不正のトライアングルの3要素は、次のとおりである。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 動機・プレッシャー | 不正に手を染めざるを得ないと感じさせる事情 |
| 機会 | 不正を実行でき、かつ発覚しにくいと認識される状況 |
| 姿勢・正当化 | 不正行為を自らの中で許容できるものとして説明する思考 |
この3つが揃ったとき、不正は発生する。逆にいえば、いずれか一つを取り除けば防げる。
本稿では、この理論の原型から、日本の監査基準における位置づけ、実際の不祥事への当てはめ、そして企業が講じるべき対策までを整理する。
1. 不正のトライアングルとは
1.1 クレッシーの研究
不正のトライアングルは、アメリカの犯罪社会学者ドナルド・R・クレッシー(Donald R. Cressey, 1919-1987)の研究に由来する。
クレッシーは、ホワイトカラー犯罪の概念を提唱したエドウィン・サザーランドのもとで学び、1953年に『Other People's Money(他人の金)』を著した。横領によって服役していた受刑者への面接調査に基づく実証研究である。
クレッシー自身が「トライアングル」という語を用いたわけではない。彼が示したのは、信頼を委ねられた者が違反者となる過程についての仮説であった。後にこの三要素構造が図式化され、不正のトライアングルとして広く知られるようになった。
1.2 原典が示した重要な点
クレッシーの原典には、日本語の解説記事ではしばしば省かれる要素がある。
第一に、動機として彼が挙げたのは、単なる金銭的困窮ではなく「他人に打ち明けられない財務上の問題」であった。借金があること自体ではなく、それを相談できないという状況が鍵となる。
ギャンブルによる借金、不倫相手への支出、投資の失敗、家族に知られたくない事情——これらは、相談すれば解決の道があるにもかかわらず、相談できないがゆえに不正へ向かう。
この点は実務上きわめて重要である。相談できる窓口があるかどうかが、動機の遮断に直結するからである。
第二に、クレッシーが研究対象としたのは「信頼を委ねられた者」であった。外部の侵入者ではなく、正当な権限を持つ内部者である。不正のトライアングルが横領や着服といった領得行為について高い説明力を持つのは、この出自による。
2. 第1の要素——動機・プレッシャー
動機とは、不正に手を染めざるを得ないと本人が感じる事情をいう。
2.1 具体例
個人的な事情
多額の借金、ギャンブルや投資による損失、家族の医療費、生活水準の維持。共通するのは、他者に打ち明けにくいという性質である。
組織から与えられるプレッシャー
達成困難なノルマ、過大な目標設定、人事評価への不安、前年実績を下回れないという圧力。
日本システム技術事件では、事業部長が「高い業績を達成し続けて自らの立場を維持するため」に架空売上を指示した。個人の金銭的困窮ではなく、業績維持のプレッシャーが動機となった典型例である。
処遇への不満
給与や昇進についての不公平感、正当に評価されていないという認識。これは動機であると同時に、次に述べる正当化にも転化しやすい。
2.2 対策
動機は、個人の内心に属する要素であるため、組織が直接取り除くことは難しい。しかし、次の対応は可能である。
- 達成可能な目標設定と、未達成時の扱いの明確化
- 評価制度の透明性確保
- 相談窓口の設置。とりわけ、金銭的困難について相談できる経路
- 過度な長時間労働の是正、ハラスメントの防止
このうち3点目が、クレッシーの知見に照らして最も本質的である。「打ち明けられない問題」を「打ち明けられる問題」に変えることが、動機の遮断そのものだからである。
3. 第2の要素——機会
機会とは、不正を実行することが可能であり、かつ発覚しにくいと本人が認識する状況をいう。
3.1 具体例
職務権限の集中
一人が起案から承認、執行、記帳まで行える状態。小規模組織や、専門性が高く他者が内容を把握しにくい業務で生じやすい。
業務のブラックボックス化
長期間同一の担当者が業務を担い、手続の内実を本人しか知らない状態。休暇を取らない、取りたがらないことが兆候となる場合がある。
