はじめに:銀行不祥事とは何か?
「不祥事」――この言葉は、組織にとって不都合な出来事を指し、その定義は業法や各組織の規定によって定められます。監督官庁は、指導監督する組織に対し、「何が不祥事か」を明確にし、発生時の報告を義務付けているのが一般的です。私ども中川総合法務オフィスでは、金融機関へのコンプライアンス指導において、当該業界の定義を重視し、実践的な対応を支援しております。
銀行をはじめとする金融機関における不祥事の定義の根幹を成すのが、銀行法第五十三条第一項第八号、および銀行法施行規則第三十五条第八項です。これらは、中川総合法務オフィスがコンサルティングや研修指導を行う上で、常に基本としている法的根拠であります。
銀行不祥事を定義する法的根拠
(1) 銀行法 第五十三条第一項第八号
(届出事項) 第五十三条 銀行は、次の各号のいずれかに該当するときは、内閣府令で定めるところにより、その旨を内閣総理大臣に届け出なければならない。 一 営業を開始したとき。 二 第十六条の二第一項第十一号から第十二号の二までに掲げる会社(同条第七項の規定により子会社とすることについて認可を受けなければならないとされるものを除く。)を子会社としようとするとき(第三十条第一項から第三項まで又は金融機関の合併及び転換に関する法律第五条第一項(認可)の規定による認可を受けて合併、会社分割又は事業の譲受けをしようとする場合を除く。)。 三 その子会社が子会社でなくなつたとき(第三十条第二項又は第三項の規定による認可を受けて会社分割又は事業の譲渡をした場合を除く。)、又は第十六条の二第七項に規定する子会社対象銀行等に該当する子会社が当該子会社対象銀行等に該当しない子会社になつたとき。 四 資本金の額を増加しようとするとき。 五 この法律の規定による認可を受けた事項を実行したとき。 六 外国において駐在員事務所を設置しようとするとき。 七 その総株主の議決権の百分の五を超える議決権が一の株主により取得又は保有されることとなつたとき。 八 その他内閣府令(金融破綻処理制度及び金融危機管理に係るものについては、内閣府令・財務省令)で定める場合に該当するとき。 (中略) 4 銀行代理業者は、銀行代理業を開始したとき、その他内閣府令で定める場合に該当するときは、内閣府令で定めるところにより、その旨を内閣総理大臣に届け出なければならない。
(2) 銀行法施行規則 第三十五条第八項
8 第一項第三十八号及び第四項第四号に規定する不祥事件とは、銀行等の取締役、執行役、会計参与(会計参与が法人であるときは、その職務を行うべき社員を含む。)、監査役若しくは従業員又は銀行代理業者若しくはその役員(役員が法人であるときは、その職務を行うべき者を含む。)若しくは従業員が次の各号のいずれかに該当する行為を行つたことをいう。 一 銀行の業務又は銀行代理業者の銀行代理業の業務を遂行するに際しての詐欺、横領、背任その他の犯罪行為 二 出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律又は預金等に係る不当契約の取締に関する法律(昭和三十二年法律第百三十六号)に違反する行為 三 現金、手形、小切手又は有価証券その他有価物の紛失(盗難に遭うこと及び過不足を生じさせることを含む。以下この号において同じ。)のうち、銀行の業務又は銀行代理業者の銀行代理業の業務の特性、規模その他の事情を勘案し、これらの業務の管理上重大な紛失と認められるもの 四 海外で発生した前三号に掲げる行為又はこれに準ずるもので、発生地の監督当局に報告したもの 五 その他銀行の業務又は銀行代理業者の銀行代理業の業務の健全かつ適切な運営に支障を来す行為又はそのおそれがある行為であつて前各号に掲げる行為に準ずるもの
※第一項第三十八号 三十八 銀行、その子会社又は業務の委託先(第八項において「銀行等」という。)において不祥事件(業務の委託先にあつては、当該銀行が委託する業務に係るものに限る。)が発生したことを知つた場合 ※第四項第四号 4 法第五十三条第四項に規定する内閣府令で定める場合は、次に掲げる場合とする。… 四 銀行代理業に関する不祥事件が発生したことを知つた場合
解説とポイント これらの条文は、銀行における「不祥事件」の範囲を具体的に示しています。特に注目すべきは、直接的な犯罪行為だけでなく、業務の健全かつ適切な運営に支障を来す、またはその恐れがある行為も含まれる点です。これは、コンプライアンス体制の構築において、未然防止の観点がいかに重要であるかを示唆しています。
不祥事報告の変遷と現代的意義
(1) 旧規定からの変更と金融庁の検討 かつて銀行法施行規則の不祥事件定義には、「一件当たりの金額が百万円以上の紛失」といった具体的な金額基準が存在しました。しかし、この基準が現代の経済情勢にそぐわないのではないか、といった金融機関からの意見を踏まえ、金融庁は画一的な基準の妥当性について検討を重ねてきました。
偶発的な事務ミスで態勢面に問題がないケースもあれば、金額は小さくとも重大なオペレーショナルリスクや頻発するミスなど、態勢面に問題があるケースも存在します。より実態に即した対応が求められるようになったのです。
