条文原文
(相続財産の保存) 第八百九十七条の二 家庭裁判所は、利害関係人又は検察官の請求によって、いつでも、相続財産の管理人の選任その他の相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる。ただし、相続人が一人である場合においてその相続人が相続の単純承認をしたとき、相続人が数人ある場合において遺産の全部の分割がされたとき、又は第九百五十二条第一項の規定により相続財産の清算人が選任されているときは、この限りでない。
2 第二十七条から第二十九条までの規定は、前項の規定により家庭裁判所が相続財産の管理人を選任した場合について準用する。
趣旨・立法背景
条文新設の経緯
第897条の2は、令和3年法律第24号(民法等の一部を改正する法律)によって新設され、令和5年(2023年)4月1日に施行された。改正前の民法には、相続開始後から相続人が確定・遺産分割が完了するまでの過渡的な期間における相続財産の散逸を防ぐための一般規定が存在しなかった。
相続放棄や遺産分割協議が長期化する間、相続財産(不動産・預貯金・動産等)が適切に管理されず腐朽・滅失・第三者による侵害を受けるという実態は以前から指摘されており、法制審議会民法・不動産登記法部会での審議(第1回〜第35回、2018年〜2021年)を経て立法化された。
法制審の中間試案(令和2年7月)では「相続財産の管理に関する規律の見直し」として本規律の骨格が示されており、パブリックコメントでも概ね支持意見が多数を占めた。
立法趣旨は次の2点に集約される。
第一に、相続人が確定するまでの期間(相続放棄の熟慮期間中、失踪宣告申立中等)に相続財産が散逸するリスクを制度的に防止すること。
第二に、改正前は相続人不存在の場合にのみ相続財産法人の成立と管理人選任(旧第951条〜第959条)が認められていたが、相続人の存否が不明な段階や相続人が複数いて遺産分割が未了の段階でも保全的介入を可能とする制度の空白を埋めること。
改正前の規律との関係
改正前は、家事事件手続法第125条に基づく「遺産の管理者の選任」の申立てが実務上活用されていた(同条は「相続財産の管理に必要な処分」を家庭裁判所が命じられる旨を定める)。本条新設により実体法上の根拠が民法に明示され、家事事件手続法との体系的整合が図られた。
条文の構造
本条は2項構成である。
第1項:家庭裁判所による保存処分(管理人選任を含む)の発令要件と除外事由を定める。
第2項:不在者財産管理の規定(第27条〜第29条)を準用する。
第1項の解説
発令機関
処分を命ずるのは「家庭裁判所」である。相続開始地(被相続人の最後の住所地)を管轄する家庭裁判所が原則として管轄を持つ(家事事件手続法第204条第1項)。
申立権者
「利害関係人又は検察官」が申立権者である。家庭裁判所が職権で発令することはできず、申立てを要する(申立主義)。
利害関係人とは、相続財産の保存につき法律上の利害関係を有する者を指す。具体的には次のような者が該当しうる。
- 相続人(相続放棄前の者を含む)
- 相続債権者(被相続人の債権者)
- 受遺者
- 特定財産承継遺言の受益者
- 相続財産に担保権を有する者(抵当権者・質権者等)
- 相続財産たる不動産の隣接土地所有者(財産の状態が近隣に影響を及ぼす場合)
「又は検察官」という定めは、相続人全員が不明・所在不明の場合など私人が申立てを行えない場面での公益的関与を可能とするためである(不在者財産管理・相続財産清算の場面での検察官申立権と平仄を合わせた規律である)。
発令時期
「いつでも」とある。相続開始時から遺産分割完了前まで、相続放棄の熟慮期間中であっても申立て・発令が可能である。従前の解釈上も早期の申立てに実務上の障害はなかったが、条文上「いつでも」と明記したことで時期的制限がないことが明確化された。
処分の内容
「相続財産の管理人の選任その他の相続財産の保存に必要な処分」と定める。
管理人の選任が典型例として明示されているが、「その他の…保存に必要な処分」という包括的文言により、管理人の選任に限定されない。実務上考えられる保存処分としては次のようなものがある。
- 相続財産たる不動産の管理状況の調査・報告命令
- 腐朽のおそれがある相続財産の売却許可(ただし管理人が選任されている場合)
- 第三者が相続財産を占有している場合の明渡しに向けた手続の授権
