はじめに——「機会の確保」という言葉に潜むリスク
2025年6月13日、スポーツ基本法が制定から14年で初めて大きく改正され、参議院本会議で可決・成立した。スポーツ庁は同年6月20日付で都道府県教育委員会・各スポーツ団体宛に次長通知を発出し、同年9月1日付で正式施行された(政令第三百二号)。
改正の詳細はスポーツ庁公式ページ(スポーツ基本法について|スポーツ庁)に一次資料が揃っている。理事・マネジメント層は必ず一次資料を確認されたい。
本稿が扱う第21条〜第24条の2は、「多様なスポーツ機会の確保のための環境の整備」という節に位置し、地域スポーツクラブへの支援から、2025年改正で新設された「スポーツホスピタリティ(第21条の2)」「ICTを活用したスポーツ機会の充実(第24条の2)」まで、現代のスポーツ団体運営の核心を突く条文群である。
一見、「国や地方公共団体が努力する義務」の話に見えるかもしれない。しかし、これらの条文の対象には地域スポーツクラブ・競技連盟・プロチーム・大学・高校の部活動がすべて含まれる。「努力義務」の名のもとに放置すれば、補助金不正・指導者選考の不透明・ICTを使ったハラスメントという現実のリスクが静かに積み上がっていく。
■ 私のバレーボール経験から見えるもの
少し個人的な話をさせてほしい。
私は全日本高校選抜のバレーボール選手として選ばれた経験がある。進学校で文武両道を貫き、「スーパースター」と呼ばれることもあった。強化合宿では全国から集まる選手たちと肩を並べ、指導者の言葉一つで運命が変わる場面を何度も目の当たりにした。
あのとき、私が感じていた疑問がある。「なぜ、あの選手が選ばれたのか」——選考基準が明示されていなかった。指導者への不満は誰も口にしなかった。声を上げることは「チームの和を乱す」とみなされる空気があった。
あれから数十年、私はコンプライアンス専門家として850回超の研修を重ねてきた。建設業・IT業界・金融機関……さまざまな業界で「組織の不正はなぜ起きるか」を見続けた結論として言える。スポーツ界の問題は、他業界の組織不正と本質的に同じ構造を持っている。「声を上げられない空気」「不透明な意思決定」「制度の不備」——この三拍子が揃ったとき、不祥事は必ず起きる。
第21条〜第24条の2は、その「声を上げられる環境」と「透明な運営」を法律レベルで要請しているのだ。
■ 条文本文と文理解釈
第二節 多様なスポーツの機会の確保のための環境の整備
第21条(地域におけるスポーツの振興のための事業への支援等)
第二十一条 国及び地方公共団体は、国民がその興味又は関心に応じて身近にスポーツに親しむことができるよう、地域スポーツクラブが行う地域におけるスポーツの振興のための事業への支援、住民が安全かつ効果的にスポーツを行うための指導者等の配置、住民が快適にスポーツを行い相互に交流を深めることができるスポーツ施設の整備その他の必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
【文理解釈】本条は、国・地方公共団体に対し「努力義務」を課す規定であり、直接的な義務規定(「しなければならない」)ではない。しかし、法律上の努力義務は決して無視してよいものではなく、予算措置・補助金交付・施設整備といった具体的施策の根拠条文として機能する。
本条の要点は三つである。
第一に「地域スポーツクラブへの支援」。ここでいう地域スポーツクラブとは、住民が主体的に運営するスポーツ団体(総合型地域スポーツクラブ等)を指す(第21条・第22条第1項参照)。国・自治体から補助金・委託料・施設使用優遇等の形で支援が行われることが前提となっている。
第二に「指導者等の配置」。「安全かつ効果的」という文言に注目されたい。指導者の資格要件・経歴・適性の確認は、団体側の責務でもある。
第三に「スポーツ施設の整備」。快適かつ安全な施設の維持管理は、物理的なハラスメント防止(密室での指導等)という観点からも重要である。
第21条の2(多様な需要に応じたスポーツを楽しむ機会等の確保)【2025年改正新設】
第二十一条の二 国及び地方公共団体は、多様な需要に応じてスポーツを楽しむ機会等を確保するとともに、これを通じて、スポーツ産業の事業者その他の事業者の事業機会の増大及び地域経済の活性化を図るため、スポーツを楽しむ機会等に関連する良質かつ付加価値の高いサービスの提供に必要な環境の整備その他の必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
【文理解釈】本条は2025年改正で新設された。スポーツ庁は改正概要においてこれを「スポーツホスピタリティ」の位置づけとして説明している(スポーツ庁「改正法概要」参照)。
