1 条文原文
(配偶者による使用及び収益)
第千三十二条 配偶者は、従前の用法に従い、善良な管理者の注意をもって、居住建物の使用及び収益をしなければならない。ただし、従前居住の用に供していなかった部分について、これを居住の用に供することを妨げない。
2 配偶者居住権は、譲渡することができない。
3 配偶者は、居住建物の所有者の承諾を得なければ、居住建物の改築若しくは増築をし、又は第三者に居住建物の使用若しくは収益をさせることができない。
4 配偶者が第一項又は前項の規定に違反した場合において、居住建物の所有者が相当の期間を定めてその是正の催告をし、その期間内に是正がされないときは、居住建物の所有者は、当該配偶者に対する意思表示によって配偶者居住権を消滅させることができる。
(居住建物の修繕等)
第千三十三条 配偶者は、居住建物の使用及び収益に必要な修繕をすることができる。
2 居住建物の修繕が必要である場合において、配偶者が相当の期間内に必要な修繕をしないときは、居住建物の所有者は、その修繕をすることができる。
3 居住建物が修繕を要するとき(第一項の規定により配偶者が自らその修繕をするときを除く。)、又は居住建物について権利を主張する者があるときは、配偶者は、居住建物の所有者に対し、遅滞なくその旨を通知しなければならない。ただし、居住建物の所有者が既にこれを知っているときは、この限りでない。
(居住建物の費用の負担)
第千三十四条 配偶者は、居住建物の通常の必要費を負担する。
2 第五百八十三条第二項の規定は、前項の通常の必要費以外の費用について準用する。
(居住建物の返還等)
第千三十五条 配偶者は、配偶者居住権が消滅したときは、居住建物の返還をしなければならない。ただし、配偶者が居住建物について共有持分を有する場合は、居住建物の所有者は、配偶者居住権が消滅したことを理由としては、居住建物の返還を求めることができない。
2 第五百九十九条第一項及び第二項並びに第六百二十一条の規定は、前項本文の規定により配偶者が相続の開始後に附属させた物がある居住建物又は相続の開始後に生じた損傷がある居住建物の返還をする場合について準用する。
(使用貸借及び賃貸借の規定の準用)
第千三十六条 第五百九十七条第一項及び第三項、第六百条、第六百十三条並びに第六百十六条の二の規定は、配偶者居住権について準用する。
読解に必要な関連条文を挙げる。
(買戻しの実行)
第五百八十三条第二項 買主又は転得者が不動産について費用を支出したときは、売主は、第百九十六条の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、有益費については、裁判所は、売主の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。
(占有者による費用の償還請求)
第百九十六条 占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する。
2 占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り、回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。(後段略)
(期間満了等による使用貸借の終了)
第五百九十七条 当事者が使用貸借の期間を定めたときは、使用貸借は、その期間が満了することによって終了する。
3 使用貸借は、借主の死亡によって終了する。
(借主による収去等)
第五百九十九条 借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物がある場合において、使用貸借が終了したときは、その附属させた物を収去する義務を負う。ただし、借用物から分離することができない物又は分離するのに過分の費用を要する物については、この限りでない。
2 借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物を収去することができる。
(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限)
