はじめに――なぜ第1条から読むのか
本連載は、令和7年法律第62号による改正を織り込んだ公益通報者保護法(平成16年法律第122号)の全24か条を、施行日である令和8年(2026年)12月1日時点の条文に即して、第1条から順に解説するものである。読者として想定するのは、企業のコンプライアンス担当者と、地方公共団体でコンプライアンス・通報窓口を担当する公務員である。
法律の第1条に置かれる目的規定は、単なる前置きではない。個別条文の解釈に迷ったとき、裁判所も行政機関も実務家も、最終的には目的規定に立ち返って解釈の方向を定める。内部規程の前文や研修資料の冒頭に据えるべき内容も、ここに凝縮されている。まず第1条を正確に読み込むことが、第2条以下を理解する土台となる。
1 条文原文(令和8年12月1日施行)
(目的) 第一条 この法律は、公益通報をしたことを理由とする不利益な取扱いの禁止等並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置等を定めることにより、公益通報者の保護を図るとともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法令の規定の遵守を図り、もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする。 (令二法五一・令七法六二・一部改正)
改正前後の対照
令和7年改正前の第1条は「公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効及び不利益な取扱いの禁止等並びに……」と定めていた。令和7年改正法は、この「公益通報者の解雇の無効及び」という文言を削除した。あわせて第2章の章名も「公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効及び不利益な取扱いの禁止等」から「公益通報をしたことを理由とする不利益な取扱いの禁止等」に改められた。
この文言削除は、保護の後退ではなく、むしろ保護手法の再構成を示すものである。改正前の法は、解雇の無効という民事効を保護の中心に据えていた。改正法は、第3条第1項で解雇を含む「不利益な取扱い」全般を端的に禁止し、その違反に対して、①解雇又は懲戒をした者への直罰(6月以下の拘禁刑又は30万円以下の罰金。法人には3,000万円以下の罰金・第21条・第23条)、②通報後1年以内の解雇・懲戒を公益通報を理由とするものと推定する立証責任の転換(第3条第3項)という強力な担保を新設した。禁止規定の中に解雇無効の民事効も当然に含まれるため、「解雇の無効」を目的規定に個別に掲げる必要がなくなった、という条文技術上の整理である。
2 趣旨・立法背景
(1)平成16年制定の背景――内部告発が明るみに出した企業不祥事
本法制定の直接の契機は、2000年代初頭に相次いだ、内部告発によって発覚した重大な企業不祥事である。三菱自動車のリコール隠しは、運輸省(当時)への匿名の内部告発が端緒となって2000年に発覚した。雪印食品の牛肉偽装事件(2002年)は、取引先である西宮冷蔵の告発により明るみに出て、同社は解散に追い込まれた。東京電力の原子力発電所トラブル隠し(2002年)も、点検作業に関与した元技術者から通商産業省(当時)への通報が発覚の端緒であった。
これらの事案は二つの教訓を残した。第一に、組織内部の人間からの通報こそが、消費者・国民の生命・身体・財産を害する法令違反を早期に発見する最も有効な手段だということ。第二に、当時の日本には通報者を保護する一般的な法制度がなく、告発者が解雇・配転・村八分といった報復に晒され、通報を萎縮させていたことである。実際、後述するトナミ運輸事件の原告は、闇カルテルを告発した後、約30年にわたり昇格を止められ雑務に従事させられた。
政府は消費者政策の見直しの中でこの問題を取り上げ、国民生活審議会消費者政策部会の報告(平成15年5月「21世紀型の消費者政策の在り方について」)が公益通報者保護制度の整備を提言した。立法に当たっては、1998年に制定された英国の公益開示法(Public Interest Disclosure Act 1998)が重要な参照モデルとなった。段階的な通報先(事業者内部・行政機関・その他外部)ごとに保護要件を変える構造は、英国法の枠組みに由来する。こうして平成16年6月18日、第159回通常国会で本法が成立し、平成18年4月1日に施行された。
(2)目的規定の構造――手段・直接目的・究極目的の三層
第1条は、目的規定の典型的な文型に従い、三層構造で読む。
第一層(手段)は「公益通報をしたことを理由とする不利益な取扱いの禁止等並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置等を定めること」である。前段が第2章(第3条〜第10条)の不利益取扱い禁止・損害賠償制限等に、後段が第3章(第11条〜第14条・事業者の体制整備義務等)と行政機関の通報対応義務(第13条・第14条)に対応する。
第二層(直接目的)は「公益通報者の保護を図るとともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法令の規定の遵守を図り」の部分である。ここに本法の二面性が表れている。本法は通報者個人を守る労働法的側面と、法令遵守を通じて社会全体の利益を守る行政法・消費者法的側面を併せ持つ。「とともに」で結ばれた二つの目的は対等であり、どちらか一方に偏った解釈は許されない。通報者保護は法令遵守の実現手段であると同時に、それ自体が独立の目的である。