「多様な需要」とは、いわゆる「する」「見る」「支える」「集まる」「つながる」という五つのスポーツ関与形態すべてを包含する概念である(改正法前文参照)。観戦ビジネス・ファンコミュニティ運営・スポーツツーリズムなど、プロスポーツ団体・競技連盟にとって直接の事業機会に関わる。
「良質かつ付加価値の高いサービス」という文言は、単に安い・多いだけではなく、質的担保(安全・公正・適切)を伴うサービスが求められることを示す。後述の第24条の2と連動して、ICTを活用したサービス提供においても「公正かつ適切」であることが要件となる。
第22条(スポーツ行事の実施及び奨励)
第二十二条 地方公共団体は、広く住民が自主的かつ積極的に参加できるような運動会、競技会、体力テスト、スポーツ教室等のスポーツ行事を実施するよう努めるとともに、地域スポーツクラブその他の者がこれらの行事を実施するよう奨励に努めなければならない。
2 国は、地方公共団体に対し、前項の行事の実施に関し必要な援助を行うものとする。
【文理解釈】第1項は地方公共団体の努力義務、第2項は国の義務(「行うものとする」)と、義務の強度が異なる点に注意が必要である。
「自主的かつ積極的に参加できるような」という文言は、参加ハードルの低減・インクルーシブデザイン・障害者参加への配慮(改正法第2条第5項の共生社会理念との連動)を含意する。
競技会・体力テスト等の実施主体となる地域スポーツクラブや競技連盟にとっては、これらの行事が国や自治体の補助を受ける根拠条文となる。逆に言えば、補助金を受けて行事を実施する以上、その経理・選考・運営に透明性が求められる。
第23条(スポーツの日の行事)
第二十三条 国及び地方公共団体は、国民の祝日に関する法律第二条に規定するスポーツの日において、国民の間に広くスポーツについての関心と理解を深め、かつ、積極的にスポーツを行う意欲を高揚するような行事を実施するよう努めるとともに、広く国民があらゆる地域でそれぞれその生活の実情に即してスポーツ
を行うことができるような行事が実施されるよう、必要な施策を講じ、及び援助を行うよう努めなければならない。
【文理解釈】スポーツの日(毎年10月の第2月曜日)を契機とした国民啓発・参加促進を規定する。「あらゆる地域で」「生活の実情に即して」という文言は、地方格差・経済格差・障害の有無にかかわらずアクセスできる機会の確保を求めている。
競技連盟・プロチーム・大学体育会が地域連携イベントをスポーツの日に企画・実施する場合、本条を根拠とした補助金申請・自治体連携が可能となる。
第24条(野外活動及びスポーツ・レクリエーション活動の普及奨励)
第二十四条 国及び地方公共団体は、心身の健全な発達、生きがいのある豊かな生活の実現等のために行われるハイキング、サイクリング、キャンプ活動その他の野外活動及びスポーツとして行われるレクリエーション活動(以下この条において「スポーツ・レクリエーション活動」という。)を普及奨励するため、野外活動又はスポーツ・レクリエーション活動に係るスポーツ施設の整備、住民の交流の場となる行事の実施その他の必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
【文理解釈】競技スポーツに限らず、ハイキング・サイクリング・キャンプ等のレクリエーション活動を法律上明示的に位置づける条文である。「心身の健全な発達」「生きがいのある豊かな生活」という文言は、改正法前文の「ウェルビーイング」概念と直結する。
アウトドア系スポーツ団体・総合型地域スポーツクラブにとっては事業の法的根拠として活用しうる条文であり、施設整備補助・安全対策に係る行政指導の対象ともなりうる。
第24条の2(情報通信技術を活用したスポーツの機会の充実)【2025年改正新設】
第二十四条の二 国及び地方公共団体は、スポーツ団体と連携して、情報通信技術を活用したスポーツの機会の充実が図られるよう努めなければならない。
2 スポーツ団体は、前項の連携に当たっては、特に、スポーツを行う者の心身の健康の保持増進及び安全の確保に配慮しつつ、スポーツに関するあらゆる活動を公正かつ適切に実施することを旨として、当該連携を行うよう努めなければならない。
【文理解釈】本条は2025年改正で新設され、スポーツ庁の改正概要では「eスポーツ」も含む形でICT活用を促進する趣旨と説明されている。
第1項は国・地方公共団体の努力義務。第2項がこの条文の核心であり、スポーツ団体に直接の努力義務を課している。
注目すべきは第2項の構造である。ICT活用は「公正かつ適切」に行わなければならないとされており、以下の三つが要件として示されている。
- 心身の健康の保持増進及び安全の確保への配慮——オンライン指導・SNS活用・データ収集等において、利用者の心身への悪影響を防ぐ配慮義務が明示されている。