第六百条 契約の本旨に反する使用又は収益によって生じた損害の賠償及び借主が支出した費用の償還は、貸主が返還を受けた時から一年以内に請求しなければならない。
2 前項の損害賠償の請求権については、貸主が返還を受けた時から一年を経過するまでの間は、時効は、完成しない。
(賃借物の全部滅失等による賃貸借の終了)
第六百十六条の二 賃借物の全部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合には、賃貸借は、これによって終了する。
(賃借人の原状回復義務)
第六百二十一条 賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
2 五か条の位置づけ
前回扱った第1028条から第1031条までが、配偶者居住権がどのように成立し、どう対抗力を備えるかを定めていたのに対し、この五か条は、成立した後の権利の中身と、その終わり方を定める。
配偶者居住権は、無償で他人の建物を使うという点で使用貸借に似て、収益もできるという点で賃貸借に似る。そこで立法は、使用貸借と賃貸借の規定を選んで準用する方法をとった。第1032条から第1035条までが固有の規律を置き、第1036条がその他を準用でまかなう構造である。
準用が多いため条文だけでは全体像がつかみにくいが、整理すると次の三つに分かれる。配偶者が守るべきこと(第1032条)、建物の維持と費用の分担(第1033条、第1034条)、権利が終わったときの後始末(第1035条、第1036条)である。
3 第1032条第1項(用法遵守義務と善管注意義務)
3.1 趣旨と文理解釈
配偶者は建物を無償で使えるが、所有権は他の相続人にある。いずれ返す建物であるから、勝手な使い方をして価値を損なうことは許されない。
「従前の用法に従い」とは、相続開始前の使い方を維持するという意味である。住居として使っていた建物を飲食店に変えることはできない。
「善良な管理者の注意をもって」は、自分の物に対するのと同じ程度の注意では足りず、その立場にある者に通常期待される注意を尽くすことを求める。戸締まりや火の始末を怠り建物を損傷させれば、義務違反となる。
ただし書は、従前居住の用に供していなかった部分を居住の用に供することを認める。一階が店舗、二階が住居という建物で、店舗をたたんで一階も住まいとして使うことができる。居住の確保という制度の目的に沿う方向の変更であるから、用法違反にはならない。逆に、居住部分を店舗に変えることは認められない。
4 第1032条第2項(譲渡の禁止)
4.1 趣旨
配偶者居住権は譲渡できない。制度の目的が配偶者本人の居住の確保にあり、権利者が入れ替わることを予定していないからである。相続の対象にもならず、配偶者の死亡によって消滅する。
4.2 実務での意味
譲渡できないという性質は、実務上の制約として現れる。
配偶者が施設に入居することになり、まとまった資金が必要になっても、配偶者居住権を売って現金化することはできない。建物を所有者が売却しようとしても、配偶者居住権の負担が付いたままでは買い手がつきにくい。
この場面で用いられるのが、所有者との合意による消滅である。配偶者が権利を放棄し、または所有者との合意で消滅させ、所有者から対価を受け取るという処理である。譲渡の禁止は、第三者への権利移転を禁じるものであり、所有者との間で権利を消滅させることまで禁じてはいない。
ここで税務上の取扱いに注意が要る。国税庁の通達により、合意解除または放棄によって配偶者居住権が消滅した場合において、建物などの所有者が対価を支払わなかったとき、または著しく低い対価しか支払わなかったときは、配偶者から所有者への贈与があったものとして取り扱われ、贈与税が課される。配偶者の死亡、存続期間の満了、建物の全部滅失による消滅には、この取扱いはない。合意による消滅を検討する場合は、事前に税理士に相談するのが賢明である。
5 第1032条第3項(増改築と第三者の使用収益)
5.1 文理解釈
配偶者は、所有者の承諾を得なければ、居住建物の改築や増築をすることができず、第三者に居住建物の使用や収益をさせることもできない。
