条文テキスト(原文)
民法第882条 相続は、死亡によって開始する。
わずか一文。しかしこの短い条文が、相続法全体の扉を開く規定である。
趣旨・立法背景
相続開始原因を「死亡」のみに限定した意義
現行民法は、相続開始の原因を人の死亡のみに限定している。これは、戦前の旧民法(明治民法)と比較すると大きな転換点である。
旧民法下では、家督相続の開始原因として、戸主の死亡のほかに隠居・国籍喪失・去家(いえさり)なども認められていた(旧民法964条)。家父長的な「家」制度のもとでは、戸主の生前における家督の移転が観念されていたからである。
戦後の民法改正(昭和22年)により「家」制度が廃止され、相続は純粋に個人の財産承継制度として再構成された。その結果、相続開始原因は死亡のみとなり、生存中の者の財産が相続によって移転することはなくなった。
この規定は、法的安定性の観点からも重要である。相続開始時点が死亡という客観的事実に一元化されることで、相続人の確定・遺産の範囲・各種期間の起算点(熟慮期間〔民法915条〕、相続税の申告期限等)が明確になる。
用語解説
「死亡」とは何か
本条の「死亡」には、法的に以下の三つの類型が含まれる。
① 自然死亡(通常の死亡)
病気・老衰・事故など、医学的に死亡が確認された状態をいう。通説は心停止をもって死亡時点とする。
実務上、死亡の時点は死亡診断書または死体検案書(医師法19条2項)の記載に基づき戸籍に記録される(戸籍法86条)。注意すべきは、相続開始の時点は「戸籍に死亡が記録された時点」ではなく、実際に死亡した瞬間であることだ。
なお、「脳死」は人の死亡時期をめぐる医学的・法的問題として議論がある。現行法上、臓器移植法との関係で脳死を死亡と扱う場面はあるが、相続法上の死亡時期との関係は引き続き論点とされている。
② 失踪宣告による擬制死亡
一定期間、生死が不明な者については、家庭裁判所の審判により法律上死亡したものとみなされる(民法30条・31条)。
| 種別 | 要件 | 死亡擬制の時点 |
|---|---|---|
| 普通失踪 | 生死不明期間が7年間継続 | 7年間の期間満了時 |
| 特別失踪(危難失踪) | 戦争・船舶沈没・その他危難の去った後1年間生死不明 | 危難の去った時 |
失踪宣告は家庭裁判所の審判による。審判確定後、失踪宣告を受けた者は上記の時点に死亡したものとみなされ(民法31条)、その時点で相続が開始する。
なお、失踪宣告後に本人の生存または異なる時期の死亡が判明した場合は、失踪宣告の取消し(民法32条)によって相続の効果が遡及的に覆される可能性がある。過日の相続おもいやり相談室の無料相談会では10年不明の方の姉が来た。かなり悲惨な事情で姿を消して10年であった。失踪宣告もない遺産分割であった。

③ 認定死亡
水難・火災・その他の事変によって死亡したことがほぼ確実だが、遺体が発見されないため死亡診断書を作成できない場合に、取り調べを行った官公署が市町村長に死亡を報告することで、戸籍に死亡が記載される制度(戸籍法89条)。
戸籍法第八九条 【事変による死亡の報告】
水難、火災その他の事変によつて死亡した者がある場合には、その取調をした官庁又は公署は、死亡地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。
但し、外国又は法務省令で定める地域で死亡があつたときは、死亡者の本籍地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。
認定死亡は、失踪宣告とは異なり、法律上「死亡とみなす」効果を持つものではない。後日、生存が判明した場合は当然にその効力が失われる。認定死亡による相続開始時期は、官公署の報告書に記載された死亡の日時である。

「同時死亡の推定」(民法32条の2)
災害・事故などで複数人が死亡し、死亡の前後が不明な場合、同時に死亡したものと推定される(民法32条の2)。
この推定が適用されると、同時に死亡したとされる者の間では相続関係が発生しない。例えば、父と息子が同一の事故で死亡し、死亡の前後が不明な場合、父から息子への相続も、息子から父への相続も発生しないこととなる。
「推定」であるため、死亡の前後について明確な証明ができれば覆すことができる。

判例・裁判例の紹介
最高裁昭和30年12月26日判決(民集9巻14号2082頁)
事案の概要 推定相続人の地位のみに基づく期待利益の保護が問題となった事案。
判決の要旨 推定相続人という地位のみに基づく期待利益は、法的保護の対象とはならない。相続は被相続人の死亡という事実が発生して初めて開始するのであり、死亡前においては相続人となるべき者はいまだ「推定相続人」にすぎず、具体的な権利を有するものではない。
実務上の意義 本判決は、「相続は死亡によって開始する」という882条の原則を確認したものであり、生前贈与・遺言変更・相続廃除など被相続人の生前行為によって推定相続人の期待が害されても、それ自体では法的救済の対象にならないことを明らかにしている。
登記実務との関係(参考裁判例)
最高裁平成12年1月27日判決(裁判集民196号239頁)
被相続人の生存中に相続人の一人に対して仮装売買を原因とする所有権移転登記がされ、その後第三者のために抵当権設定登記がされた事案について、被相続人の死亡後に他の相続人が真正な登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続を求めることを認めた。相続は死亡時に開始するという882条の原則のもとで、相続人の権利保護が図られた事例である。
実務上のポイント整理
882条は短い条文だが、実務では以下の場面でその正確な理解が求められる。
① 熟慮期間の起算点 相続放棄・限定承認の申述期限(3か月)は「自己のために相続の開始があったことを知った時」から起算される(民法915条)。相続が「いつ開始したか」の特定が期間計算の前提となる。
② 相続登記の義務化(令和6年施行) 令和6年4月から相続による不動産取得を知った日から3年以内の相続登記申請が義務化された(不動産登記法76条の2)。相続開始時点の特定が、この義務の履行期限を画する。
③ 相続税申告期限 相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内(相続税法27条)。
④ 遺産分割の前提 遺産分割の対象となる財産は「相続開始の時」における被相続人の財産(民法896条)であり、相続開始時点の確定が遺産の範囲画定に直結する。
まとめ
民法882条は「相続は、死亡によって開始する」と宣言する、相続法の出発点となる条文である。
条文の文言は極めてシンプルだが、その背景には「家」制度の廃止と個人の財産承継制度への転換という戦後改革の歴史がある。また「死亡」の概念も、自然死亡・失踪宣告・認定死亡・同時死亡の推定という多様な局面を包含しており、実務上はその正確な把握が不可欠である。
次回は民法883条(相続開始の場所)を解説する。
関連条文
- 民法883条(相続開始の場所)
- 民法30条・31条(失踪宣告)
- 民法32条の2(同時死亡の推定)
- 民法915条(熟慮期間)
- 不動産登記法76条の2(相続登記の申請義務)
- 戸籍法86条・89条(死亡届・認定死亡)