第三層(究極目的)は「もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資すること」である。法令用語の「もって」は、直前の直接目的を達成した結果として実現される究極の理念を導く接続語であり、この部分自体から具体的な権利義務は生じないが、法全体の解釈の指針として機能する。
(3)令和2年改正・令和7年改正と目的規定
令和2年改正(令和4年6月1日施行)は、事業者の内部公益通報対応体制の整備義務(現第11条)と行政機関の体制整備義務(第13条第2項)を新設したことに伴い、目的規定に「公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置等を定めることにより」の文言を加えた。事後的な通報者救済の法から、事前の体制整備を義務付ける予防の法へと性格を拡張した改正であり、目的規定にもその転換が刻まれた。
令和7年改正(令和8年12月1日施行)は、消費者庁の公表資料によれば、①体制整備の徹底と実効性向上(従事者指定義務違反への命令・刑事罰、立入検査権限の新設等)、②公益通報者の範囲拡大(フリーランスである特定受託業務従事者の追加)、③通報阻害要因への対処(通報妨害の禁止・第11条の2、通報者探索の禁止・第11条の3)、④不利益取扱いの抑止・救済の強化(前述の直罰と推定規定)を柱とする。目的規定の文言変更は前記のとおり技術的なものだが、法全体としては制定以来最も踏み込んだ強化改正であり、第1条の「不利益な取扱いの禁止等」の「等」には、これら新設の禁止規定・罰則・推定規定が広く含まれることになる。
3 用語解説
公益通報:第2条第1項に定義される。労働者・派遣労働者・退職後1年以内の者・特定受託業務従事者(フリーランス)・役員が、不正の目的でなく、勤務先等における通報対象事実(別表掲記の約500本の法律の刑事罰・過料対象行為)を、①事業者内部(1号通報)、②処分権限を有する行政機関(2号通報)、③被害拡大防止に必要な者・報道機関等(3号通報)のいずれかに通報することをいう。詳細は第2条の回で扱う。
公益通報者:公益通報をした者(第2条第2項)。
不利益な取扱い:解雇、降格、減給、退職金の不支給、訓告、自宅待機命令、給与上の差別、不利益な配転・出向、退職の強要、専ら雑務に従事させること、事実上の嫌がらせ等を広く含む。令和7年改正により、解雇・懲戒については刑事罰と推定規定で担保される点が新しい。
事業者:法人その他の団体及び事業を行う個人(第2条第1項)。営利企業に限らず、国、地方公共団体、独立行政法人、学校法人、医療法人、NPO等をすべて含む。地方公共団体は、職員から見れば「事業者」として内部通報体制の整備義務を負い、住民や域内事業者の労働者から見れば2号通報の通報先たる「行政機関」でもある。この二重の立場が、自治体コンプライアンス実務の出発点となる。
行政機関:内閣府、各省庁その他の国の機関及び地方公共団体の機関(第2条第4項)。
法令の規定の遵守:本法が守ろうとするのは「国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法令」である。刑法、食品衛生法、金融商品取引法、大気汚染防止法、廃棄物処理法など、別表と施行令(公益通報者保護法別表第八号の法律を定める政令)で指定された法律群を指す。令和7年改正では、公益通報者保護法自体の規定に基づく処分違反等も通報対象事実に追加された。
4 判例・裁判例
第1条の二つの目的(通報者保護と法令遵守)は、本法制定前から裁判例の中で形成されてきた「内部告発の正当性」の法理を条文化したものといえる。目的規定の理解に欠かせない裁判例を挙げる。
トナミ運輸事件(富山地判平成17年2月23日・判時1889号16頁):運送会社の社員が業界の闇カルテル(独占禁止法違反)を新聞社等に告発したところ、以後約30年間、昇格から外され個室で研修生の送迎等の雑務のみに従事させられた事案。判決は、告発内容が真実で公益性が高く手段も相当であるとして告発の正当性を認め、報復人事を不法行為と評価し、会社に約1,356万円の損害賠償を命じた。本法制定(判決時は施行前)を強く後押しした象徴的事件であり、第1条にいう「不利益な取扱い」が解雇に限られない広がりを持つことを実例で示す。
大阪いずみ市民生協事件(大阪地裁堺支部判平成15年6月18日・労判855号22頁):生協幹部の背任的行為等を内部告発した職員らへの解雇・懲戒等が争われ、判決は、告発内容の真実性ないし真実と信じる相当の理由、目的の公益性、手段・態様の相当性を総合考慮して内部告発の正当性を判断する枠組みを示し、解雇を無効とした。この三要素は、本法の保護要件(第3条各号)の設計思想と重なり、本法の保護対象から外れる通報にも一般法理として妥当し続ける。
オリンパス事件(東京高判平成23年8月31日・判時2127号124頁、最高裁上告不受理により確定):上司による取引先従業員の引き抜き行為をコンプライアンス窓口に通報した社員が、通報情報を上司に漏らされた上、畑違いの部署への配転を受けた事案。控訴審は配転命令を権利濫用として無効とし、会社と上司の損害賠償責任を認めた。内部通報窓口の秘密保持がいかに生命線か、そして窓口運用の失敗が長期の訴訟と社会的信用の失墜を招くことを示した、体制整備義務(第11条)の実務にも直結する裁判例である。