建物の形状や価値を変える行為、そして占有者を入れ替える行為は、所有者の利益に直接かかわるため、承諾が要る。バリアフリー化のための大規模な改修は、修繕(第1033条)の範囲を超えれば改築に当たり、承諾が必要になる。
第三者への使用収益には、賃貸のほか使用貸借も含まれる。子を同居させる程度であれば、配偶者自身の居住の一部として承諾は不要と解されるが、独立の占有を認める場合は承諾を要すると考えるべきである。
5.2 賃貸の活用
承諾があれば、配偶者は建物を第三者に賃貸し、賃料を得ることができる。配偶者居住権が「使用及び収益」の権利とされている意味がここにある。
配偶者が施設に入居し、自宅に住まなくなった場合、配偶者居住権を維持したまま建物を賃貸し、賃料を施設費用に充てるという使い方が考えられる。配偶者が住まなくなっても配偶者居住権が当然に消滅するわけではないため、この処理は可能である。所有者の承諾を得られるかどうかが実務上の鍵になる。
第1036条が準用する第613条により、転貸の場合の関係が規律される。賃借人は所有者に対して直接義務を負い、所有者は賃料を直接請求できる。
6 第1032条第4項(違反による消滅)
6.1 文理解釈
配偶者が用法遵守義務や善管注意義務に違反し、または無断で増改築や第三者への使用収益をさせた場合、所有者は相当の期間を定めて是正を催告し、その期間内に是正がされないときは、配偶者に対する意思表示によって配偶者居住権を消滅させることができる。
催告が要件とされている点が特徴である。賃貸借では、賃借人の義務違反が信頼関係を破壊する程度に至っていれば無催告解除が認められることがあるが、配偶者居住権では条文が催告を明文で求めている。居住を失う不利益の重さを踏まえ、是正の機会を保障した趣旨である。
消滅の効果は意思表示によって生じ、将来に向かって効力を持つ。裁判所の関与は不要であるが、配偶者が争えば、義務違反の有無と催告の相当性が訴訟で判断される。
消滅後、配偶者は第1035条により建物を返還しなければならない。
6.2 参考となる賃貸借の判例
配偶者居住権をめぐる裁判例はまだ乏しい。用法違反や無断転貸の評価については、賃貸借に関する判例の考え方が参考になる。
最高裁判所判決昭和28年9月25日民集7巻9号979頁は、賃借人が賃貸人の承諾なく第三者に賃借物を使用収益させた場合において、賃借人の当該行為が賃貸人に対する背信的行為と認めるに足りない特段の事情があるときは、賃貸人は解除権を行使できないとした。形式的に違反があっても、実質的な信頼関係が壊れていなければ契約関係を終わらせないという考え方である。
配偶者居住権でも、軽微な違反や所有者に実害のない違反を理由に居住を奪うことは、制度の目的に反する。第4項が催告を求めていることと合わせ、消滅させるには相応の違反が必要と考えるのが自然である。
7 第1033条(居住建物の修繕)
7.1 第1項(配偶者による修繕)
配偶者は、使用収益に必要な修繕をすることができる。「することができる」という書き方であり、義務ではなく権限である。所有者の承諾を得ずに行える。
雨漏りの補修、給湯器の交換、建具の修理といった、建物を使い続けるために必要な範囲の工事がこれに当たる。建物の価値を高める改良や、間取りを変える工事は改築に当たり、第1032条第3項の承諾が要る。修繕と改築の線引きは、工事の規模と建物の同一性が保たれるかで判断される。
7.2 第2項(所有者による修繕)
修繕が必要であるのに配偶者が相当の期間内に行わないときは、所有者が修繕できる。配偶者が放置したために建物が傷むことを防ぐ規定である。所有者は、修繕のために建物に立ち入ることができると解される。
7.3 第3項(通知義務)
配偶者は、建物が修繕を要するとき、または建物について権利を主張する者があるときは、遅滞なく所有者に通知しなければならない。自ら修繕する場合は通知を要しない。所有者が既に知っているときも同様である。
「権利を主張する者」とは、建物の所有権を主張する第三者、抵当権を実行しようとする者、不法に占有する者などである。所有者は建物に住んでいないため、こうした事態を知る機会がない。現に住んでいる配偶者に通知義務を課すことで、所有者が対応できるようにしている。
この通知を怠り所有者に損害が生じれば、配偶者は賠償責任を負いうる。
8 第1034条(費用の負担)
