1 前回からのつながり
第2回では改正民法第7条を読んだ。補助開始の審判の申立権者として、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、検察官に加えて、「補助開始の審判を請求することができる者として公正証書によって本人の指定した者」が新たに掲げられたことを確認した。
第8条は、その指定をどのような方式で行うかを定める。
改正前の第8条は「後見開始の審判を受けた者は、成年被後見人とし、これに成年後見人を付する」という規定であった。この内容は第7条第4項に移り、空いた第8条に方式規定が入った。条文番号は同じでも、前後のつながりはまったく別になっている。
条文自体は四項からなる短い規定である。ただし、この条文が支える実務は小さくない。単身高齢者、身寄りのない人、親族と疎遠になっている人が、判断能力の低下に先立って自分の意思を残しておくための手段だからである。相談の入口としても、依頼として組み立てる業務としても、改正法のなかで最も動きが出る部分のひとつと見ている。
2 条文原文
2-1 改正後民法第8条
(公正証書による指定) 第八条 前条第一項の公正証書による指定をする場合には、本人が、特定の者を補助開始の審判を請求することができる者として指定する旨を公証人に口授しなければならない。 2 前項の公正証書は、公証人法(明治四十一年法律第五十三号)の定めるところにより作成するものとする。 3 口がきけない者が第一項の指定をする場合には、本人は、公証人の前で、同項に規定する旨を通訳人の通訳により申述し、又は自書して、同項の口授に代えなければならない。 4 公証人は、前項に定める方式に従って公正証書を作ったときは、その旨をその証書に記載し、又は記録しなければならない。
2-2 改正前民法第8条
(成年被後見人及び成年後見人) 第八条 後見開始の審判を受けた者は、成年被後見人とし、これに成年後見人を付する。
2-3 関連する規定
改正後民法第7条第1項(抜粋)
……本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、補助開始の審判を請求することができる者として公正証書によって本人の指定した者又は検察官の請求により、補助開始の審判をすることができる。
改正後任意後見契約に関する法律第5条第1項(抜粋)
任意後見契約が登記されている場合において、精神上の理由により本人の事理を弁識する能力が不十分な状況にあるときは、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、任意後見受任者、補助人、補助監督人又は任意後見開始の審判を請求することができる者として公正証書によって本人の指定した者の請求により、任意後見開始の審判をする。
改正後任意後見契約に関する法律第6条
(公正証書による指定) 第六条 民法第八条の規定は、前条第一項に規定する公正証書による指定について準用する。
改正後任意後見契約に関する法律第14条第2項(抜粋)
前項の場合における補助開始の審判の請求は、任意後見受任者、任意後見人、任意後見監督人……又は第五条第一項の公正証書によって本人の指定した者もすることができる。
改正後後見登記等に関する法律第10条第2項第4号
民法第七条第一項の公正証書によって本人の指定した者又は任意後見契約法第五条第一項の公正証書によって任意後見契約の本人の指定した者 その本人を補助開始の審判を受けた者、補助命令等の本人又は任意後見契約の本人とする登記記録
3 趣旨・立法背景
3-1 申立権者が足りないという問題
法定後見は、誰かが家庭裁判所に申し立てなければ始まらない。職権で開始する仕組みはない。
旧法の申立権者は、本人、配偶者、四親等内の親族、後見人・後見監督人・保佐人・保佐監督人、検察官であった。このうち実際に動くのは本人と親族である。検察官の申立てはほとんど例がない。
ところが、頼れる親族がいない人が増えている。配偶者に先立たれ、子がなく、兄弟とも疎遠という状況は珍しくない。四親等内にいとこがいたとしても、住所も連絡先もわからないという場合がある。本人の判断能力が下がった段階では、本人自身が申し立てることも難しくなっている。
市町村長の申立ては用意されているが、これは行政が本人の状況を把握していることが前提になる。福祉サービスにつながっていない人、地域との接点が乏しい人については、そもそも把握されない。
結果として、支援が必要なのに制度が動かないという空白が生じる。判断能力が下がってからでは遅いのに、その時点で手を挙げる人がいない。
3-2 「自分で決めておく」という発想