- スポーツに関するあらゆる活動を公正かつ適切に実施すること——オンラインプラットフォーム上での選考・審査・コーチングを含む「あらゆる活動」が対象となる。
- スポーツ団体が主体的に取り組むこと——国や自治体任せではなく、団体自身が連携の担い手として責任を負う。
■ ガバナンス・コンプライアンスの観点からの注釈
⚠️ リスク① 補助金・助成金をめぐる不正経理
第21条・第22条・第23条は、国や自治体が地域スポーツクラブ・競技連盟等に対して補助金・助成金・委託料を支出する根拠条文でもある。補助金が流れるところには必ず不正リスクが伴う。
具体的に起こりうる不祥事・法的リスク:
- 補助対象外の支出(飲食・交際費・役員個人の費用)を補助金で処理する架空・水増し請求
- 委託業務の実態がないにもかかわらず人件費を計上するペーパー契約
- 指導者謝礼の二重払い・裏金処理
- 施設整備費の業者選定における不正競争(特定業者への随意契約の繰り返し)
これらは、補助金適正化法(補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律)違反として刑事罰(10年以下の懲役または100万円以下の罰金)の対象となりうる。スポーツ団体の理事・会計担当者が「知らなかった」では済まされない。
建設業界での研修経験から言えば、補助金不正は必ず「記録の不備」から発覚する。領収書・議事録・選定理由書の整備と、それらを検証する内部監査の仕組みが不可欠である。
⚠️ リスク② 指導者選考・配置の不透明性
第21条が要請する「指導者等の配置」には、配置プロセスの公正性が当然に含意される。
具体的に起こりうる不祥事・法的リスク:
- 理事長・会長の「鶴の一声」による非公開選考(特定人物への随意配置)
- 指導者の資格・経歴詐称の見逃し(確認義務の懈怠)
- 指導者によるハラスメント歴の不確認のまま配置し、再被害が発生するケース
- 女性・障害者指導者の採用における事実上の排除(改正法第2条・前文の差別禁止理念との矛盾)
全日本高校選抜選手として合宿に参加した際に感じた「なぜあの選手が選ばれたのか分からない」という感覚——これはまさに選考基準の不透明性から生まれる不信感である。選手が選考基準を理解できない組織は、指導者の選考基準も不透明である可能性が高い。スポーツ界特有の「一子相伝」「人脈採用」の慣行は、今や法的リスクと表裏一体である。
⚠️ リスク③ ICT活用に潜むハラスメント・プライバシー侵害
第24条の2第2項が新設されたことは、スポーツ団体にとってICTガバナンスが法律上の責務となったことを意味する。
具体的に起こりうる不祥事・法的リスク:
- SNS・メッセージアプリを通じた指導者から選手への深夜の連絡・精神的圧迫(デジタルハラスメント)
- オンライン練習・ビデオ通話の録画・盗撮(改正法第29条の「性的な言動」との連動)
- 選手の健康データ・医療情報の不適切な収集・管理(個人情報保護法違反)
- eスポーツ大会における選考・審判への不正介入(改正法第29条の2「競技の不正な操作等の防止」との連動)
- 選手のSNS投稿の無断転用・肖像権侵害
IT業界での研修経験から言えば、デジタル上の不正はログに残る。しかし、そのログを管理・確認する仕組みがなければ意味がない。スポーツ団体のICTガバナンス整備は喫緊の課題である。
⚠️ リスク④ スポーツ行事・イベント運営の安全管理不備
第22条・第23条・第24条が想定するスポーツ行事・レクリエーション活動においては、参加者の安全確保が絶対的な前提となる。
具体的に起こりうる不祥事・法的リスク:
- 熱中症・溺水・骨折等の重大事故発生時の組織としての対応不備(改正法第14条「気候変動への対応」との連動)
- 安全確認を怠った施設利用による参加者負傷(民事損害賠償・不法行為責任)
- スポーツ保険未加入や保険範囲の誤認識
- 障害者参加イベントにおける合理的配慮の欠如(障害者差別解消法違反)
■ 必要なガバナンス体制と内部通報制度のあり方
1. 補助金・経費管理のガバナンス体制
即時に整備すべき事項:
- 予算・決算の理事会承認と外部監査人(公認会計士・税理士)によるチェック体制の構築
- 補助金ごとの専用台帳(入出金記録・領収書・使途証明書)の整備
- 業者選定における複数見積もり・選定理由書の義務化(随意契約の禁止または透明化)
- 会計担当者と承認者の分離(一人に権限を集中させない)
2. 指導者・スタッフ選考の透明化
即時に整備すべき事項:
- 指導者選考基準(資格要件・経歴確認・面接プロセス)の規程化と公表
- ハラスメント歴確認のための前職照会プロセスの導入
