条文原文
(相続分の指定がある場合の債権者の権利の行使) 第九百二条の二
被相続人が相続開始の時において有した債務の債権者は、前条の規定による相続分の指定がされた場合であっても、各共同相続人に対し、第九百条及び第九百一条の規定により算定した相続分に応じてその権利を行使することができる。ただし、その債権者が共同相続人の一人に対してその指定された相続分に応じた債務の承継を承認したときは、この限りでない。
趣旨・立法背景
本条の位置付けと新設経緯
第902条は、被相続人が遺言によって共同相続人の相続分を自由に指定できることを規定する。財産の積極的な帰属先を被相続人の意思で決定する機能は相続法上長く認められてきたが、債務の承継割合についても被相続人が一方的に定めうるかという問いは、改正前の民法には明文の答えがなかった。
第902条の2は、平成30年(2018年)民法改正(法律第72号)によって新設され、令和元年(2019年)7月1日に施行された条文である。本条が立法化された直接の契機は、最高裁判所第三小法廷平成21年3月24日判決(民集63巻3号427頁)にある。同判決は、相続債務についての相続分の指定は相続債権者の関与なく行われたものであるから、相続債権者に対してはその効力が及ばないと判示した。改正法はこの判例法理を条文に取り込み、法律関係を明確にした。
債務の相続と遺言の限界
相続が開始すると、被相続人の財産(積極財産・消極財産の双方)は共同相続人に承継される(第896条本文)。可分債務は、相続開始と同時に法定相続分の割合で当然に各相続人に分割承継されるというのが判例・通説の立場であり(最大判昭和34年6月19日民集13巻6号757頁)、遺産分割の対象とはならない。
積極財産については、被相続人が遺言で帰属先を指定することは取引の相手方(受贈者・受益相続人等)との関係においても有効に機能する。ところが債務については様相が異なる。債権者は被相続人の財産状態や相続人の資力を前提として与信行動をとっており、相続後に被相続人の一方的な意思(遺言)によって債務の承継割合が変更されると、事前の予測が覆される。債権者を保護し取引の安全を維持するため、本条は法定相続分による権利行使を債権者の原則的な選択肢として確保した。
立案過程における論点
法制審議会での審議過程では、相続分の指定が債権者に対抗できないとする判例法理を明文化することについての異論は少なかった。問題は、債権者が自らの判断で「指定相続分に従った権利行使」を選ぶことを認めるかどうかであった。結論として、ただし書に「承認」制度が置かれ、債権者が指定相続分に応じた債務の承継を承認した場合は、以後その指定相続分による権利行使のみが許されることとされた。この設計は、債権者の自律的な判断と取引の安定性を両立させるものである。
用語解説
被相続人が相続開始の時において有した債務 相続開始(被相続人の死亡)の時点で存在していた被相続人の一切の債務を指す。金銭消費貸借契約に基づく借入金債務、売買代金支払債務、不法行為に基づく損害賠償債務など、種類を問わない。ただし、被相続人の一身に専属する義務(例:雇用関係上の労務提供義務)は相続の対象とならない(第896条ただし書)。
相続分の指定(前条の規定による) 第902条に基づき、遺言によって定められた各相続人の相続分(指定相続分)を指す。被相続人本人が遺言で直接定める場合と、遺言により第三者に委託して定めさせる場合(第902条1項)の双方を含む。
第900条及び第901条の規定により算定した相続分 法定相続分のことである。第900条が配偶者・子・直系尊属・兄弟姉妹の各相続分の原則的割合を規定し、第901条が代襲相続人の相続分を規定する。本条本文が「権利を行使することができる」と定める基準は、この法定相続分である。
各共同相続人 相続人が複数存在する場合の、それぞれの相続人を指す。本条は「各共同相続人に対し」と規定しており、債権者は、相続人全員に対して個別に法定相続分に応じた請求をなしうる。
承認(ただし書) 債権者が「共同相続人の一人に対して」「指定された相続分に応じた債務の承継を承認した」という要件を構成する概念である。具体的には、債権者が指定相続分を前提として債務の承継を了解・確認する意思表示と解される。形式的な要件(書面か口頭か等)については条文上の規定がなく、解釈に委ねられている。
条文の構造と解釈
本文(原則)――法定相続分による権利行使
本条本文は、遺言による相続分の指定の有無を問わず、相続債権者が各共同相続人に対し法定相続分に応じた請求をなしうることを規定する。この「できる」という文言は権能(facultas)の付与であり、債権者は法定相続分での請求と指定相続分での請求のいずれかを選択できる、という意味ではない。本文の構造は、債権者が原則として法定相続分での請求権を保持していることを宣明しつつ、ただし書で例外的に指定相続分への移行を認める形になっている。
