本稿は、民法第七編相続第七章遺言第二節遺言の方式第一款普通の方式のうち、第973条から第975条までの三箇条を対象とする。三箇条はいずれも遺言の方式に関する規律であり、遺言者の意思能力の担保及び遺言の真正性の担保という共通の目的を有するため、一つの記事にまとめて取り上げるが、各条文について個別に条文原文、趣旨及び立法背景、用語解説、裁判例、改正履歴の各項目を設けて詳述する。
第973条 成年被後見人の遺言
条文原文
第九百七十三条 成年被後見人が事理を弁識する能力を一時回復した時において遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならない。
2 遺言に立ち会った医師は、遺言者が遺言をする時において精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態になかった旨を遺言書に付記して、これに署名し、印を押さなければならない。ただし、秘密証書による遺言にあっては、その封紙にその旨の記載をし、署名し、印を押さなければならない。
趣旨及び立法背景
遺言は民法961条により満15歳に達した者であれば単独で行うことができる身分行為であり、行為能力に関する一般規定の適用を受けない。
したがって成年被後見人であっても、事理を弁識する能力すなわち意思能力を有する限り、遺言をする資格そのものは失われない。
もっとも成年被後見人は精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあると家庭裁判所により認定された者であるから、通常時においてその遺言能力には疑義が生じやすい。
第973条は、この疑義を制度的に払拭するため、判断能力が一時的に回復した際に遺言をする場合の特別の方式を定めたものである。
医師二人以上の立会いを要求する趣旨は、遺言作成時点における遺言者の意思能力の有無を医学的知見に基づき第三者の目で確認させ、後日の紛争を予防することにある。
第2項が医師に遺言書への付記、署名及び押印を義務付けているのも、立会いの事実と判断内容を書面上に残し証拠として機能させるためである。
用語解説
事理を弁識する能力とは、自己の行為の結果を判断することができる精神的能力をいい、意思能力とほぼ同義に用いられる。一時回復とは、成年後見開始の原因となった精神上の障害が消滅したことを意味するものではなく、症状の変動により一時的に判断能力が戻った状態を指す。秘密証書遺言とは、遺言の内容を秘密にしたまま、遺言書の存在のみを公証人及び証人の前で証明させる方式の遺言であり、民法970条にその方式が定められている。封紙とは、秘密証書遺言において遺言書を封入した上でその封じ目に公証人及び証人が署名押印する用紙をいう。
裁判例
成年被後見人による遺言能力の有無が争われた事案として、名古屋高等裁判所平成9年5月28日判決がある。同事案では被相続人が多発性脳梗塞による見当識障害や記憶障害を有していたものの、知的能力の低下が一時的な改善を期待できる性質のものであったこと、公正証書作成当時の受け答えの様子、遺言内容が単純なものであったことなどから遺言能力が認められ、名古屋地方裁判所岡崎支部及び名古屋高等裁判所のいずれも当該遺言を有効と判断した。この判断枠組みは、第973条所定の医師二人以上の立会いという形式的要件を充足したことのみをもって遺言の有効性が確定するものではなく、実際の遺言作成時における意思能力の有無は、診療録その他の資料から個別に認定される問題であることを示している。
なお第973条所定の方式によらずに成年後見開始後に作成された遺言は、事理弁識能力の一時回復という前提を欠くため、原則として遺言能力の存否自体が争われることになる。
改正履歴
第973条は明治民法の家督相続に関する規定を有していたが、昭和22年の応急措置法及びその後の民法改正により家制度が廃止されたことに伴い、当該規定は削除された。現行の条文構造である成年被後見人の遺言に関する規律は、成年後見制度を導入した平成11年民法改正において、禁治産者の遺言に関する旧規定を引き継ぐ形で整備されたものである。その後、令和6年までの一連の相続法改正においては第973条自体に対する実体的な改正はなされていない。
第974条 証人及び立会人の欠格事由
条文原文
第九百七十四条 次に掲げる者は、遺言の証人又は立会人となることができない。
一 未成年者
二 推定相続人及び受遺者並びにこれらの配偶者及び直系血族
三 公証人の配偶者、四親等内の親族、書記及び使用人
趣旨及び立法背景
公正証書遺言、秘密証書遺言、死亡危急者遺言及び船舶遭難者遺言等の特別方式遺言においては、遺言者本人以外の第三者による立会いが方式要件とされている。
証人及び立会人の役割は、遺言者の口授内容と実際に作成された証書の記載内容が一致することを確認し、かつ遺言者の真意に基づく遺言がなされたことを担保する点にある。この機能を実質的に果たすためには、証人及び立会人が遺言の内容について利害関係を持たない中立的な第三者であることが不可欠である。
第974条第1号が未成年者を欠格事由とするのは判断能力の未成熟を理由とし、
第2号が推定相続人、受遺者及びこれらの配偶者並びに直系血族を欠格事由とするのは、遺言の内容により直接利益を受ける立場にある者を証人から排除することで公正な立会いを確保するためであり、
第3号が公証人の配偶者、四親等内の親族、書記及び使用人を欠格事由とするのは、証人の中立性の担保に加え、公証人と証人との間の独立性を確保する趣旨である。
