はじめに:コーポレート・ガバナンスと日本社会の距離感
株式会社という形態は、広く社会から資本を集め、経済を活性化させ、人々の生活を豊かにする社会的意義を持ちます。しかし、経営者が短期的な自己利益を優先し、出資者である株主の信頼を裏切る事例が後を絶ちませんでした。この反省から、ステークホルダー、とりわけ株主の信頼を得るためのコンプライアンス経営、そしてその中核をなすコーポレート・ガバナンスの重要性が叫ばれるようになりました。
本記事では、日本の社会でコーポレート・ガバナンスが導入されてもなお機能しづらいとされる背景と、その課題、そして今後の展望について解説します。
1.コーポレート・ガバナンス導入の背景:株主との対話の始まり
(1) 日本社会におけるコンプライアンス意識の高まりとESG投資
企業の不祥事が相次ぐ中で、ステークホルダー、特に株主の利益を守るためのコンプライアンス経営が不可欠となりました。従業員や取引先を含めた社会全体の持続可能性に貢献する企業活動が求められる現代において、これは当然の流れと言えるでしょう。
近年、投資家の間では、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)への企業の対応を重視するESG投資が主流となりつつあります。この「G」にあたるコーポレート・ガバナンスは、健全な企業経営と持続的成長を示す重要な指標として、投資判断においてもその重要性を増しています。
(2) 「物言わぬ株主」からの転換:持ち合い株解消と外国人株主の台頭
かつての日本企業は、企業間の株式持ち合いが多く、個人株主の声は株主総会の運営テクニックなどによって封じ込められがちでした。しかし、2001年3月期決算からの時価会計導入を機に、持ち合い株のメリットは薄れ、売却が進みました。その受け皿となったのが、外国人株主や、より積極的に経営に関与しようとする「物言う株主」です。
これにより、企業は株主への説明責任を重視し、ステークホルダーを意識した株主重視の経営へと舵を切らざるを得なくなりました。これは、コーポレート・ガバナンス確立に向けた大きな転換点と言えます。
2.コーポレート・ガバナンスの本質と日本における普及の壁
(1) 「人の支配」から「法(ルール)の支配」へ
コーポレート・ガバナンスとは、経営者の独断や短期的な利益追求を防ぎ、法と倫理に基づいた透明性の高い経営を実現するための仕組みです。それは、内部統制システム、企業倫理の重視、そしてコンプライアンス経営そのものと言い換えることもできます。国家統治における「法の支配」と同様に、企業経営においても経営者個人の意向ではなく、確立されたルール(コード)が支配する体制を目指すものです。
(2) 法令・取引所ルールによるガバナンス強化の進展
会社法や金融商品取引法といった法律に加え、近年では東京証券取引所が策定した「コーポレートガバナンス・コード」のようなソフトローが、日本企業の経営のあり方に大きな影響を与えています。このコードは、上場企業に対し、株主の権利・平等性の確保、適切な情報開示と透明性の確保、取締役会等の責務、株主との対話などを求めています。また、機関投資家に対して企業との建設的な対話を促す「スチュワードシップ・コード」も制定され、投資家側からのガバナンス強化への働きかけも進んでいます。
(3) 日本企業特有の「定着の困難さ」:根深い構造的問題
しかし、こうした制度が導入されても、日本企業においてコーポレート・ガバナンスが真に機能するには多くの課題が残されています。その根底には、日本企業に根強く残る以下のような構造的問題があります。
- 同族経営・生え抜き文化の影響: 創業者一族や内部昇進者が経営トップを占める企業が多く、取締役会による実効的な経営者の選任・監督機能が働きにくい傾向にあります。社長が指名したメンバーで構成される取締役会では、経営陣に対する反対意見が出にくく、馴れ合いが生じやすいという指摘は長年なされてきました。
- 形骸化する社外取締役制度: 社外取締役の導入が進んでも、経営陣の「お友達」が選任されるケースや、社外取締役に十分な情報が提供されず、監督機能が名ばかりになるケースも散見されます。真に独立した立場から経営をチェックする役割を果たすには、選任プロセスの透明化や、社外取締役の資質向上が不可欠です。
- 「物言わぬ」取締役会: 活発な議論がなされず、経営執行の追認機関となっている取締役会も少なくありません。取締役一人ひとりが経営責任を自覚し、建設的な意見交換を通じて意思決定の質を高める文化の醸成が求められます。
3.コーポレート・ガバナンス真の定着に向けて:日本の課題と最新動向
(1) 株主の声に真摯に耳を傾ける経営への転換