8.1 第1項(通常の必要費)
配偶者は、居住建物の通常の必要費を負担する。
通常の必要費とは、建物を通常の状態で維持するために経常的にかかる費用である。具体的には、建物の固定資産税、軽微な修繕の費用、日常的な管理の費用がこれに当たる。マンションであれば管理費や修繕積立金も含まれると解されている。
固定資産税の扱いには実務上の工夫が要る。地方税法上の納税義務者は1月1日時点の所有者であり、配偶者ではない。そこで、所有者がいったん納付したうえで、通常の必要費として配偶者に求償するという流れになる。遺産分割の段階で、固定資産税の負担と精算の方法を取り決めておくと、後の摩擦を避けられる。
8.2 第2項(通常の必要費以外の費用)
通常の必要費以外の費用については、第583条第2項が準用される。同項は第196条を引くため、結局は占有者の費用償還請求の規律による。
特別の必要費、たとえば台風で屋根が大きく損傷した場合の大規模な修繕費は、配偶者が支出したときは所有者に償還を請求できる。
有益費、たとえば設備を高性能なものに入れ替えて建物の価値を高めた場合の費用は、価格の増加が現存する場合に限り、所有者の選択に従って支出額または増価額の償還を請求できる。有益費については、裁判所が所有者の請求により相当の期限を許与できる。
費用の償還請求には期間制限がある。第1036条が準用する第600条により、所有者が建物の返還を受けた時から1年以内に請求しなければならない。配偶者居住権が終了した後、長く放置すれば請求できなくなる。
9 第1035条(居住建物の返還)
9.1 第1項本文と ただし書
配偶者居住権が消滅すれば、配偶者は建物を返還しなければならない。
ただし書は、配偶者が居住建物について共有持分を有する場合に、所有者は配偶者居住権の消滅を理由としては返還を求められないと定める。配偶者が共有持分を持っていれば、その持分に基づいて建物を占有する権原があるからである。配偶者居住権が消えても、共有者としての占有権原は残る。この場合、建物の使用関係は共有の規律(第249条以下)によって処理される。
9.2 第2項(収去と原状回復)
準用されるのは第599条第1項と第2項、そして第621条である。
第599条第1項により、配偶者は相続開始後に建物に附属させた物を収去する義務を負う。ただし、分離できない物や分離に過分の費用を要する物は除かれる。第2項により、収去する権利も認められる。
第621条により、配偶者は相続開始後に生じた損傷を原状に復する義務を負う。ここで括弧書が効いてくる。通常の使用収益によって生じた損耗と経年変化は、原状回復の対象から除かれる。畳の日焼けや壁紙の変色を元に戻す必要はない。損傷が配偶者の責めに帰することができない事由によるものであるときも、義務を負わない。
基準時は相続開始後である。相続開始前から存在した損傷や汚れについて、配偶者が責任を負うことはない。
9.3 参考となる賃貸借の判例
通常損耗の扱いについては、賃貸借の判例が参考になる。最高裁判所判決平成17年12月16日判時1921号61頁は、建物の賃貸借において、通常損耗についての原状回復義務を賃借人に負わせるには、その旨が賃貸借契約書に具体的に明記されているなど、賃借人がその義務を認識できる程度に明確に合意されている必要があるとした。
配偶者居住権では第621条の準用によって通常損耗が明文で除かれているため、この点の争いは生じにくい。もっとも、何が通常損耗で何が損傷かという線引きは残る。返還の場面では、相続開始時の建物の状態を写真などで記録しておくことが、双方にとって有益である。
10 第1036条(使用貸借と賃貸借の規定の準用)
10.1 準用される規定
準用されるのは次の四つである。
- 第597条第1項 存続期間を定めた場合、その期間の満了によって終了する
- 第597条第3項 配偶者の死亡によって終了する
- 第600条 損害賠償と費用償還の請求は返還を受けた時から1年以内にしなければならない。損害賠償請求権の時効は返還を受けた時から1年を経過するまで完成しない
- 第613条 第三者に使用収益させた場合の関係。第三者は所有者に対して直接義務を負う
- 第616条の2 建物の全部が滅失その他の事由により使用収益できなくなった場合には終了する
