はじめに：組織に潜む「病」のサインを見逃さないために
企業不ゆえに、その代表取締役による不正さえも起こりえます。
本来、人には「悪いことをしてはいけない」という倫理観が備わっています。しかし、一度歯車が狂い始めると、その良心の声はかき消され、組織は坂道を転がるように不正へと突き進んでしまうのです。
現代社会において、この「兆候」を見抜く力を持つ人間の存在は、組織の存亡を左右するほど重要です。そして、その個人の力に加え、内部統制、コンプライアンス、リスク管理といった組織的な仕組みが不可欠な時代となっています。
本稿では、企業不祥事の根本原因を「不正のトライアングル」というフレームワークで解き明かし、さらに令和時代ならではのAIや現代心理学の活用法も交えながら、不祥事を未然に防ぐための具体的な方策を、皆様と共に考えていきたいと思います。
第1章：不正のメカニズムを解き明かす「不正のトライアングル」
なぜ、人は不正に手を染めてしまうのか。米国の犯罪学者ドナルド・R・クレッシーが提唱した「不正のトライアングル」は、そのメカニズムを解明する上で非常に有用なフレームワークです。この理論では、「動機」「機会」「正当化」という三つの要素が揃ったとき、不正が発生するリスクが飛躍的に高まるとされています。
1. 動機 (プレッシャー)
人を不正へと駆り立てる最初の要素は「動機」です。これには、組織的なものと個人的なものの双方が存在します。
- 組織的な動機：売上減少、利益率の悪化といった業績不振は、経営陣に「見せかけの売上」や「粉飾決算」といった不正行為への強いプレッシャーを与えます。私がかつて大阪で目の当たりにした企業がそうであったように、窮地に陥った組織は、ハイリスクな投資やM&Aに活路を見出そうとし、不正の温床を作り出すことがあります。
- 個人的な動機：個人の生活における経済的な困窮も、強力な動機となり得ます。「子どもの私立医学部への進学」「離婚による高額な養育費」といった家庭の事情や、競馬や競輪などのギャンブルへの依存は、人を追い詰め、横領などの犯罪行為に走らせるのです。
2. 機会 (チャンス)
不正を実行可能にする環境、それが「機会」です。これは、組織の管理体制の脆弱性に起因します。
- 業務のブラックボックス化：特定の担当者が長期間同じ業務に従事し、その業務内容が他の誰にも分からない「ブラックボックス」と化している状況は極めて危険です。特に高い専門性が求められる業務では、周囲は「その人に任せるしかない」と判断し、チェック機能が働かなくなります。これは、不正が発生する典型的な前兆と言えるでしょう。
- 内部統制の形骸化：交代要員の不足や、中小企業におけるリソースの限界も、不正の「機会」を増大させます。チェック体制（モニタリング）が存在していても、それが形骸化していれば意味がありません。「誰も自分の仕事を見ていない」という状況は、不正への誘惑を強力に後押しします。
3. 正当化 (自己弁護)
不正に手を染める人間は、自らの行為を心の中で「正当化」します。
- コンプライアンス意識の欠如：「これくらいはいいだろう」「他社もやっている」「誰にもバレない」。このような安易な考えは、不正への心理的なハードルを著しく下げます。私がかつて西日本の金融機関でコンプライアンスを担当した際、ある幹部から「コンプライアンスばかり言っていたら融資ができない」という驚くべき言葉を聞きました。案の定、その組織では後にハラスメントなどの問題が頻発しました。リーダーや管理職がコンプライアンスを軽視する態度は、組織全体に伝染し、不正が生まれやすい危険な土壌を作り出すのです。
- 安易な楽観主義（外因頼り）：「そのうち景気は回復する」「取引先が我々の技術を認めてくれるはずだ」。このように、自らの努力ではなく、偶然や外部環境の変化といった不確実な要素に頼る姿勢もまた、問題の先送りを招き、結果として不正行為へと繋がっていく危険性をはらんでいます。
第2章：令和時代の新たな処方箋：AIと心理学によるリスク検知
「不正のトライアングル」が示すリスクに加え、現代ではテクノロジーと人間心理への深い洞察が、コンプライアンス体制を強化する新たな鍵となっています。
AI(人工知能)の活用
2022年11月にOpenAI社が公開したChatGPTに代表される生成AIは、今やコンプライアンスやリスクマネジメントの分野でもその活用が期待されています。例えば、日々の業務メールや応接記録、営業日報といった膨大なテキストデータをAIが解析し、不正の兆候やコンプライアンス違反のリスクがあるやり取りを早期に発見するソリューションが実用化されています。
もちろん、個人情報保護や著作権、各国の規制強化といった課題はあり、その活用は不透明な部分もあります。しかし、官公庁のガイドラインや最新の技術動向を踏まえ、適切に導入すれば、AIは人間の監査能力を補完し、モニタリング業務を劇的に効率化する強力なツールとなり得ます。
リーダーシップとコミュニケーションの重要性
結局のところ、組織の健全性を最終的に担保するのは「人」です。特に、リーダーの言葉と行動は、組織文化に絶大な影響を与えます。私が提唱するPM理論における「M型上司（Maintenance-oriented）」、すなわち、部下との対話を重視し、相談しやすい環境を作るリーダーの存在が、今の時代には不可欠です。
高いコミュニケーション能力を持つリーダーは、部下の些細な変化や職場の不穏な空気を敏感に察知し、不正の芽を早期に摘み取ることができます。
結論：不祥事を「対岸の火事」としないために
「原因のない結果はない」という言葉は、自然科学から仏教の因果応報に至るまで、古今東西の真理です。企業不祥事もまた、決して偶然の産物ではありません。そこには必ず組織的・個人的な原因が存在し、その前には必ず「前兆」があります。
その微かなサインを見抜く分析力と、問題を未然に防ぐための強固な組織体制を築くこと。それこそが、現代の経営者、そして組織に属するすべての人間に課せられた責務と言えるでしょう。
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