込みを受けた地位や、売主としての担保責任を負う地位といった、契約上の「立場」までもが承継の対象となるのです。これは、個人の経済活動がその人の死によって断絶せず、社会的な連続性を保つための仕組みであり、近代市民社会を支える根幹的な思想の現れとも言えるでしょう。

2. 相続の「聖域」:一身専属権と祭祀財産

前述の民法第896条には、「ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない」という重要な例外規定があります。これは、その人個人だからこそ意味を持つ権利や義務は、相続の対象から外れることを示しています。

(1) 一身専属権 ― その人にしか帰属しない権利義務

一身専属的なものとは、個人の人格や才能、特別な信頼関係と分かちがたく結びついているため、他人が引き継ぐことが性質上不可能なものを指します。

  • 具体例:
    • 雇用契約に基づく労働者としての地位
    • 扶養を受ける権利(扶養請求権)
    • 親権
    • 生活保護受給権、公的年金受給権
    • 国家資格(医師免許、弁護士資格など)

これらの権利は、その人の能力や生活状況を前提としているため、相続人が引き継ぐことには馴染みません。個人の尊厳とは何か、という哲学的な問いに対する、法の一つの答えがここにあるのです。

(2) 祭祀財産 ― 祖先を祀る心の継承

もう一つの大きな例外が「祭祀(さいし)財産」です。これは、相続財産とは全く別のルールで承継されます。

(祭祀に関する権利の承継) 第八百九十七条  系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する。(以下略)

  • 祭祀財産の具体例:
    • 系譜: 家系図など
    • 祭具: 仏壇、仏具、神棚など
    • 墳墓: 墓地、墓石

これらの財産は、金銭的価値で分割するようなものではなく、ご先祖様を祀るという精神的な営みのためのものです。そのため、相続人全員で分割するのではなく、祭祀を主宰すべき者(喪主を務めた長男など)が一人で承継するのが一般的です。これは、法制度として「家制度」が廃止された現代においても、日本人の心根に深く根付く祖先崇拝や血族の情といった文化的背景を、法が尊重している証左と言えるでしょう。最高裁判所も、遺骨は祭祀を主宰すべき者に帰属するとの判断を示しています(最判平1・7・18)。

3. 「相続財産」か否か?判断が分かれるケース

実務上、特にご相談が多いのが、死亡退職金や生命保険金、そして借金や保証債務の扱いです。これらは法律の原則だけでは判断できず、過去の裁判例が重要な指針となります。

(1) 死亡退職金・生命保険金 ― 遺された家族のための固有の権利

結論から言うと、これらは原則として相続財産には含まれません

  • 死亡退職金: 会社の規定などにより受取人が定められている場合、その死亡退職金は、受取人固有の権利と解釈されます。つまり、亡くなった方の財産を経由せず、直接受取人が受け取るものと考えられているのです(最判昭55・11・27)。
  • 生命保険金: 保険契約で受取人が指定されている場合(例:「妻A」や「子B」)、その保険金は受取人の固有財産となります。これは、被保険者が自分の死後、特定の誰かの生活を保障するために契約した「他人のための保険契約」と解されるためです(最判昭40・2・2)。

したがって、これらのお金は遺産分割協議の対象外であり、他の相続人と分ける必要はありません。ただし、受取人指定が単に「相続人」となっている場合は、法定相続分に応じて各相続人が取得するのが原則です(最判平6・7・18)。

(2) 契約上の地位 ― ケースバイケースの判断

代理、委任、使用貸借(無償での貸し借り)といった契約は、当事者間の信頼関係を基礎とするため、本人の死亡によって終了するのが原則です。しかし、裁判所は時に、実態に即した柔軟な判断を下します。例えば、長年同居し家族同然の関係にあった相続人が、親の借りていた家に住み続ける権利を認めた例(東京高判平13・4・18)や、一定の条件下でゴルフ会員権の相続を認めた例(最判平9・3・25)などがあります。

(3) 最も警戒すべき「負の財産」 ― 保証債務の相続

相続において最も注意が必要なのが、この保証債務です。

  • 通常の保証債務(連帯保証など): 原則として相続されます。 被相続人が誰かの借金の連帯保証人になっていた場合、その保証人としての地位と義務は、法定相続分に応じて相続人が引き継ぐことになります。ある日突然、金融機関から多額の返済請求が届くという事態も起こり得るのです。
  • 例外(身元保証など): 一方で、「身元保証契約」における保証人の義務は、その人個人の信頼に基づく「一身専属的」な性質が強いとされ、原則として相続されません(大判昭2・7・4)。

このように、保証と一括りにせず、その性質を見極めることが極めて重要です。

まとめ:複雑な相続問題は、経験豊富な専門家へ

ここまで見てきたように、「相続財産の範囲」は、法律の条文、裁判所の判断、そして社会の慣習や思想が複雑に絡み合って決まります。近年では、ネットバンクやSNSアカウントといった「デジタル遺産」の扱いも新たな課題として浮上しており、その判断はますます専門的になっています。

安易な自己判断は、思わぬ権利を失ったり、予期せぬ義務を背負ったりする危険を伴います。相続とは、故人の人生の最終章を締めくくり、次の世代へと繋ぐ大切な手続きです。その重要な局面に際して、確かな知見と豊かな経験を持つ専門家の助言は、必ずや皆様の道標となるでしょう。


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