10.2 消滅事由の整理
配偶者居住権が消滅する場面を一覧にすると、次のようになる。
- 存続期間の満了(第1030条、第1036条が準用する第597条第1項)
- 配偶者の死亡(第1036条が準用する第597条第3項)
- 居住建物の全部滅失など、使用収益ができなくなったこと(第1036条が準用する第616条の2)
- 所有者による消滅の意思表示(第1032条第4項)
- 配偶者が建物の所有権を単独で取得したことによる混同(第179条第1項本文。他の者が共有持分を有する場合は第1028条第2項により消滅しない)
- 配偶者による放棄、所有者との合意による消滅
配偶者が建物に住まなくなったことは、消滅事由ではない。施設に入居しても、配偶者居住権は存続する。この点は、配偶者短期居住権との違いとして押さえておきたい。
10.3 抹消登記
配偶者居住権が消滅したら、登記の抹消が必要である。消滅の原因によって申請の方法が分かれる。
配偶者の死亡による消滅の場合、登記記録には権利が配偶者の死亡によって消滅する旨が現れるため、不動産登記法第69条により、居住建物の所有者が単独で抹消を申請できる。配偶者の相続人の協力は要らない。法務局も、配偶者居住権者の死亡による抹消の申請書記載例を公表している。登記原因は「年月日死亡による消滅」となる。
存続期間の満了、放棄、合意による消滅の場合は、配偶者(またはその相続人)と所有者の共同申請による。
抹消を怠ると、登記記録に配偶者居住権が残ったままとなり、建物の売却や担保設定の妨げになる。消滅したら速やかに手続を進めるべきである。
11 用語解説
用法遵守義務
契約や法律で定められた用途に従って目的物を使用する義務。配偶者居住権では相続開始前の用法が基準となる。
善良な管理者の注意
その立場にある者として通常期待される程度の注意。自己の財産に対するのと同一の注意より高い水準である。
通常の必要費
物を通常の状態で維持するために経常的にかかる費用。固定資産税や軽微な修繕費がこれに当たる。
特別の必要費
災害による大規模修繕のように、通常は生じない保存のための費用。
有益費
物の改良のために支出し、その価値を増加させる費用。価格の増加が現存する場合に償還の対象となる。
収去
建物に附属させた物を取り外して持ち去ること。
原状回復
損傷を元の状態に戻すこと。通常損耗と経年変化は対象外である。
混同
同一物について所有権と他の物権が同一人に帰属した場合に、他の物権が消滅すること。
12 改正の経緯と現行法の状況
この五か条は、平成30年法律第72号による相続法改正で新設され、令和2年4月1日から施行された。同改正の附則第10条により、施行日前に開始した相続には適用されない。
条文が準用する規定のうち、第597条、第599条、第600条、第616条の2、第621条は、平成29年法律第44号による債権法改正で整備された規定である。配偶者居住権の設計が、債権法改正後の使用貸借と賃貸借の規律を前提に組まれていることが分かる。
令和8年6月24日に公布された民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)は、成年後見制度の一元化と遺言制度の見直しを内容とするものであり、法務省が公表した新旧対照条文によれば、第1032条から第1036条までは改正の対象に含まれていない。
13 判例・裁判例
13.1 配偶者居住権をめぐる判例の状況
第1032条から第1036条までを正面から扱った最高裁判所の判例は、まだ見当たらない。令和2年4月1日以後に開始した相続にしか適用されず、権利が存続している段階では紛争が表面化しにくいためと考えられる。用法違反による消滅や返還時の原状回復が争われるのは、設定から相当の年数が経った後になる。
判断の手がかりは、準用元である使用貸借と賃貸借の判例に求めることになる。
13.2 無断使用と信頼関係(最高裁判所判決昭和28年9月25日)
最高裁判所判決昭和28年9月25日民集7巻9号979頁は、賃借人が賃貸人の承諾を得ずに第三者に賃借物の使用収益をさせた場合であっても、賃借人の行為を賃貸人に対する背信的行為と認めるに足りない特段の事情があるときは、賃貸人は解除権を行使できないとした。