用語解説
推定相続人とは、現時点で相続が開始したと仮定した場合に相続人となるべき地位にある者をいう。受遺者とは、遺贈により財産を取得する者をいう。直系血族とは、父母、祖父母、子及び孫等、血縁が直系でつながる者をいう。四親等内の親族とは、親等の計算方法に従い四親等までの範囲にある親族をいい、いとこがこれに含まれる。書記及び使用人とは、公証役場において公証人の事務を補助する者を指す。
裁判例
証人適格を欠く者が公正証書遺言の作成に同席した場合の遺言の効力について、最高裁判所平成13年3月27日判決がある。同判決は、遺言公正証書の作成に当たり証人となることができない者が同席していたとしても、その者によって遺言の内容が左右されたり遺言者が自己の真意に基づいて遺言をすることを妨げられたりするなど特段の事情のない限り、当該遺言が無効となるものではないと判示した。この判断は、第974条所定の欠格事由に該当する者が法律上の証人又は立会人としてではなく、単に事実上その場に居合わせたにとどまる場合には、遺言の効力に直ちに影響を及ぼさないことを明らかにしたものである。
一方、証人としての資格そのものが問題となった事案として、最高裁判所昭和55年12月4日判決がある。視覚障害者が証人となることの可否が争点となった事案において、盲人は法律上の欠格事由に該当しない以上、事実上の欠格者にも当たらないとして証人適格を肯定した。この判断は、第974条各号に列挙された欠格事由が限定列挙であり、条文に明示されていない属性を理由に証人適格を否定することはできないという解釈の方向性を示している。
なお欠格者が証人又は立会人として関与した場合の効果については、遺言中当該欠格者に関する部分のみが無効となるのではなく、遺言全体が無効となるという解釈が実務上定着している。
改正履歴
第974条についても平成11年の成年後見制度導入に伴う関連規定の整備がなされているが、証人及び立会人の欠格事由そのものの列挙内容については明治民法制定以来大きな変更を経ておらず、令和6年までの改正においても実体的な改正は行われていない。
第975条 共同遺言の禁止
条文原文
第九百七十五条 遺言は、二人以上の者が同一の証書ですることができない。
趣旨及び立法背景
遺言は遺言者本人の最終意思を表明する単独行為であり、いつでも自由に撤回することができる性質を有する。この撤回の自由は民法1022条により保障されている。
仮に二人以上の者が同一の証書に共同して遺言をすることを認めれば、一方の遺言者が他方の意向を斟酌して自由な意思決定を妨げられるおそれが生じ、また一方が遺言を撤回しようとしても他方との関係で事実上撤回が困難になるという弊害が生じる。第975条はこうした弊害を防止するため、同一の証書による共同遺言を一律に禁止したものである。
禁止の対象となるのは、内容的に独立した遺言を単に一枚の証書にまとめて記載する単純共同遺言、遺言者相互が財産を交換的に遺贈し合う内容の共同遺言、及び一方の遺言の効力の存否が他方の遺言の効力に連動する内容の共同遺言のいずれをも含む。単純共同遺言についても、内容自体は独立していても証書という形式において結合している以上、遺言者相互の意思が影響を受けた疑いが払拭できないことから禁止の対象とされている。
用語解説
同一の証書とは、物理的に一体をなす一通の書面を意味する。共同遺言とは、二人以上の遺言者が同一の証書で行う遺言の総称であり、単純共同遺言、相互遺贈型の共同遺言及び相関的共同遺言に分類される。相関的共同遺言とは、一方の遺言の効力が生じなければ他方の遺言も効力を生じないとするなど、複数の遺言相互の効力を連動させる内容の共同遺言をいう。
裁判例
共同遺言への該当性が争われた代表的な判例として、最高裁判所昭和56年9月11日判決がある。同判決は、同一の証書に二人の遺言が記載されている場合、そのうちの一方に氏名を自書しないという方式違背があったとしても、当該遺言全体が第975条により禁止された共同遺言に当たると判断した。この判断は、共同遺言の一部について方式上の瑕疵があることが、共同遺言該当性の判断そのものに影響を及ぼさないことを明らかにしたものであり、夫婦間で作成された自筆証書遺言について一方が他方の署名を代筆したような事案にも同様の枠組みが適用されている。
これに対し、最高裁判所平成5年10月19日判決は異なる判断を示している。同判決は、一通の証書に二人の遺言が記載されている場合であっても、その証書が各人の遺言書の用紙をつづり合わせたものであり、両者を容易に切り離すことができるときは、当該遺言は第975条によって禁止された共同遺言には当たらないと判断した。この判断は、共同遺言該当性の判断基準が単に一通の証書に複数人の遺言が記載されているという外形のみによって決まるのではなく、当該証書が物理的に分離可能な独立した用紙で構成されているか否かという実質的な観点から判断されることを示している。
なお共同遺言は同一の証書に記載された場合に限られるため、各遺言者が別々の用紙に遺言を作成した上でこれらを同一の封筒に収めたにすぎない場合は、第975条の禁止の対象とはならない。
改正履歴
第975条についても明治民法以来、共同遺言禁止の実体的な規律に変更はなく、令和6年までの相続法改正においても改正は行われていない。
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