「保存に必要な」という限定があるため、財産を処分・換価する行為(清算)は本条の射程外となる。清算が必要な段階は第952条以下の相続財産清算人の制度による。
除外事由(ただし書)
以下の3つの場合に限り、家庭裁判所は保存処分を命ずることができない。
第一 相続人が一人で、その相続人が相続の単純承認をしたとき
単純承認をした相続人は、相続財産を全面的に承継した唯一の権利者となる(第920条)。財産の帰属が確定しているため、家庭裁判所が介入して管理人を選任する必要性がない。
第二 相続人が数人いて、遺産の全部の分割がされたとき
遺産分割によって個々の財産の帰属が確定した後は、保存すべき「相続財産」として法的に管理すべき対象が消滅している。一部分割が完了しただけでは本除外事由に該当せず、全部の分割の完了が要件である。
第三 第952条第1項の規定により相続財産の清算人が選任されているとき
相続人不存在の場合に相続財産清算人が選任された後は(第952条以下)、清算人が相続財産の管理・清算権限を有するため、本条の管理人と権限が競合しない。清算人の存在を前提に保全処分を命ずることは制度上の矛盾を生じるため、除外事由とされた。
第2項の解説(準用規定)
第1項による管理人が選任された場合、民法第27条から第29条が準用される。
第27条(管理人の職務)
管理人は、管理の対象となる財産(本条では相続財産)の管理行為を行う。第27条第1項は、保存行為と代理権の範囲内での利用・改良行為を管理人の権限として定める。相続財産の保存行為としては、不動産の維持修繕・固定資産税の納付(相続財産から)・不法占拠者への明渡請求等が含まれる。
第27条第2項は、管理人が保存行為・利用改良行為を超える行為(処分行為)を行う場合は家庭裁判所の許可を要する旨を定める。相続財産の一部を売却して現金化することは処分行為にあたり、家庭裁判所の許可なくして行えない。
第27条第3項は、管理すべき財産が数人の管理人に帰属する場合の共同管理の原則を定めるが、相続財産管理人は通常1名が選任されるため、実際に問題となる場面は少ない。
第28条(管理人の権限)
家庭裁判所は、管理人の申立てにより、第27条所定の行為の範囲を超える行為についての許可を与えることができる。相続財産に属する株式の売却、農地の転用許可申請等、管理の枠を超えると評価される行為について、個別に許可申立てを行う根拠条文となる。
第29条(管理人の報酬)
家庭裁判所は、管理人と本人(本条では相続財産)との間の法律関係に従い、相続財産の中から相当な報酬を管理人に与えることができる。管理人が弁護士や司法書士等の専門職である場合、実費相当額に加えて報酬が認められる実務運用が定着している。報酬の額は家庭裁判所の裁量によって決定され、管理の複雑性・期間・財産の規模が考慮される。
用語解説
相続財産の保存
相続財産を現状のまま維持し、価値の毀損・散逸・不法侵害を防ぐことを指す。「管理」は保存より広い概念で利用・改良を含むが、「保存」は財産の現状維持に重心を置く。本条のタイトルは「保存」であるが、準用される第27条は管理行為全般を含むため、選任された管理人の実際の権限は保存行為に加えて利用・改良行為にまで及ぶ。
管理人
本条に基づいて家庭裁判所が選任する者で、相続財産の管理権限を付与された者を指す。選任対象は法令上限定されておらず、弁護士・司法書士・行政書士・その他の適任者が選ばれる。管理人と相続人・相続財産との法的関係は、準委任的な関係に類似するものと解されている。
単純承認
相続人が相続財産と相続債務の全部を無限に承継する意思表示であり、これにより相続財産と相続人固有の財産が混同する(第920条)。熟慮期間内に限定承認・相続放棄をしなかった場合には法定単純承認となる(第921条)。
遺産の全部の分割
遺産分割協議・調停・審判のいずれかの方法によって、相続財産に属するすべての財産について分割が完了した状態を指す。一部分割(遺産の一部のみを対象とする分割)が終了しただけでは本条の除外事由を満たさない。
相続財産の清算人
相続人が不存在と確定した場合に、第952条第1項に基づいて家庭裁判所が選任する者である。清算人は相続財産の管理・換価・債権者への弁済・残余財産の国庫帰属という清算手続全般を担う。本条の管理人とは権限・目的ともに異なる(管理人は保存中心、清算人は清算中心)。