法務省民事局の説明資料は、任意後見制度の見直しの項目として、本人が公正証書によって指定した者も任意後見契約を発効させる裁判手続の申立てをすることができるようにしたと整理している。そして、親族以外の者であっても、本人が将来に備えて、たとえば自分の生活状況を把握している者に、任意後見契約を発効させる裁判手続の請求を委ねることが可能になると説明する。あわせて「補助開始の審判の申立て等においても同様の手当て」と付記されている。
つまり、任意後見について設けた仕組みを法定後見側にも及ぼしたものが第7条第1項と第8条である。
発想としては、任意後見契約と同じ線上にある。判断能力があるうちに自分で決めておき、能力が下がった後の手続を他人任せにしない。ただし任意後見契約が「事務の委託と代理権の授与」という実体的な契約であるのに対し、第8条の指定は「家庭裁判所に申し立てる資格を与える」だけの、手続的な行為である。この違いが後述する効果と限界を規定する。
3-3 なぜ公正証書によらせたのか
指定を私署証書で足りるとすると、真正性を争われたときに立証が難しい。本人が判断能力を失った後で「この指定は本人が書いたものではない」と主張されれば、確認する手段がない。
また、指定を受けた者が申立権を持つということは、本人の意思とは無関係に法定後見の手続を起動できるということである。濫用の余地を残さないためには、作成の段階で本人の意思と判断能力を第三者が確認しておく必要がある。
公証人が関与すれば、公証人法に基づく本人確認、嘱託の趣旨の確認、読み聞かせまたは閲覧、署名という手順を踏む。原本は公証役場に保管され、後から差し替えることもできない。方式を公正証書に限定した理由はここにある。
同じ理由から、任意後見契約は公正証書によらなければならないとされ(任意後見契約法第3条)、不開始の合意も公正証書によるものとされた(同法第4条第2項)。
4 第1項 口授
4-1 条文の要求すること
第1項は、本人が、特定の者を補助開始の審判を請求することができる者として指定する旨を公証人に口授しなければならないと定める。
要件を分解すると次のようになる。
- 本人自身が行うこと。代理人による指定は認められない。
- 特定の者を指定すること。
- その者を「補助開始の審判を請求することができる者」として指定する趣旨であること。
- 公証人に対して口授すること。
4-2 口授とは何か
口授とは、口頭で述べて伝えることをいう。民法は公正証書遺言(第969条第2号)、死亡の危急に迫った者の遺言(第976条第1項)などで同じ語を使っている。
口授が要求される意味は二つある。ひとつは、本人が自分の言葉で述べることによって、その内容が本人の意思に基づくことを担保することである。もうひとつは、述べる過程で本人の判断能力を公証人が観察できることである。書面を差し出すだけでは、どちらも確保できない。
公正証書遺言の口授をめぐっては、実務で争いになった例が積み重なっている。遺言者が公証人の問いかけに対してうなずくだけ、あるいは「はい」と答えるだけで、遺言の趣旨を自ら述べていない場合に口授があったといえるかという形で問題になる。裁判例は、単に肯定の挙動を示しただけでは足りないとする方向と、事前に伝えられていた内容を公証人が読み上げて本人が確認した事案について口授を認める方向の双方があり、事案ごとの判断に委ねられている。
第8条の指定についても同じ問題が起きうる。ただし、指定の内容は「この人に申立てを任せる」という一点であり、遺言のように複雑な財産処分を含まない。本人が「○○さんに、私の補助開始の申立てを頼みたい」と述べれば足りるはずである。作成の現場では、公証人が本人の言葉で述べるよう促す運用になると見込まれる。
4-3 「特定の者」の意味
指定の対象は特定されていなければならない。「私の面倒を見てくれている人」といった不確定な指定では、誰が申立権を持つのかが定まらない。氏名と生年月日、住所によって一人に絞られる形での指定が必要になる。
親族である必要はない。ここが従来との違いである。長年の友人、地域の民生委員、通所している事業所の管理者、日頃相談している弁護士や司法書士、行政書士、社会福祉士のいずれも指定できる。
法人を指定できるかについて、条文は「特定の者」としか書いていない。任意後見受任者に法人がなれること、補助人に法人がなれること(第876条の2第4項が法人を前提とした記載を置いている)と平仄を合わせれば、法人の指定を否定する理由は見出しにくい。社会福祉協議会、社会福祉法人、法人後見に取り組む団体を指定する設計は検討に値する。もっとも、施行までに法務省令や公証実務の取扱いが示される可能性があるため、確定的な扱いは施行時の運用を待つ必要がある。
