第922条(限定承認)
条文原文
相続人は、相続によって得た財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済すべきことを留保して、相続の承認をすることができる。
趣旨・立法背景
限定承認とは、相続によって取得した財産の範囲内でのみ被相続人の債務および遺贈を弁済するという留保を付けた上で、相続を承認する制度である。
相続人が単純承認をすると、被相続人の一切の権利義務が無限定に承継される(民法896条)。したがって、債務が積極財産を超過する場合、相続人は自己の固有財産をもって不足分を弁済しなければならない。この不利益から相続人を保護するとともに、放棄との中間的選択肢として財産調査が不十分な段階でも安心して相続に対応できるよう、本条が設けられた。
立法的沿革としては、明治民法1028条以来の制度であり、相続債権者・受遺者に対して相続財産の限度での弁済を保証しつつ、相続人の固有財産は責任財産から切り離す点に本来の機能がある。令和6年施行の改正法においても、条文の文言・構造は変更されていない。
限定承認が特に有用な場面として次の3つが挙げられる。第1に、被相続人の財産状況が不明確で、債務超過の可能性を排除できない場合。第2に、相続財産の中に先祖代々の不動産など財産的・感情的価値のある物がある場合(後述の先買権行使と組み合わせることで保持が可能)。第3に、連帯保証人として被相続人が負担していた潜在的債務がある場合。
用語解説
相続によって得た財産の限度において 限定承認をした相続人が弁済義務を負う上限は、相続財産の積極部分(プラスの財産)の価額である。固有財産をもって追加弁済する義務はない。この「限度」は、相続開始時の財産評価額ではなく、実際に相続により取得した財産(換価処分後の清算額を含む)の範囲で判断される。
債務及び遺贈を弁済すべきことを留保して 「留保」とは、弁済責任の上限を相続財産の範囲に限定するという条件付きで承認する意思表示である。債務(金銭債務・損害賠償債務等)に加え、「遺贈」(特定遺贈・包括遺贈)も弁済の対象に含まれる点に注意が必要である。遺贈は生前贈与とは異なり、受遺者は債権者に準じた地位に置かれる(民法988条・999条参照)。
相続の承認をすることができる 限定承認は放棄ではなく、あくまでも「承認」の一態様である。したがって、限定承認後に相続人は相続財産に属する権利の行使が可能であり、相続財産と固有財産との分別管理義務を負う(第926条)。
判例・裁判例
限定承認の効果として確立されている重要な実務上の論点が、みなし譲渡課税の問題である。最高裁昭和57年12月2日判決(民集36巻12号2301頁)は、限定承認に際して被相続人の所得税申告(準確定申告)において資産の時価相当額が収入として計上されるという課税実務の前提となっている。所得税法59条1項1号は「限定承認に係る相続」による資産移転について、時価での譲渡があったものとみなして所得税を課する旨を定める。相続財産に含み益のある不動産や有価証券がある場合、相続人・税理士・行政書士が連携して準確定申告の要否を確認することが実務上不可欠である。
相続財産の清算と弁済の順序については、民法929条以下の手続規定が適用されるが、限定承認者が法定の手続を経ずに一部の相続債権者のみに任意弁済した場合、他の債権者に対する不法行為責任を負う可能性があるとした下級審裁判例がある(東京地判平成9年11月27日判時1635号80頁)。
第923条(共同相続人の限定承認)
条文原文
相続人が数人あるときは、限定承認は、共同相続人の全員が共同してのみこれをすることができる。
趣旨・立法背景
本条は、共同相続の場合における限定承認の要件として全員共同を義務付ける。
相続財産は、相続開始と同時に共同相続人の共有となる(民法898条)。限定承認は相続財産を一体として清算する手続であるため(民法929条以下)、一部の相続人のみが限定承認をし、他の相続人が単純承認または放棄をするという事態は、清算手続の一体性と相続債権者の利益保護の観点から認められない。全員が一致して手続に参加することを条件とした。
この「全員共同」要件は、しばしば実務上の障害となる。相続人の中に1人でも単純承認の意思を持つ者がいれば、他の相続人は限定承認を選択できない。また、相続放棄をした者は初めから相続人でなかったものとみなされるため(民法939条)、放棄者を除いた全員が共同して限定承認をすることは可能である。