内部統制の形骸化
承認手続が形式化し、押印が実質的な確認を伴っていない状態。チェック体制が存在しても、機能していなければ機会は存在する。
牽制部署の独立性欠如
日本システム技術事件では、注文書・検収書を確認するBM課と、稼働を確認するCR部が設置されていた。しかし、いずれも不正を主導した事業部長の指揮下にあった。形式上の牽制は存在しても、指揮命令系統が同一であれば機能しない。
3.2 対策
機会は、3要素のうち組織が最も直接的に統制できる要素である。したがって対策の中心となる。
- 職務分掌の徹底(起案者と承認者の分離、担当と記帳の分離)
- 人事ローテーションと、連続休暇の取得義務化
- アクセス権限の適正化とログの監視
- 牽制部署の独立性確保。第2線の独立性が保てない場合は、1.5線の設計を検討する
- 内部通報制度の実効性確保。発覚しにくいという認識を崩す
赤福事件における再発防止策のうち、冷凍・解凍設備の廃止は、機会そのものを物理的に消去した例である。「してはならない」と教育するのではなく「できない」状態にする。機会への対策としては最も確実な形である。
4. 第3の要素——姿勢・正当化
正当化とは、不正行為を自らの中で許容できるものとして説明する思考をいう。
4.1 具体例
- 会社のためにやったのだから、多少のルール違反はやむを得ない
- 自分は正当に評価されていない。この程度は当然の権利である
- 一時的に借りるだけで、後で返せば問題ない
- 他の者もやっている。自分だけが守るのは損である
- この程度では誰も損害を受けない
- 上司の指示であるから仕方がない
赤福事件は、この要素が特徴的に現れた事案である。
不正の背景にあったのは、「残品なし」という経営方針と、食品を無駄にしたくないという意識であった。本来は尊ばれるべき「もったいない」という価値観が、期限偽装を正当化する装置として機能した。
不正の動機が私利私欲とは限らない。「会社のため」「もったいないから」という一見正当な理由こそが、罪悪感を最も効果的に打ち消す。この点を理解しないまま倫理研修を行っても、届かない。
4.2 正当化を必要としない類型
規範意識が著しく低い常習的な行為者の場合、正当化の過程を強く必要としないことがある。
この場合、倫理教育による対応には限界がある。機会の遮断と、発見統制の強化によって対処するほかない。
4.3 対策
- 具体的な事例を用いた研修。不正がもたらす結果を、組織・同僚・家族・本人自身への影響として理解させる
- 行動規範の浸透。規範の内容だけでなく、なぜその規範が必要なのかを共有する
- 懲戒規定の明確化と厳正な運用。「他の者もやっている」という認識を成立させない
- 内部通報制度と報復禁止の徹底
5. 監査基準における位置づけ
不正のトライアングルは、日本の監査制度において公式に採用されている枠組みである。
企業会計審議会「監査における不正リスク対応基準」(平成25年3月26日)は、不正リスク要因を次の3つに分類している。
- 不正を実行する動機・プレッシャー
- 不正を実行する機会
- 不正行為に対する姿勢・正当化
同基準の付録には、それぞれについての具体的な例示が掲げられている。
日本公認会計士協会の監査基準委員会報告書240「財務諸表監査における不正」も、同様の枠組みを採用している。
つまり不正のトライアングルは、学説上の一つの見解ではなく、監査実務における標準的な分析枠組みである。内部監査部門が不正リスク評価を行う際にも、この3分類を用いることが実務上の前提となっている。
6. 事例への当てはめ
理論の理解を確認するため、実際の事案に当てはめてみる。
赤福による期限偽装(2007年)
| 要素 | 本件における内容 |
|---|---|
| 動機 | 「残品なし」の経営方針。生菓子で消費期限が2〜3日と短く、生産・販売調整が構造的に困難 |
| 機会 | 生産から販売まで一つの組織ラインに集約され、部門間の相互チェックが働かない構造。冷凍・解凍設備の存在 |
| 正当化 | 食品を無駄にしたくないという意識。「もったいない」の歪んだ適用 |
日本システム技術における架空売上(〜2004年)
| 要素 | 本件における内容 |
