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本記事は、中川総合法務オフィスが執筆する「民法相続編(第882条〜第1050条)逐条解説シリーズ」の第4回である。対象条文は民法第885条(相続財産に関する費用)。令和6年施行後の現行法に基づいて解説する。
条文原文
第八百八十五条 相続財産に関する費用は、その財産の中から支弁する。ただし、相続人の過失によるものは、この限りでない。
1. 趣旨と立法背景
1-1. 本条の位置づけ
民法相続編の第1章「総則」(第882条〜第885条)は、相続の開始原因(882条)、開始場所(883条)と並んで、相続財産の費用負担に関する基本ルール(885条)を置いている。
相続が開始すると、遺産は相続人に承継されるが、遺産分割が完了するまでの間、不動産の維持管理・税金の支払・清算手続など、財産の維持に不可欠な費用が発生し続ける。これらを誰がどの財源から負担するかを定めるのが本条である。
1-2. 立法の経緯と平成30年改正による2項削除
平成30年改正(法律第72号)前は、本条に2項が存在し、「前項の費用は、遺留分権利者が贈与の減殺によって得た財産をもって支弁することを要しない。」という規定があった。同改正により遺留分制度が物権的な分割から金銭債権による解決に転換されたこと(第1042条)に伴い、旧2項は削除された。現行法(令和6年施行後)では1項のみが存在する。
2. 用語解説
「相続財産に関する費用」
本条のキーワードである。「相続財産に関する費用」とは、相続財産を管理するのに必要な費用、換価、弁済その他清算に要する費用など相続財産についてすべき一切の管理・処分などに必要な費用をいう(東京地裁昭和61年1月28日判決)。
具体的には、相続開始後に発生する遺産の維持・清算に直接必要な費用が該当し、被相続人の死亡に伴って偶発的に生じる費用(葬儀費用など)は原則として含まれない。
「支弁する」
費用をその財産から賄う・支払うという意味。相続財産全体が費用の負担主体となり、各相続人の固有財産からではなく、遺産そのものを財源として充当することを指す。
「相続人の過失」
相続人が善管注意義務(民法918条参照)に違反する管理を行った結果として生じた費用を指す。たとえば、適切な修繕を怠って被害を拡大させた場合や、不注意による損傷・滅失に要した費用がこれにあたる。過失により生じた費用は本条ただし書により相続財産からの支弁が認められず、当該相続人の個人負担となる。
3. 条文の解釈
3-1. 本文(原則)
「相続財産に関する費用は、その財産の中から支弁する。」
「相続財産に関する費用」の償還債務は相続債務に準じるものとして、各共同相続人がその相続分に応じて負担する。そのため、「相続財産に関する費用」を支出した相続人は、他の相続人に対して費用の償還請求をすることができる。
費用の清算について争いがある場合、管理費用は相続開始後に発生したのであり、遺産とは別個の問題であるから民事訴訟で行うべきであると言える。しかし、管理費用の清算について相続人全員の合意があれば、これを遺産分割手続の中で清算される余地もある。
3-2. ただし書(例外)
「ただし、相続人の過失によるものは、この限りでない。」
過失に基づく費用は相続財産の共同負担から除外され、原因を作った相続人の個人負担となる。相続人の一人が管理費用を立て替えた場合などは、その費用債務(立替金の求償債務)は相続債務として、法定相続分に応じて各相続人が負担する。ただし、相続人の過失による管理費の支出などに関しては、当該相続人の負担になる。
4. 「相続財産に関する費用」の具体例
4-1. 該当すると認められた費用(肯定例)
遺産である土地建物に関しては、家屋の修繕費、固定資産税、火災保険料、相続不動産の保存登記費用、賃借料、水道光熱費、賃料等の取立費用、賃借人に対する立退料、換価する場合の諸経費(仲介手数料)などがある。
また、遺産の保存の為に必要な費用、修繕費などの有益費、果実収取のための必要経費、鑑定・換価・弁済・その他清算に必要な費用、財産目録調整の費用、管理清算のための訴訟費用なども含まれる。
4-2. 該当しないと解されている費用(否定例)
相続税
相続税は、遺産を取得した相続人個人に課されるものであり、相続財産に関する費用とはされていない。相続税法2条が遺産取得課税方式を採用している以上、各相続人の固有債務であり、遺産全体が負担する費用とは位置づけられない。
葬儀費用
葬儀費用については裁判例上見解が分かれており、実務上も最も争いが多い領域のひとつである(後記5-5参照)。
5. 判例・裁判例
5-1. 費用の定義を確立した先例
東京地裁昭和61年1月28日判決
「相続財産に関する費用(民法885条)とは、相続財産を管理するのに必要な費用、換価、弁済その他清算に要する費用など相続財産についてすべき一切の管理・処分などに必要な費用をいうものと解される。」
本判決は同時に葬儀費用について検討し、「死者をとむらうためにする葬式をもって、相続財産についてすべき管理、処分行為に当たるとみることはできないから、これに要する費用が相続財産に関する費用であると解することはできない」と明示した。民法885条の外延を画した先例として広く参照されている。
5-2. 管理費用の範囲を示した先例
大阪高裁昭和41年7月1日決定
土地建物を管理するについては、固定資産税、借地料、電気料金、水道料金、火災保険料および下水道使用料等の費用を支出していることを認めることができる。右のような費用は相続財産の管理に必要な費用であり、相続財産に関する費用として相続財産から支弁すべきものであるから、分割すべき相続財産およびその収益の額を算定するに当たっては、当然右のような管理の費用を控除しなければならないものと解する。
5-3. 費用の清算方法に関する裁判例
大阪高裁平成3年3月29日決定