複数の者を指定できるかについても、条文は数を制限していない。「特定の者」を複数並べる形で、いずれもが単独で申立権を持つという指定は可能と考えられる。指定を受けた者が先に亡くなる、病気になる、連絡が取れなくなるという事態に備えるなら、複数指定は現実的な備えになる。
4-4 指定を受ける側の承諾は要らない
第8条は、指定を受ける者の承諾を要件としていない。本人が単独で行う行為である。
これは任意後見契約との大きな違いである。任意後見契約は委任契約であり、受任者の合意がなければ成立しない。第8条の指定は、相手方の意思にかかわらず成立する。
その反面、指定を受けた者は申立権を得るだけであり、申し立てる義務を負わない。指定されたことを知らないまま何年も過ぎることもありうる。本人が「あの人に頼んである」と思っていても、相手がその事実を知らなければ、実際には誰も動かない。
したがって、指定は作成しただけでは足りない。指定した相手に伝え、公正証書の謄本を渡し、どういう状態になったら申し立ててほしいのかを説明しておく。この「伝える作業」までを設計に含めないと、条文の趣旨は実現しない。後述する実務事例では、この点を中心に据えている。
5 第2項 公証人法の定めるところにより作成する
5-1 規定の位置づけ
第2項は、第1項の公正証書を公証人法の定めるところにより作成するものとすると定める。公正証書遺言に関する第969条第2項と同じ形の規定である。
民法が定めるのは口授という核心部分だけであり、それ以外の作成手続は公証人法に委ねられている。
5-2 公証人法に基づく手順
公正証書の作成は、おおよそ次の流れをたどる。
嘱託 本人が公証役場に依頼する。事前に内容の打合せを行い、必要書類を提出する。
本人確認 公証人は嘱託人が本人であることを確認する。印鑑登録証明書と実印、運転免許証やマイナンバーカードなどの公的な身分証明書によって行われる。
口授 本人が公証人に対して指定の趣旨を述べる。第8条第1項が求める部分である。
筆記と読み聞かせ 公証人が内容を証書にまとめ、本人に読み聞かせ、または閲覧させる。
承認と署名 本人が内容の正確なことを承認し、署名する。
公証人の署名 公証人が方式に従って作成した旨を記載し、署名する。
原本は公証役場に保管され、本人には正本または謄本が交付される。原本が公証役場に残るため、紛失しても再交付を受けられる。この点は自筆の書面にはない利点である。
5-3 判断能力の確認という副次的な機能
公正証書の作成過程には、本人の判断能力を公証人が確認するという側面がある。口授ができない、質問に応答できない、内容を理解していないと判断されれば、公証人は作成を断る。
第8条の指定は、判断能力が十分にあるうちに行っておく必要がある。判断能力が下がってから慌てて公証役場に行っても、作成できない可能性が高い。相談を受けた際に最初に伝えるべきはこの点である。
5-4 電磁的記録による公正証書
第4項が「その証書に記載し、又は記録しなければならない」と書いていることからわかるように、公正証書は電磁的記録によって作成される場合がある。令和5年の公証人法改正により、公正証書のデジタル化とウェブ会議を利用した作成が導入された。
第8条の指定についてウェブ会議による作成が認められるかは、公証人法とその関係法令の適用による。口授という要件を映像と音声の送受信によって満たせるかという問題があり、施行時点での運用の確認を要する。同じ改正法が保管証書遺言についてウェブ会議の利用を明文で認めていること(遺言書保管法第7条第7項)を踏まえると、方向としては利用を広げる流れにある。
6 第3項 口がきけない者の特則
6-1 条文の内容
第3項は、口がきけない者が指定をする場合について、公証人の前で、通訳人の通訳により申述するか、自書することによって、口授に代えると定める。
二つの方法が並列されている。通訳人による申述と、自書である。どちらを選ぶかは本人が決める。
6-2 民法の他の規定との比較
同じ趣旨の規定が民法のいくつかの箇所にある。
公正証書遺言については第969条の2が、口がきけない者は通訳人の通訳により申述するか自書して口授に代えるものとし、耳が聞こえない者については公証人が通訳人の通訳により伝えて読み聞かせに代えることができるとしている。
改正により新設された保管証書遺言については、第968条の3第1項が、口がきけない者は遺言書保管官の前で遺言の全文を通訳人の通訳により申述し、または自書して口述に代えなければならないと定めた。
改正により新設された録音録画による危急時遺言については、第976条の2第3項が通訳人による申述を、同条第4項が耳が聞こえない者への通訳による伝達を定めている。