(2) 金融機関における内部基準策定の重要性 この流れを受け、個々の金融機関では、「届出事由に該当するかどうかの内部基準策定、基準に基づく届出の要否の判断を検証できるよう、発生事由・発生原因・被害の状況・対処した内容・必要に応じて行った再発防止策の内容等の記録などの内部管理を行い、基準の変更につき適宜検討する」ことが不可欠となりました。振込手数料や保証料の過大徴収、預金や融資の金利相違、遅延損害金の未払いなどが、その検討課題として挙げられます。
(3) PDCAサイクルの限界と根本対応の必要性 不祥事対応のための定義や体制整備は重要ですが、それらが統制環境の欠如した組織においては、不祥事を繰り返すだけの結果になりかねません。PDCAサイクルは有効な手段ではありますが、それ自体が目的化してはならず、コンプライアンスを組織文化として根付かせるという根本的な取り組みが不可欠です。そうでなければ、後述するような不祥事の連鎖を断ち切ることは困難でしょう。
近年の銀行不祥事の傾向と事例
近年の銀行不祥事は、その手口の巧妙化やサイバー犯罪の増加など、新たな様相を呈しています。依然として内部不正も後を絶たず、金融機関の信頼を揺るがす事態が続いています。
(1) 新たな脅威:サイバー犯罪と不正送金 警察庁の発表(「令和5年におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について」など)によれば、インターネットバンキングに係る不正送金事犯は過去最多を記録し、フィッシング詐欺などの手口も巧妙化しています。金融機関は、顧客保護とセキュリティ対策の強化が喫緊の課題となっています。これらのサイバー攻撃は、預金者保護のみならず、マネー・ローンダリング対策の観点からも極めて深刻な問題です。
(2) 依然として後を絶たない内部不正と行政処分 行員による着服や不正融資といった古典的な不祥事も、残念ながら根絶には至っていません。
- 四国銀行の事例(2017年): 元行員による顧客金員の着服(被害額54万円)。
- 金融庁によるイオン銀行への行政処分(2024年12月26日発表): マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策(AML/CFT)に係る不適切な業務運営や、その背景にある経営姿勢及び態勢上の問題が指摘されました。具体的には、取引モニタリングシステムで検知した疑わしい取引の判定放置や届出の遅延などが問題視されました。これは、組織的な対応の不備が重大なリスクに繋がることを示す事例です。
- その他近年の事例:
- 2023年~2025年にかけても、顧客情報の不適切な取り扱い、不正アクセスによる情報漏洩、職員による横領・着服、不適切な融資や金融商品の販売などが各地の金融機関で報道されています。(ニッキンONLINE等の報道を参照)これらの事例は、金額の多寡に関わらず、金融機関の社会的信用を大きく損なうものです。
(3) 近年の不祥事の特徴 依然として、発覚までに長時間を要するケース、被害額が高額に上るケース、そして何よりも役職員の倫理観の欠如が顕著なケースが散見されます。これらは、コンプライアンス体制の形骸化や、研修効果の薄さを露呈していると言わざるを得ません。
不祥事を防ぐために本当に必要なこと
形ばかりのコンプライアンス研修や、実効性の伴わない規程の整備だけでは、不祥事の根本的な解決には繋がりません。中川総合法務オフィスでは、単なる知識の詰め込みではなく、役職員一人ひとりの倫理観とコンプライアンス意識を組織文化として醸成することの重要性を訴え続けています。
「なぜコンプライアンスが重要なのか」「顧客や社会からの信頼を裏切ることの重み」を真に理解し、自律的な行動変容を促すアプローチこそが、真の不祥事防止に繋がるのです。
まとめ:信頼回復とコンプライアンス体制の再構築に向けて
銀行不祥事は、その時代背景や社会情勢を反映しつつ、形を変えて発生し続けています。法的定義の理解はもとより、金融機関自らが主体的にリスクを評価し、実効性のある内部管理体制を構築・運用していくことが不可欠です。そして何よりも、役職員一人ひとりが高い倫理観と当事者意識を持つこと。これこそが、失われた信頼を回復し、真に強固なコンプライアンス体制を築くための礎となるのです。
【コンプライアンス体制の構築・強化をご検討の金融機関様へ】
中川総合法務オフィス代表の中川恒信は、これまでに850回を超えるコンプライアンス、ハラスメント防止、情報セキュリティ、内部統制システム、リスク管理、危機管理広報等の研修を担当してまいりました。
また、不祥事が発生した組織のコンプライアンス態勢の再構築支援にも豊富な経験を有しております。現に内部通報制度の外部窓口業務を受託し、生の声に触れ続けているほか、不祥事が発生した企業の再発防止策についてマスコミ各社から頻繁にコメントを求められるなど、実践的な知見と対応力には定評がございます。
貴組織のコンプライアンス体制を真に実効性のあるものへと変革し、企業価値向上に貢献いたします。
コンプライアンス研修・コンサルティング費用:1回 30万円(税別、交通費別途)
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