形式的な違反の有無だけでなく、信頼関係が破壊されたかどうかで判断するという枠組みは、第1032条第4項の運用にも影響を及ぼすと考えられる。
13.3 通常損耗の原状回復(最高裁判所判決平成17年12月16日)
最高裁判所判決平成17年12月16日判時1921号61頁は、建物の賃貸借において、通常損耗についての原状回復義務を賃借人に負わせるには、その旨が契約書に具体的に明記されるなど、賃借人が明確に認識できる形で合意されていることを要するとした。
現行の第621条は通常損耗と経年変化を原状回復の対象から明文で除いており、この判例の考え方が条文に取り込まれた形になっている。第1035条第2項の準用によって、配偶者居住権にも同じ規律が及ぶ。
13.4 制度の前史(最高裁判所判決平成8年12月17日)
最高裁判所判決平成8年12月17日民集50巻10号2778頁は、相続人の一人が被相続人と同居していた場合に、相続開始時を始期とし遺産分割時を終期とする使用貸借契約の成立を推認した。配偶者居住権の前史として、前回の記事で扱ったとおりである。
14 実務上の留意点
配偶者への助言は次のとおりである。
- 建物の使い方を大きく変えない。居住部分を店舗にするような変更は用法違反になる
- 増築、改築、賃貸には所有者の承諾が要る。工事の見積りを取る前に相談する
- 修繕は承諾なしにできる。雨漏りを放置すると、かえって義務違反を問われかねない
- 建物に権利を主張する者が現れたら、遅滞なく所有者に知らせる
- 固定資産税は自分が負担する費用である。所有者から請求されることを前提に資金計画を立てる
- 特別の修繕費や有益費を支出したら、領収書と工事の内容を残す。返還から1年以内に請求する
- 施設に移っても配偶者居住権は消えない。賃貸に出したいときは所有者の承諾を得る
居住建物の所有者への助言は次のとおりである。
- 配偶者が修繕をしないときは、自ら修繕できる。放置は建物の価値を下げる
- 用法違反があれば、まず相当の期間を定めて是正を催告する。催告なしの消滅の意思表示は効力を生じない
- 固定資産税は納税義務者として納付し、配偶者に求償する。遺産分割の段階で精算方法を定めておく
- 配偶者が亡くなったら、単独で抹消登記を申請できる。速やかに手続する
遺産分割の段階で決めておくとよい事項は次のとおりである。
- 固定資産税、管理費、修繕積立金の負担と精算の方法
- 大規模修繕が必要になった場合の費用分担
- 第三者への賃貸を認めるかどうか、認める場合の条件
- 相続開始時の建物の状態の記録(写真、現況の確認書)
15 参考資料・参考サイト
- e-Gov法令検索 民法(明治29年法律第89号) https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 法務省「民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律について(相続法の改正)」 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00222.html
- 法務省民事局「民法等の一部を改正する法律」(成年後見及び遺言の制度の見直し)について https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00410.html
- 法務局 不動産登記の申請書様式について(配偶者居住権の抹消の記載例を含む) https://houmukyoku.moj.go.jp/homu/page7_000001_00014.html
- 国税庁 相続税法基本通達(配偶者居住権が合意解除または放棄により消滅した場合の取扱い) https://www.nta.go.jp/
- 裁判所 裁判例検索 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1
- 最高裁判所判決昭和28年9月25日民集7巻9号979頁
- 最高裁判所判決平成17年12月16日判時1921号61頁
- 最高裁判所判決平成8年12月17日民集50巻10号2778頁