長らく、日本の経営者は株主の期待に十分に応えてきたとは言えませんでした。これは、証券市場の未成熟さも一因ですが、それ以上にコーポレート・ガバナンスが脆弱で、経営者が株主の意向を真摯に受け止め、株主価値向上を追求する姿勢が不足していたためです。結果として、日本企業の収益力は欧米企業に比べて見劣りし、資本市場の成長も限定的でした。この構造は、残念ながら今なお完全に払拭されたとは言えません。
(2) 制度改革の進展:会社法改正とコーポレートガバナンス・コード
このような状況を改善すべく、国も法制度の整備を進めてきました。会社法では、内部統制システムやコンプライアンス体制、リスクマネジメント体制の構築を企業に義務付け、機関設計の多様化(委員会設置会社制度や監査等委員会設置会社の導入など)を図ってきました。しかし、実態としては代表取締役などによる監督と業務執行の分離が不十分であるとの指摘も根強く残っています。
そこで近年、特に注目されるのが、2015年に策定され、その後改訂が重ねられている東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コード」です。特に2021年の改訂では、プライム市場上場企業に対してより高いガバナンス水準が求められるようになりました。具体的には、
- 独立社外取締役の増員と質の向上: 取締役会の3分の1以上(プライム市場では場合によっては過半数)を独立社外取締役とするよう求められ、その役割・責務の明確化も進められています。スキルマトリックス(取締役の持つスキルの一覧)の開示も推奨され、取締役会の構成の多様性と専門性の確保が重視されています。
- 指名委員会・報酬委員会の独立性強化: 経営幹部の指名や報酬決定プロセスの透明性・客観性を高めるため、これらの委員会における独立社外取締役の関与強化が求められています。
- サステナビリティ(ESG要素)への対応: 気候変動問題への対応や人権尊重、サプライチェーンにおけるCSR(企業の社会的責任)など、サステナビリティに関する課題への積極的な取り組みと情報開示が求められています。
- 中核人材の多様性確保: 女性・外国人・中途採用者の管理職登用など、ダイバーシティ&インクルージョンの推進も重要なテーマとされています。
これらの改訂は、日本企業に対して、より実効性のあるガバナンス体制の構築を迫るものです。KPMGジャパンの調査(2024年)によれば、プライム市場上場企業における独立社外取締役の割合は大幅に増加するなど、形式的には進展が見られます。しかし、依然として「取締役会が実効的に機能していない」との課題認識も示されており、単なる制度対応に留まらない本質的な改革が求められています。
(3) 全社的リスクマネジメント(ERM)の重要性
コーポレート・ガバナンスを実効あらしめる上で、COSO(トレッドウェイ委員会支援組織委員会)が提唱するERM(Enterprise Risk Management:全社的リスク管理)の考え方がますます重要になっています。ERMは、個別のリスク対応に留まらず、企業グループ全体のリスクを統合的に把握し、構造的・継続的・組織的に対応するプロセスです。
経済産業省もその普及を後押ししており、会社法や金融商品取引法(日本版SOX法)の施行を機に、多くの企業がリスク管理体制の再構築に取り組み、全社的なリスクマネジメント体制を整備する動きが加速しています。これは、部分最適ではなく全体最適を目指す経営、すなわち真のコーポレート・ガバナンス実現のための不可欠な基盤と言えるでしょう。
おわりに:真のガバナンス改革は「形式」から「実質」へ
日本においてコーポレート・ガバナンスが「機能しない」と言われる背景には、法制度の未整備だけでなく、長年の企業文化や経営者の意識といった根深い問題が横たわっていました。しかし、近年の会社法改正やコーポレートガバナンス・コードの改訂、そしてESG投資の拡大といった外部環境の変化は、日本企業に対して本質的な変革を迫っています。
重要なのは、単に制度を導入する「形式」だけでなく、それが実質的に機能し、企業価値の向上に繋がる「実質」を追求することです。そのためには、経営トップの強いコミットメント、取締役会の多様性と独立性の確保、建設的な議論を促す企業風土の醸成、そして株主との積極的な対話が不可欠です。
日本企業がこれらの課題を克服し、真のコーポレート・ガバナンスを確立することができれば、国際競争力の強化、持続的な成長、そして社会からの信頼獲得に繋がり、ひいては日本経済全体の活性化にも貢献するでしょう。
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