第8条第3項は、これらのうち口がきけない者についての手当てのみを置いている。
6-3 耳が聞こえない者について
第8条には、耳が聞こえない者に関する明文がない。
これは、第8条が口授だけを定め、読み聞かせを民法の要件としていないためである。読み聞かせは公証人法に基づく手続であり、耳が聞こえない者への対応も公証人法の枠内で処理される。公証人法は、列席者に読み聞かせるか閲覧させるかを選べる形になっており、閲覧によって内容を確認する方法がとれる。
実務上は、公証人との事前の打合せで、閲覧による確認や通訳人の立会いをどう手配するかを詰めることになる。
6-4 「自書」について
自書とは、本人が自分の手で書くことをいう。他人が代わって書くことは自書に当たらない。
自筆証書遺言の自書をめぐっては、他人が手を添えて補助した場合に自書といえるかが争われた。最高裁判所昭和62年10月8日判決(民集41巻7号1471頁)は、他人の添え手による補助を受けた場合であっても、本人が自書能力を有し、添え手をした他人の意思が介入した形跡のないことが筆跡のうえで判定できるときは自書の要件を満たすとした。逆にいえば、他人の意思が介入した形跡があれば自書とはいえない。
第8条第3項の自書についても、同じ考え方が働く。本人が自らの意思で書いたといえる状態が必要である。
7 第4項 公証人の記載義務
第4項は、公証人が第3項の方式に従って公正証書を作ったときは、その旨をその証書に記載し、または記録しなければならないと定める。
対象は第3項の場合に限られる。通常の口授による場合には、この記載義務は課されていない。
記載を求める理由は、方式の履践を証書自体の記載によって明らかにしておくことにある。後日、口授がなかったのではないかと争われたとき、通訳人の通訳により申述したこと、あるいは自書したことが証書に記載されていれば、方式を満たしたことが証書の上で確認できる。
公正証書遺言についても第969条の2第3項が同じ趣旨の規定を置いている。
「記載し、又は記録し」という併記は、書面による公正証書と電磁的記録による公正証書の双方を想定したものである。
8 任意後見契約法第6条による準用
任意後見契約に関する法律第6条は、民法第8条の規定を、同法第5条第1項に規定する公正証書による指定について準用する。
任意後見開始の審判の申立権者を本人が指定する場合も、口授、公証人法に基づく作成、口がきけない者の特則、公証人の記載義務という同じ方式に従う。
さらに同法第14条第2項により、任意後見契約が登記されている場合の補助開始の審判の請求について、任意後見契約法第5条第1項の公正証書によって本人が指定した者も請求できるとされている。
整理すると次のようになる。
| 指定の根拠 | 指定された者が請求できる審判 |
|---|---|
| 民法第7条第1項の指定 | 補助開始の審判 |
| 任意後見契約法第5条第1項の指定 | 任意後見開始の審判、および任意後見契約が登記されている場合の補助開始の審判(同法14条2項) |
任意後見契約を締結する人については、任意後見契約法第5条第1項の指定をしておけば、任意後見開始と補助開始の双方を任せられる。任意後見契約を締結しない人については、民法第7条第1項の指定を単独で行うことになる。
この使い分けは、公正証書の作成本数と手数料に直結する。相談を受けた際に、任意後見契約を組むかどうかを先に決めておくと設計が定まる。
9 指定の効果と限界
9-1 与えられるのは申立権だけである
指定を受けた者が得るのは、家庭裁判所に補助開始の審判を申し立てる資格である。それ以上のものではない。
指定された者が補助人に選任されるわけではない。補助人の選任は第876条の2第1項により家庭裁判所の職権で行われ、同条第4項の考慮要素に従って判断される。指定を受けた者が補助人になりたいのであれば、申立ての際に候補者として名乗り出ることになるが、家庭裁判所がその者を選ばない場合もある。
指定された者は本人の財産を管理する権限も、代理権も持たない。本人の状況を家庭裁判所に伝えて手続を起こす役割にとどまる。
9-2 登記事項証明書の請求権
改正後の後見登記等に関する法律第10条第2項第4号は、民法第7条第1項の公正証書によって本人の指定した者に、その本人を補助開始の審判を受けた者、補助命令等の本人または任意後見契約の本人とする登記記録について、登記事項証明書の交付を請求する権利を与えた。
指定された者は、本人についてすでに補助が開始しているかどうか、任意後見契約が登記されているかどうかを確認できる。申立てをする前提として、二重に手続を起こさないための確認手段が用意されている。