宮崎信用金庫事件(福岡高裁宮崎支部判平成14年7月2日・労判833号48頁):不正融資等を告発した職員への退職強要・解雇が争われ、解雇は無効とされた。金融機関という高い公共性を持つ事業者における通報者保護の先例である。⇒ 別途詳細な悪質性分析の当サイトの記事を掲載予定である。
これらの裁判例が積み上げた「通報者を報復から守ることが、結局は法令遵守と社会の利益につながる」という価値判断こそ、第1条が明文で宣言したものである。
5 企業の内部通報の実例
ダイハツ工業の認証試験不正(2023年発覚)では、第三者委員会報告書が、不正が30年以上見過ごされた背景として、現場が声を上げられない企業風土と内部通報制度の機能不全を指摘した。ビッグモーターの保険金不正請求事件(2023年)でも、外部への告発が発覚の端緒となり、社内の通報制度が機能していれば早期是正が可能だったと評価されている。他方、内部通報制度が有効に機能した企業では、品質偽装や横領を初期段階で把握し、行政処分や刑事事件に至る前に自主是正・自主申告できた例が消費者庁の民間事業者向け実態調査でも多数報告されている。第1条の「事業者……がとるべき措置」とは、こうした自浄作用を制度として組み込むことにほかならない。
コンプライアンス担当者は、これらの事例を「他社の失敗」ではなく、自社の通報規程の前文・目的条項を点検する素材として使うべきである。規程の目的条項に本法第1条の二面性(通報者の保護と法令遵守の双方)を明記し、通報を「組織への攻撃」ではなく「組織を守る行為」と位置付ける経営メッセージを添えることが、指針解説(令和8年3月31日一部改正)のいう「公正で透明性の高い組織文化」の第一歩となる。
6 地方公共団体の実例
兵庫県の事案(2024年)では、県幹部職員が知事のパワーハラスメント等を告発した文書をめぐり、県が通報者の探索・特定と懲戒処分を先行させた対応が問題となり、第三者委員会は2025年、県の対応が公益通報者保護法の趣旨に反すると指摘した。百条委員会の設置、知事の失職・再選挙にまで発展したこの事案は、地方公共団体が通報対応を誤ったときの行政の混乱と住民の信頼喪失の大きさを示し、令和7年改正で通報者探索の禁止(第11条の3)が明文化される議論にも影響を与えた。
鹿児島県警の事案(2024年)では、前生活安全部長が内部の不祥事処理を外部に通報したところ守秘義務違反で逮捕・起訴され、公益通報該当性が公判で争点となった。警察・消防など規律の強い組織においても、通報の正当性判断は本法の枠組みで検討されるべきことを社会に印象付けた。
地方公共団体の実務では、消費者庁の「公益通報者保護法を踏まえた地方公共団体の通報対応に関するガイドライン」が内部の職員等からの通報用と外部の労働者等からの通報用の2本立てで示されており、いずれも令和8年5月29日に最終改正されている。内部通報用ガイドラインは指針(令和3年内閣府告示第118号・令和8年3月31日一部改正)を踏まえた体制整備を、外部通報用ガイドラインは、域内事業者の労働者等からの2号通報を受け付け適切な法執行につなげる体制を求める。後者の冒頭には、通報を活用した早期の法執行が「地域住民の生活の安定及び社会経済の健全な発展にも資する」と、第1条の究極目的と同じ表現が用いられており、自治体の通報対応が第1条の目的実現の一翼を担うことが分かる。
7 実務上のポイント(2026年12月1日施行への対応)
第1条それ自体は権利義務規定ではないが、施行に向けた実務では次のように活用できる。
第一に、内部規程・研修資料の目的条項の見直しである。改正法の目的規定に合わせ、「解雇の無効」中心の古い表現が残っていないか、通報者保護と法令遵守の双方を掲げているかを点検する。
第二に、解釈の拠り所としての活用である。通報が保護要件を満たすか微妙な事案、匿名通報や範囲外共有の可否など規程に明文のない場面では、第1条の二つの目的に照らして通報者に不利益が生じない方向で判断するのが、裁判例の流れにも改正の方向にも適合する。
第三に、経営層・首長への説明資料としての活用である。令和7年改正が刑事罰・立証責任の転換・立入検査まで踏み込んだのは、体制の形式的整備では足りず実効性が問われる段階に入ったからであり、その根拠はすべて第1条の目的に遡る。
★地方公共団体の公益通報者保護法2025への対応は、別途の詳述した記事を参照されたい。youtubeでも解説している。
次回は第2条(定義)を取り上げ、「公益通報」「公益通報者」「通報対象事実」の各定義と、令和7年改正で加わったフリーランス(特定受託業務従事者)の扱いを詳解する。
参考資料:改正公益通報者保護法条文・新旧対照表(令和7年法律第62号)/消費者庁「公益通報者保護法の概要」(令和8年12月1日施行版)/消費者庁「公益通報ハンドブック」Q14・Q15/公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号・令和8年3月31日一部改正)及び同解説/地方公共団体の通報対応に関するガイドライン(内部・外部、令和8年5月29日最終改正)
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