法定相続分に基づく権利行使の具体的な意味は次のとおりである。たとえば被相続人が3,000万円の借入金債務を負ったまま死亡し、子A・Bが各2分の1の法定相続分を持つとする。遺言によって「Aが債務を全額引き受ける」と定められていても、債権者は依然としてBに対して1,500万円の支払いを請求できる。AとBの間の内部求償問題は別途処理されるが、それは債権者の問題ではない。
ただし書(例外)――承認による指定相続分への移行
ただし書は、債権者が共同相続人の「一人に対して」指定相続分に応じた債務の承継を承認した場合に、法定相続分での請求権を失うと規定する。ここで注目すべきは「一人に対して」という限定である。
承認の効果は当該相続人との関係に限定されるか、全相続人との関係で一体的に生じるかが問題となる。通説・実務上の理解は次のとおりである。債権者がある相続人Aに対して指定相続分に応じた債務の承継を承認した場合、当該承認はAとの関係でのみ効力を生じ、他の相続人Bとの関係では依然として法定相続分による請求が可能と解される。これは条文上「共同相続人の一人に対して」と個別化された文言からも支持される。
ただし、承認の撤回可能性については解釈上の論点がある。承認後に指定相続分から法定相続分への回帰を認めると、承認を受けた相続人の地位が不安定になる。一般的には、承認は確定的な意思表示として撤回不可と解するのが相当である。
判例・裁判例
最高裁判所第三小法廷平成21年3月24日判決(民集63巻3号427頁)
本条の直接の立法的淵源となった判決である。事案は、相続人の一人に財産全部を相続させる旨の遺言があった場合に、相続債権者が他の相続人に対して法定相続分に応じた債務の履行を請求できるかどうかが争われたものである。
最高裁は、相続債務についての相続分の指定は相続債権者の関与なく行われたものであるから、相続債権者に対してはその効力が及ばないと判示した。その一方で、相続債権者が任意の判断によって指定相続分に応じた権利行使を選ぶことは妨げられないとも述べており、債権者の選択肢を柔軟に認めた。第902条の2のただし書が設ける「承認」制度は、この判示の後段を制度化したものである。
最高裁判所大法廷昭和34年6月19日判決(民集13巻6号757頁)
可分債務は相続開始と同時に当然分割承継されるという命題を確立した判決である。本条は、この当然分割承継の割合として法定相続分を基準とすることを明文で確認し、指定相続分は相続人間では拘束力を持つが、対債権者では原則として機能しないという構造を前提としている。
実務上の留意点
遺言書がある場合の債権者対応 遺言書に相続分の指定が含まれていても、相続債権者は遺言の内容を調査したうえで法定相続分での請求権を行使することができる。金融機関その他の債権者は、相続開始後に相続人に対して法定相続分に基づく債務の履行を求める実務を維持できる。
相続人側からの免責の主張の不可 相続人は、「遺言によって他の相続人が債務を引き受けた」ことを理由として、債権者からの法定相続分に基づく請求を拒絶することはできない。相続人間での内部的な精算(求償等)は、あくまでも相続人同士の問題であり、債権者の関知するところではない。
承認後の実務的効果 債権者が指定相続分に基づく承認をした場合、その後の権利行使は当該相続人との関係では指定相続分の範囲に限定される。住宅ローン等の実務においては、免責的債務引受(第472条)と組み合わせて、特定の相続人に債務を集約させる手続きが用いられることが多い。この場合、債権者の明示的な同意が免責的債務引受の成立要件であり(第472条3項)、本条のただし書にいう「承認」と実質的に重なる場面も生じる。
関連条文
第896条(相続の一般的効力) 第900条(法定相続分) 第901条(代襲相続人の相続分) 第902条(遺言による相続分の指定) 第427条(可分債務の分割) 第472条(免責的債務引受) 第909条の2(遺産分割前の預貯金の払戻し)
市民向け要点まとめ
被相続人が「Aにはほとんど財産を渡さない」「Bが借金をすべて引き受ける」などと遺言に書いても、被相続人に借金を貸していた人(債権者)は、その遺言の内容に縛られない。死亡した人が生前に負っていた借金は、原則として法律で決められた割合(法定相続分)に従って各相続人に請求できる。
ただし、債権者が「遺言どおりで構わない」と了解(承認)した場合は、そちらの割合でしか請求できなくなる。つまり、遺言は相続人の間では効力を持つが、外部の債権者との関係では原則として及ばないというのが、第902条の2の規律である。
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