従来、登記事項証明書を請求できるのは本人、配偶者、四親等内の親族、補助人などに限られていた。親族でない者が指定を受けた場合、この請求権がなければ本人の状況を確認できない。実務上は見落とされやすいが、指定を受ける側にとっては役に立つ規定である。
9-3 指定そのものは登記されない
後見登記等に関する法律第4条第1項は、補助の登記の記録事項を列挙している。そこに「公正証書による指定」は含まれていない。任意後見契約は同法第5条により登記されるが、民法第7条第1項の指定を単独で行った場合、登記の対象にはならない。
指定の存在を公示する仕組みがないということである。
この結果、次の問題が生じる。指定を受けた者が自分は指定されていると主張して申し立てたとき、家庭裁判所はどう確認するのか。答えは、申立ての際に公正証書の正本または謄本を提出させることになる。逆にいえば、指定を受けた者が公正証書を手元に持っていなければ、申立権を証明できない。
公証役場に原本が残るため、謄本の再交付を受けることはできる。ただし謄本の請求ができるのは原則として嘱託人その他の一定の関係者であり、指定を受けたというだけの第三者が容易に取得できるとは限らない。
したがって、作成の段階で謄本を指定を受けた者に交付しておくことが実務上の要点になる。この一手間を省くと、条文が用意した仕組みが働かない。
9-4 撤回と変更
第8条は撤回について何も定めていない。
指定は本人の単独行為であり、相手方の承諾を要しないから、本人はいつでも撤回できると解される。方法としては、新たに公正証書を作成して従前の指定を撤回する旨を記載する、あるいは別の者を指定し直すことが考えられる。
問題は、撤回したことが指定を受けていた者や家庭裁判所にどう伝わるかである。指定が登記されない以上、古い公正証書の謄本を持ったままの者が申し立ててくる可能性は残る。この場合、家庭裁判所は本人の陳述聴取(家事事件手続法第120条第1項第1号)や第7条第2項の同意の場面で本人の意向を確認することになるが、事前に防ぐ仕組みはない。
撤回する場合は、従前の指定を受けた者に通知し、交付した謄本の返還を求めておくべきである。任意後見契約の解除に公証人の認証を要する書面または電磁的記録が求められている(任意後見契約法第13条第1項)のと比べると、第8条の指定の撤回には明文の手当てがない。
9-5 欠格事由の定めがない
補助人については第876条の6が欠格事由を定めている。未成年者、家庭裁判所で免ぜられた法定代理人または補助人、破産者、本人に対して訴訟をしまたはした者とその配偶者・直系血族、行方の知れない者である。
第8条の指定を受ける者について、これに相当する規定は置かれていない。申立権を与えるだけであり、本人の財産を扱うわけではないため、欠格事由を設ける必要がないという整理と考えられる。
もっとも、本人と利害が対立する者を指定してしまうと、申立ての内容が本人の利益に沿わないものになるおそれがある。指定する相手を選ぶ段階で、相続関係や金銭の貸借関係を含めて利害の有無を確認しておくことが望ましい。
10 用語解説
公正証書 公証人が法律に定める方式に従って作成する文書をいう。作成にあたって公証人が本人確認と意思確認を行い、原本が公証役場に保管される。真正に成立したことが強く推定される。
公証人 法務大臣が任命する公務員である。裁判官、検察官、弁護士などの経歴を持つ者から選ばれ、全国の公証役場で職務を行う。
口授 口頭で述べて相手に伝えることをいう。書面を示すだけでは口授とはいえない。民法は公正証書遺言や危急時遺言でも同じ語を用いている。
申述 述べることをいう。第8条第3項では、通訳人の通訳を介して述べる方法を指す。
自書 本人が自分の手で書くことをいう。他人が代筆したものは自書に当たらない。
通訳人 手話通訳その他の方法により、本人の意思を公証人に伝える者をいう。資格の要件は条文上定められていない。
正本・謄本 公正証書の原本は公証役場に保管され、本人には正本または謄本が交付される。正本は原本と同じ効力を持つ写し、謄本は原本の内容を証明する写しである。
任意後見契約 本人が判断能力のあるうちに、判断能力が不十分になった後の生活、療養看護、財産管理に関する事務を受任者に委託し、代理権を与える契約をいう。公正証書によらなければならない。
死後事務委任契約 本人の死亡後に必要となる事務(葬儀、納骨、施設利用料の精算、行政手続、住居の明渡しなど)を委任する契約をいう。民法に明文の規定はないが、契約自由の原則により有効とされている。
補助命令等 家事事件手続法第126条第2項または第3項に基づく審判前の保全処分をいう。補助開始の審判が効力を生ずるまでの間、財産の管理者を選任するなどの措置をとるものである。