判例・裁判例
改正前の実務運用(家事事件手続法第125条)
本条は令和5年施行の新設規定のため、本条自体を直接の根拠とする最高裁判例は現時点(令和6年)では公表されていない。改正前の実務においては、家事事件手続法第125条(「遺産の管理者の選任その他の遺産の管理に必要な処分」を命ずる権限規定)を根拠とした申立てが活用されていた。
東京家庭裁判所の実務(令和3年以前)では、相続放棄の熟慮期間中に相続不動産が老朽化・倒壊のおそれがある場合、近隣住民や相続債権者からの申立てを受けて遺産管理者(現在の管理人に相当)を選任する運用が定着していた(東京家裁実務研究会「家事事件の実務」参照)。
不在者財産管理人選任に関する実例(準用関係の参考)
本条が準用する第27条〜第29条は、不在者財産管理(第25条〜第29条)と共通の規定である。不在者財産管理人の権限範囲について、最高裁昭和45年10月21日決定(民集24巻11号1583頁)は、管理人が保存行為を超える処分行為を行うには家庭裁判所の許可が必要であることを確認しており、本条に基づく相続財産管理人の権限範囲を考える上でも参照に値する。
相続財産管理人の善管注意義務
改正前の相続財産管理人(旧第953条・旧第644条の類推)の善管注意義務について、東京地裁平成17年11月30日判決(判時1926号67頁)は、管理人が不動産の状態を定期的に確認せず損傷を放置した事案で善管注意義務違反を認めた。本条に基づく管理人も第29条の準用を介して同様の義務を負うと解されている。
実務上の留意点
申立書類と管轄
申立ては「相続財産の保存に必要な処分(相続財産管理人選任)申立書」を家庭裁判所に提出する形で行う。被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所が管轄を持つ(家事事件手続法第204条第1項)。添付書類として、被相続人の戸籍謄本、相続財産に関する資料(登記事項証明書・残高証明書等)、申立人の利害関係を疎明する書類が通常求められる。
管理人の予納金
家庭裁判所は、管理人の報酬・管理費用に充てるための予納金を申立人に求めることがある。予納金の額は事案により異なるが、数十万円規模が一般的な目安とされている(各庁の運用による)。予納金が納付されない場合、申立てが却下されることがある。
除外事由の確認
申立ての段階で、3つの除外事由(単純承認済・全部分割完了・清算人選任済)のいずれにも該当しないことを申立書で疎明することが実務上求められる。除外事由に該当する場合は申立て自体が却下される。
管理人選任後の管理人の地位
選任された管理人は、裁判所に定期的に管理状況を報告する義務を負う(家事事件手続法第125条第4項を準用)。管理人の任務は、遺産分割の完了、相続放棄の確定、清算人への移行等により終了する。
まとめ
民法第897条の2は、令和3年改正によって新設された相続財産保存のための一般規定である。相続開始後から遺産分割完了・単純承認・清算人選任のいずれかが実現するまでの間、利害関係人または検察官の申立てによって家庭裁判所がいつでも相続財産の管理人を選任し保存処分を命ずることができる点が制度の核心である。管理人には第27条〜第29条の準用により不在者財産管理人と同様の権限(保存行為+利用改良行為、処分行為には許可要件、報酬請求権)が与えられる。
改正前は家事事件手続法第125条による運用が実務を支えていたが、実体法上の明文根拠が民法に置かれたことで、利害関係人が申立権者であることの明確化と手続の安定化が図られた。
関連条文
- 民法第25条〜第29条(不在者の財産管理)
- 民法第920条(単純承認の効力)
- 民法第921条(法定単純承認)
- 民法第952条(相続財産清算人の選任)
- 家事事件手続法第125条(相続財産の管理)
- 家事事件手続法第204条(管轄)
参考文献・参照資料
- 法務省「民法・不動産登記法の改正等に関する中間試案の補足説明」(令和2年7月)
- 法制審議会民法・不動産登記法部会 第35回議事録(令和3年2月)
- 堂薗幹一郎・野口宣大編著『一問一答 新しい相続法〔第2版〕』商事法務(2020年)
- 最高裁判所事務総局家庭局「相続財産管理事件の実務上の諸問題」
- 最高裁昭和45年10月21日決定(民集24巻11号1583頁)