- 指導者行動規範(Code of Conduct)の策定と全員への署名徹底
- 定期的な選手・保護者アンケートによる指導者評価制度の導入
3. ICTガバナンス規程の整備
即時に整備すべき事項:
- SNS・メッセージアプリ利用ガイドライン(連絡時間帯・保護者同席ルール等)の策定
- 個人情報(選手の健康データ・映像等)取扱規程の整備と同意書の取得
- オンラインツール使用時のプライバシー設定基準の明示
- eスポーツ・オンラインイベントの公正な運営規程(審判・選考の独立性確保)
4. 内部通報制度の構築
改正スポーツ基本法第29条の5第2項は、スポーツ団体に「運営の公正性及び透明性の確保」を求めている。内部通報制度はその中核的ツールである。
内部通報制度の要件:
- 通報窓口を外部の独立した機関(弁護士事務所等)に設置すること(内部では通報しにくい)
- 通報者の匿名性・秘密保持の保証
- 報復禁止規定の規程化と実効的な執行
- 通報受付から調査・フィードバックまでのプロセス規程の整備
- 年1回以上の制度周知研修の実施
公益通報者保護法(2022年6月改正法完全施行)では、常時使用の労働者数が300人を超える事業者に外部通報窓口の設置義務が課されている。スポーツ団体もこの対象に含まれる場合があるが、それ以下の規模であっても、制度の有無がガバナンス品質の証明となる時代に入っている。
■ 「取適法」との共通項——建設・IT業界の実績をスポーツ界へ
私がこれまで実施してきた850回超のコンプライアンス研修の大半は、建設業界・IT業界・金融機関・地方公共団体を対象としたものである。
建設業界では「下請けへの不当な圧力」「談合」「施工記録の改ざん」、IT業界では「納品物の品質偽装」「エンジニアへのハラスメント」「個人情報の不適切管理」という問題が繰り返される。スポーツ界と何が違うか——構造はまったく同じである。
建設業の「取引適正化法(下請法・独占禁止法)」で要求されるコンプライアンス体制、IT業界の「情報セキュリティガバナンス」で求められるリスク管理の仕組みは、そのままスポーツ団体の「組織運営の適正化」に応用できる。
具体的には、以下の共通要素がある。
- 文書化の徹底:意思決定の記録・保存(なぜその判断をしたかの根拠を残す)
- 権限の分離:一人に権限が集中しない組織設計
- 内部告発の保護:「おかしい」と思った時に安全に声を上げられる仕組み
- 定期的な第三者チェック:外部専門家による客観的な組織診断
- 研修の継続実施:一度やって終わりではなく、定期的な意識醸成
スポーツ界が「不祥事が多い業界」というイメージを払拭し、社会から信頼される産業として成長するために、これらの仕組みは今や選択肢ではなく必須インフラである。
■ まとめ——法律は「最低ライン」、ガバナンスは「信頼の証明」
スポーツ基本法第21条〜第24条の2が要請するのは、スポーツを楽しむ機会の公正・安全・透明な提供である。
この条文群を軽視した場合に起きうることを改めて整理すると、以下のとおりである。
| リスク領域 | 具体的不祥事 | 関連法規 |
|---|---|---|
| 補助金・経費 | 不正経理・架空請求 | 補助金適正化法・刑法 |
| 指導者選考 | 不透明選考・資格詐称見逃し | 消費者契約法・民事損害賠償 |
| ICT活用 | デジタルハラスメント・個人情報漏洩 | 個人情報保護法・改正スポーツ基本法29条 |
| 行事・イベント | 重大事故・安全管理不備 | 民法・製造物責任法・障害者差別解消法 |
法律は「最低限守るべきライン」である。しかし、スポーツ団体の理事・マネジメント層に問いたいのは、「法律を守っているか」ではなく、「組織としての信頼を積み上げているか」という問いである。スポンサー、行政、保護者、選手——すべてのステークホルダーが、その組織を信頼する根拠を求めている。その根拠こそが、ガバナンス体制であり、コンプライアンス研修であり、内部通報制度である。
■ 中川総合法務オフィスのご支援メニュー
中川総合法務オフィスでは、スポーツ団体(競技連盟・プロチーム・大学・高校部活動)を対象に、以下のサービスを提供している。
① ガバナンス構築コンサルティング 規程整備・意思決定プロセスの設計・外部監査体制の構築
② コンプライアンス研修 理事・役員向け/指導者向け/選手・保護者向けの階層別研修(オンライン・対面対応)
③ 外部通報窓口の受託 公益通報者保護法に対応した独立した外部窓口の設置・運営代行
「自分の組織は大丈夫だろうか」と思ったその瞬間が、動き出すタイミングである。まずはお気軽にご相談いただきたい。
📩 お問い合わせはこちら:https://compliance21.com/contact/