11 参考となる裁判例
11-1 方式の要件は厳格に解される(最判昭和54年5月31日・民集33巻4号445頁)
自筆証書遺言の日付として「昭和四拾壱年七月吉日」と記載されたものについて、最高裁判所は、日が特定されない以上、日付の記載を欠くものとして遺言を無効とした。
遺言と第8条の指定は別の制度であるが、方式が法定されている行為について、要件を満たさなければ効力が生じないという考え方は共通する。指定の公正証書についても、口授を欠いた、本人が述べていない、指定される者が特定されていないという事態があれば、指定としての効力が問題になる。
11-2 方式を代替するものは認められない(最判平成28年6月3日・民集70巻5号1263頁)
自筆証書遺言に押印の代わりに花押が記されていた事案で、最高裁判所は、花押を書くことは民法第968条第1項の押印の要件を満たさないとした。
法が定めた方式について、これに類する行為で代えることはできないという判断である。第8条の口授についても、書面を差し出して公証人に読んでもらう、家族が代わりに説明するといった方法では要件を満たさない。改正により自筆証書遺言の押印は任意化されるが、方式の解釈に関するこの判断の意味は失われない。
11-3 自書の要件と他人の補助(最判昭和62年10月8日・民集41巻7号1471頁)
病気により筆記が困難になった遺言者が、他人に手を添えてもらって自筆証書遺言を書いた事案である。最高裁判所は、他人の添え手による補助を受けた場合に自書といえるためには、遺言者が自書能力を有し、その他人の支えを借りたのが単に筆記を容易にするためであり、他人の意思が介入した形跡のないことが筆跡のうえで判定できることを要するとした。
第8条第3項の自書についても、この判断枠組みが参考になる。手が震える、握力が落ちているという状態で他人の補助を受けるとき、どこまでが許容されるかという問題である。判断が微妙になりそうな事案では、通訳人による申述の方法を選ぶほうが安全である。
11-4 公正証書遺言における口授
公正証書遺言の口授については、遺言者が公証人の問いかけに肯定の挙動を示すだけで自ら趣旨を述べていない事案を無効とした裁判例と、事前に本人が伝えていた内容を公証人が読み上げ、本人が確認した事案について口授を認めた裁判例の双方がある。判断は、本人の応答の具体性、事前の打合せの経過、公証人の関与の程度といった事情を総合して行われている。
第8条の指定においても、本人が自分の言葉で述べたといえる状況を残しておくことが、後の争いを避ける手段になる。公証人による質問の仕方、本人の応答内容の記録の残し方は、作成に立ち会う専門職が意識すべき点である。
12 実務の予想事例
事例1 身寄りのない七十代女性 四点セットの設計
Aさん、七十四歳、単身。夫とは十年前に死別し、子はいない。兄が一人いるが県外におり、十年以上会っていない。持家に住み、預貯金と年金で生活している。
いま判断能力に問題はないが、認知症になったときのこと、亡くなった後のことが不安である。
改正法の下で組み立てるなら、次の四つが柱になる。
第一に、民法第8条または任意後見契約法第6条による公正証書の指定である。誰に申立てを託すかを決める。
第二に、任意後見契約である。財産管理と療養看護の事務を委託し、代理権を与える。任意後見契約を結ぶのであれば、申立権者の指定は任意後見契約法第5条第1項のものとしておく。この指定があれば、任意後見開始の審判と、任意後見契約法第14条第2項により補助開始の審判の双方を任せられる。
第三に、死後事務委任契約である。葬儀、納骨、施設利用料の精算、公共料金の解約、住居の明渡しといった事務を委託する。任意後見は本人の死亡により終了するため、死後の事務は別に手当てしておく必要がある。
第四に、遺言である。改正法により保管証書遺言が使えるようになるが、施行は公布から3年以内であり、成年後見関係の2年6月以内より遅い。作成を急ぐ事情があれば公正証書遺言を先に作り、保管証書遺言の運用開始後に作り直す選択もある。
四つを別々に作るのではなく、受任者を同一にするか、相互に矛盾しないよう権限の範囲を調整することが設計の中心になる。任意後見人と補助人の権限が重複しないよう補助人に付与する代理権を絞ることは、改正法が前提としている考え方でもある。
事例2 いとこしか親族がいない男性 誰を指定するか
Bさん、六十八歳、単身。両親はすでに亡く、きょうだいはいない。四親等内の親族はいとこ二人のみで、年に一度年賀状をやり取りする程度の付き合いである。
近所に住む友人Cさんとは三十年来の付き合いで、週に何度か行き来がある。通所している地域包括支援センターの担当者とも顔なじみである。