「分割までの遺産の管理費用については、民法第885条の規定が適用されるべきものと解するのが相当であり、また、管理費用及び分割までの間に遺産から生ずる収益については、基本となる遺産が分割されるときには、特別の事情がない限り、これに付随するものとして同時に清算することができるものと解するのが相当である。」
費用・収益の同時清算を認める場合があることを示した先例として位置づけられる。
5-4. 相続税の非該当を示した裁判例
大阪高裁昭和58年6月20日
「相続税は分割確定後の相続人の取得分に応じ、各人に対し課せられるものであるから、相続に関する費用として分割の際に考慮しなければならないものではないと解される。」
5-5. 葬儀費用をめぐる判例の対立
葬儀費用の帰趨については裁判例が分かれており、確立した最高裁判例は存在しない。
喪主負担説(有力説)
喪主を負担者とする考え方として、法が祭祀の承継を相続とは別異に考えていることに対応して、葬儀費用の負担についても実質的に葬式を実施した者(通常は喪主)の負担とすべきという考え方がある。葬儀費用の一部負担とみうる香典が喪主に帰属するという解釈もこの考え方の根拠になる。主な裁判例として、東京地裁昭和61年1月28日判決、東京地裁平成6年1月17日判決、名古屋高裁平成24年3月29日判決がある。
相続財産負担説(少数説)
東京地裁平成24年5月29日判決は、葬儀費用は被相続人の死亡に伴って社会通念上必要とされる費用であることを理由に、相続財産から負担すべきとしている。なお、この判決は、葬儀費用だけでなく、一定範囲の法要の費用も相続人の負担としている点に特色がある。
実務上の取扱い
一般的な社会通念と法律上の扱いがずれているところであり、大半のケースでは誰が喪主になろうとも、遺産から葬儀費用を支出することで合意ができているのが実情である。相続人全員が了承すれば、遺産分割協議・調停において葬儀費用を遺産から差し引いて分割することは何ら問題ない。
6. 費用を立て替えた相続人の権利
6-1. 償還請求権の根拠
相続人の1人が費用を立て替えた場合、その費用償還債務は相続債務に準ずるものとして各共同相続人が法定相続分に応じて負担する。したがって、費用を立て替えた相続人は他の相続人に対して相続分の割合に応じた償還を請求することができる。
6-2. 清算の場と注意点
審判では不動産は兄、預金は大半が弟……しかし、兄が立替えた葬儀代、弟が立替えた固定資産税は審判では精算されず、あらためて兄弟で話し合わなければならなかった。このように、審判においては相続の経費を必ずしも実情に応じて精算してくれるわけではない。
遺産分割審判では費用の清算が宙に浮く場合があることを踏まえ、調停・協議の段階で清算を済ませておくことが実務上の重要な留意点である。
7. 相続放棄・限定承認との関係
相続放棄をした者は遺産を承継しないため、相続放棄や限定承認の場合など誰も相続しない遺産がある場合には誰がその費用を負担するのかが問題になる。この条文では、そのような場合は「遺産から費用を支払う」と規定している。相続人全員が放棄した場合は、家庭裁判所に選任された相続財産管理人(民法952条)が遺産から費用を支弁しつつ清算を行う。
単純承認の場合、遺産分割未了の期間は共同相続人の共有状態が継続するため、本条が機能し続ける。単純承認の場合、相続人は「相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継」し、「遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる」ので、各相続人固有の財産となり相続財産に関する費用を支弁するための相続財産が無くなってしまうという問題がある。これは理論上の問題であり、遺産分割未了期間中は本条を根拠に費用の清算を行うのが実務上の取扱いである。
8. まとめと実務上のポイント
民法885条は「相続財産の費用は遺産から賄う」という原則を定めた規定である。実務上の押さえどころを整理する。
固定資産税・火災保険料・修繕費など遺産の維持に不可欠な費用は遺産から支弁され、立替えた相続人は他の相続人に対して法定相続分に応じた償還を請求できる。相続税は各相続人の個人課税であり本条の費用には含まれない。葬儀費用は裁判例が分かれており法律上は喪主負担説が有力だが、実務上は相続人間の合意によって遺産から支出するケースが多い。費用の清算に争いがある場合の正式な解決手段は民事訴訟であるが、遺産分割手続内での同時清算が認められる場合もある。過失による費用は遺産から支弁されず原因を作った相続人の個人負担となる。遺産分割審判では費用の清算が行われないことがあるため、調停・協議の段階で清算を済ませておくことが望ましい。
関連条文
民法882条(相続開始の原因)、民法883条(相続開始の場所)、民法896条(相続の一般的効力)、民法897条(祭祀に関する権利の承継)、民法909条(遺産分割の効力)、民法918条(相続財産の管理)、民法922条(限定承認)、民法952条(相続財産管理人の選任)、民法1046条(遺留分侵害額請求権)、相続税法2条(相続税の課税対象)、相続税法13条1項2号(葬式費用の控除)
参考文献・一次資料
e-Gov法令検索「民法」(令和6年改正対応)、法務省「民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成30年法律第72号)の概要」、我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法〔第8版〕』日本評論社、内田貴『民法Ⅳ 親族・相続〔補訂版〕』東京大学出版会、東京地裁昭和61年1月28日判決(費用定義・葬儀費用)、大阪高裁昭和41年7月1日決定(管理費用肯定)、大阪高裁昭和58年6月20日(相続税否定)、大阪高裁平成3年3月29日決定(清算の方法)、仙台家裁古川支部昭和38年5月1日審判(家月15巻8号106頁)
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