|---|---|
| 動機 | 高い業績を維持し、自らの立場を保つというプレッシャー |
| 機会 | 事業部長が営業部長を兼務。確認を担う部署が同一事業部内にあり、指揮下にあった |
| 正当化 | 後日正規の注文が獲得できる可能性が高い案件から着手した。「いずれ実現する取引の前倒し」という認識 |
日本システム技術事件で注目すべきは、正当化の変質である。当初は契約に至る可能性の高い案件のみを対象としていたが、次第に可能性の低い案件にも手を付けざるを得なくなった。
正当化の論理は、最初は限定的であっても、行為の継続とともに拡張していく。この点は、不正の早期発見がなぜ重要かを示している。
7. 発展——不正のダイヤモンド
3要素に第4の要素として「能力(Capability)」を加える見解がある。不正のダイヤモンドと呼ばれる。
動機があり、機会があり、正当化できたとしても、実行するには相応の能力を要するという指摘である。
- 組織内での地位と権限
- 手続や統制の内容についての知識
- 他者を欺き、また巻き込む対人能力
- 継続的な隠蔽に耐える精神的な強さ
日本システム技術事件の事業部長は、この4要素をすべて備えていた。部下に指示できる地位、事務手続への熟知、販売会社の担当者を欺いて残高確認書を回収させる対人能力、そして数年にわたる継続。
不正のダイヤモンドが示唆するのは、同じ機会があっても、それを不正に転化できる者は限られるということである。したがってリスク評価においては、業務そのもののリスクに加えて、その業務を担う者の権限と知識を考慮する必要がある。
8. 研修における扱い方
不正のトライアングルは、コンプライアンス研修で最も広く用いられる枠組みである。ただし、3要素を説明するだけでは効果は限定的である。
受講者が自分の職場に当てはめられるかが要点となる。
- 自部署において、一人で完結できてしまう業務はどれか
- その業務を長期間同一の者が担当していないか
- 目標設定が、達成できなければ困ると感じさせる水準になっていないか
- 「会社のため」という言葉で説明されている慣行はないか
これらを受講者自身に検討させる構成としなければ、知識として通過するだけで終わる。
また、管理職向けと一般職向けでは、扱う内容を変える必要がある。管理職に対しては、自らが動機を作り出す側になり得ること、そして管理職自身が不正を主導する場合に通常の統制が機能しにくいことを扱う。日本システム技術事件は、その教材として適している。
9. まとめ
- 不正のトライアングルの3要素は、動機・プレッシャー、機会、姿勢・正当化である
- 犯罪社会学者クレッシーの横領犯研究に由来する。原典における動機は「他人に打ち明けられない財務上の問題」であった
- 企業会計審議会「不正リスク対応基準」が同じ3分類を採用しており、監査実務の標準的枠組みである
- 組織が最も直接的に統制できるのは機会である。対策の中心はここに置く
- 正当化は、「会社のため」「もったいない」といった一見正当な価値観によっても成立する
- 3要素に能力を加えた不正のダイヤモンドという整理もある
参考資料
- Donald R. Cressey, Other People's Money: A Study in the Social Psychology of Embezzlement, 1953
- 企業会計審議会「監査における不正リスク対応基準」(平成25年3月26日)金融庁ウェブサイト
- 日本公認会計士協会 監査基準委員会報告書240「財務諸表監査における不正」
- 【要記入:お手元の文献があれば追記】
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不正のトライアングルの図解

- 機会 (Opportunity):不正を実行できる環境や状況の認識
- 動機 (Motivation/Pressure):不正に手を染める強い誘引やプレッシャー
- 正当化 (Rationalization):不正行為を自分の中で合理化する思考プロセス
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