このケースで指定する相手として現実的なのはCさんである。生活状況を把握しており、変化に気づける位置にいる。いとこを頼っても、判断能力の低下を知る機会がない。
指定にあたって整理しておくべきことがいくつかある。
Cさんに指定することを伝え、承諾を得ておく。条文上は承諾不要だが、知らない相手が動くことはない。
公正証書の謄本をCさんに交付する。申立ての際に必要になる。
どういう状態になったら申し立ててほしいのかを、口頭でよいので伝えておく。判断の基準を共有しておかないと、Cさんは動きにくい。
Cさんが先に亡くなる、あるいは事情が変わる可能性に備え、予備として別の者を併せて指定するか、後日作り直すことを織り込んでおく。
Cさんが補助人に選任されるとは限らないことも、Bさんとの間で確認しておく。補助人は家庭裁判所が職権で選ぶ。Cさんに財産管理まで期待するなら、任意後見契約を別に結ぶ必要がある。
事例3 障害のある子を持つ親 親なき後をどう設計するか
Dさん、七十歳。知的障害のある長男Eさん(四十歳)と二人暮らし。Dさんは自分に何かあったときのことを心配している。
このケースでは二つの層を分けて考える必要がある。
Dさん自身について。Dさんの判断能力が下がったとき、誰が申し立てるのか。Eさんは申立権者ではあるが(子として一親等)、実際に手続を進めることは難しい。他に頼れる親族がいなければ、第8条の指定を使って支援者や専門職を指定しておく。
Eさんについて。Eさんが補助を利用するかどうかは別の問題である。Dさんが元気なうちは親権者ではないものの事実上の支援者として機能している。Dさんが亡くなった後、Eさんの生活を誰が支えるかを考えておく必要がある。
Dさんは、Eさんについての補助開始の審判の申立権者である(四親等内の親族)。しかしDさんが亡くなればその申立権も消える。Eさん自身が第8条の指定をできるかは、Eさんの判断能力による。公証人が口授を確認できる状態であれば、Eさん自身が指定をしておくことができる。
これができない場合、市町村長の申立て(知的障害者福祉法第28条)に頼ることになる。地域の相談支援事業所や基幹相談支援センターとつながりを作っておくことが、制度上の申立権と同じくらい意味を持つ。
事例4 指定した相手が引き受けなかった場合
Fさんは五年前に、当時親しくしていたGさんを指定する公正証書を作成した。今年になってFさんの判断能力が低下し、周囲がGさんに連絡したところ、Gさんは「そこまで責任は負えない」と述べて申立てを断った。
指定は申立権を与えるだけであり、義務を課さない。Gさんが断ることは自由である。
この場合、他の申立権者を探すことになる。四親等内の親族がいれば親族が申し立てる。誰もいなければ市町村長の申立てを検討する。
このような事態を避けるには、指定の段階で相手の意向を確認しておくしかない。複数指定しておくことも備えになる。また、専門職や法人を指定した場合は、指定と併せて委任契約や見守り契約を結んでおけば、契約上の義務として動く根拠が生まれる。
指定だけでは仕組みとして弱い。何らかの契約と組み合わせることで、はじめて実効性を持つと考えたほうがよい。
事例5 施行前に作った書面はどうなるか
改正法の成年後見関係の規定は、公布から2年6月を超えない範囲で政令が定める日に施行される。遅くとも令和10年12月23日である。
施行日前に「補助開始の審判の申立てを○○に委ねる」という内容の公正証書を作成した場合、それが施行後に民法第7条第1項の指定として扱われるかどうか。
改正法の附則には、この点についての経過措置が置かれていない。附則第2条から第4条までは既存の後見・保佐・補助の審判と申立ての扱いを定めるもので、公正証書による指定には触れていない。
明文の手当てがない以上、施行日前に作成した書面が当然に第7条第1項の指定として効力を持つとは言い切れない。確実を期すなら、施行後に改めて作成することになる。
もっとも、施行前に作成すること自体に意味がないわけではない。本人の意思を明らかにした書面として残り、施行後の作り直しの土台になる。また、任意後見契約と併せて作る場合、任意後見契約自体は現行法で有効に成立し、附則第6条第1項により改正後の任意後見契約法の規定が施行日前に締結された契約にも適用される。
判断能力は待ってくれない。施行を待つあいだに作成できる状態でなくなるおそれがあるなら、現時点で作れるものを先に作り、施行後に補う二段構えが現実的である。
事例6 費用はどれくらいかかるか
公証人の手数料は公証人手数料令によって定まる。第8条の指定について新たな区分が設けられるかは、改正に伴う同令の整備を待つ必要がある。
現行の運用を手がかりにすると、任意後見契約に関する公正証書の作成手数料は1万1000円である。目的の価額を算定できない法律行為は500万円とみなされ(公証人手数料令第16条)、この価額に対応する手数料が1万1000円となる。第8条の指定も財産的な価額を持たない行為であるから、同程度の水準になると見込まれる。
このほかに、証書の枚数に応じた加算、正本・謄本の交付手数料(1枚あたり250円程度)、本人が公証役場に出向けない場合の出張費用と日当がかかる。
任意後見契約、死後事務委任契約、遺言をまとめて作成する場合は、それぞれについて手数料が生じる。総額は組み合わせ方によって変わるため、設計の段階で見積もりを取っておくべきである。
具体的な金額は施行時点の公証人手数料令によるため、作成前に公証役場に確認することを勧める。
13 依頼を検討する方へ
第8条の指定は、公証役場に行けば本人だけでも作成できる。専門職に依頼しなければならないものではない。
それでも依頼が意味を持つのは、指定単独では仕組みとして完結しないためである。誰を指定するか、任意後見契約を併せて結ぶか、死後事務をどうするか、遺言との関係をどう整理するかという全体の設計が必要になる。公証役場は嘱託された内容を公正証書にする機関であり、設計そのものを引き受けるわけではない。
依頼先を選ぶ際に確認するとよい点をいくつか挙げる。
改正法の施行時期を正しく説明できるか。成年後見関係と遺言関係で施行時期が異なり、遺言のなかでも押印任意化と保管証書遺言で時期が分かれる。ここを混同した説明をする事務所は、条文を読んでいない可能性がある。
指定と補助人の選任が別であることを説明するか。指定を受けた者が補助人になるわけではない。ここを曖昧にしたまま「私を指定してください」と勧める説明には注意を要する。
謄本の交付と相手方への通知まで手順に含めているか。作成して終わりでは、条文の趣旨が実現しない。
任意後見契約との関係を整理できるか。任意後見契約を結ぶなら指定は任意後見契約法第5条第1項のものにすべきであり、この使い分けができるかどうかで理解の深さが分かる。
14 次回の予定
次回は民法第9条(補助人の同意を要する旨の審判等)を扱う。第9条第2項は同意の対象となりうる行為を十一号にわたって列挙しており、旧第13条第1項の保佐の対象行為と比べると項目が入れ替わっている。預貯金の預入れと払戻しが第1号に掲げられたこと、居住用建物の大修繕に関する工事の請負契約が明示されたことなど、日常の場面に即した見直しが施されている。
同意権が付与されると本人は制限行為能力者となり、同意を得ずにした行為は取り消せる。どの行為を選ぶかが本人の自由をどこまで制限するかを決める。第9条第4項の同意に代わる許可、第5項の取消し、第6項と第10条との排他関係も併せて読む。
その後、第10条(特定補助人)、第11条(代理権付与)、第12条(審判の取消しと制度利用の終了)へと進む。
参考資料
- 民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号) 条文および附則
- 民法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(令和8年法律第46号)
- 民法等の一部を改正する法律案 新旧対照条文(民法、任意後見契約に関する法律、後見登記等に関する法律、家事事件手続法、法務局における遺言書の保管等に関する法律)
- 法務省民事局「民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)」概要資料(令和8年6月)
- 法務省民事局「成年後見制度の見直し」説明資料(令和8年1月) 任意後見制度の見直しの項
- 法制審議会民法(成年後見等関係)部会 各回議事録および部会資料
- 公証人法(明治41年法律第53号)
- 公証人手数料令(平成5年政令第224号)
- 最高裁判所昭和54年5月31日第一小法廷判決(民集33巻4号445頁)
- 最高裁判所昭和62年10月8日第一小法廷判決(民集41巻7号1471頁)
- 最高裁判所平成28年6月3日第二小法廷判決(民集70巻5号1263頁)
- 法務省ウェブサイト https://www.moj.go.jp/
- 日本公証人連合会ウェブサイト https://www.koshonin.gr.jp/
- 裁判所ウェブサイト 裁判例検索 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1
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