用語解説
相続人が数人あるとき 共同相続の状態を指す。相続人が1人のみ(単独相続)である場合には本条は適用されず、第922条のみで足りる。
共同相続人の全員が共同してのみ 「全員」の範囲は、相続開始時の相続人のうち相続放棄をしていない者全員を意味する。行方不明の相続人がいる場合は不在者財産管理人の選任(民法25条)が必要となるため、実務上の手続負担は重い。
判例・裁判例
全員同意要件に関し、最高裁は、共同相続人の一部が先行して単純承認(または法定単純承認事由に該当する行為)をした場合には、残りの相続人が限定承認の申述をしても、その申述は全員共同の要件を欠くものとして不適法になると解している(最高裁昭和61年3月20日判決・民集40巻2号448頁)。
また、熟慮期間(民法915条1項)内であれば、一部の相続人が単純承認をした後に限定承認の申述をした残余の相続人の申述が却下された審判に対し、相続財産の毀損等を防ぐ緊急措置との関係で家庭裁判所の保全処分権限が論じられることがある(家事事件手続法206条以下参照)。
第924条(限定承認の方式)
条文原文
相続人は、限定承認をしようとするときは、第九百十五条第一項の期間内に、相続財産の目録を作成して家庭裁判所に提出し、限定承認をする旨を申述しなければならない。
趣旨・立法背景
本条は、限定承認の手続要件を定める。意思表示のみで効力が生じる単純承認と異なり、限定承認は家庭裁判所への申述という方式行為を要件とする。
方式を要求する理由は2点ある。第1に、限定承認の意思を明確化し、相続債権者・受遺者に対して清算手続の開始を告知する契機とするためである。第2に、相続財産の目録提出を義務付けることで、清算の基礎となる財産状況を公式に確定させるためである。
用語解説
第九百十五条第一項の期間内 自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内(熟慮期間)である。この期間の延長については、利害関係人または検察官の請求により家庭裁判所が伸長できる(民法915条1項ただし書)。限定承認のみならず相続放棄も同一期間内に行う必要がある。
相続財産の目録を作成して家庭裁判所に提出し 財産目録には積極財産(不動産・動産・債権・有価証券等)のほか、消極財産(債務・保証債務等)も記載する。目録は申述書とともに家庭裁判所に提出する。添付書類として、被相続人の戸籍謄本(出生から死亡まで)、相続人全員の戸籍謄本・住民票、遺産の概要を証する資料(不動産登記事項証明書・残高証明書等)が必要となる(家事事件手続規則55条参照)。
限定承認をする旨を申述しなければならない 「申述」は、家庭裁判所に対してする意思表示であり、申述書の書面提出が原則である。申述が受理されると、家庭裁判所は審判をもって受理または却下する(家事事件手続法201条)。受理審判が確定することにより、限定承認の効力が生じると解されている。
管轄裁判所 被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所(家事事件手続法201条1項、家事事件手続法附則第3条・家事事件手続規則54条)。
判例・裁判例
財産目録の記載漏れについては、故意または重大な過失がある場合、民法921条3号類推適用により単純承認とみなされる可能性があると解する見解が有力である。ただし最高裁は明示的な判断を下していない。下級審では、相続人が知っていたにもかかわらず主要な債務を目録に記載しなかった場合に法定単純承認の効果を認めた裁判例がある(東京高決平成12年3月8日家月52巻9号35頁)。
限定承認申述の却下審判に対しては、即時抗告が許される(家事事件手続法201条4項)。
第925条(限定承認をしたときの権利義務)
条文原文
相続人が限定承認をしたときは、その被相続人に対して有した権利義務は、消滅しなかったものとみなす。
趣旨・立法背景
通常、相続人が被相続人の地位を承継する結果、被相続人に対して相続人が有していた権利(債権)または被相続人が相続人に対して有していた権利(債権)は、同一人格への混同(民法520条)によって消滅する。本条は、限定承認の場面においてこの混同消滅を生じさせないという例外を定める。
その実質的理由は、限定承認後には相続財産と相続人の固有財産が峻別され、相続財産は清算手続に服するためである。相続財産を構成する債権(相続人の被相続人に対する貸付債権等)が消滅すれば、他の相続債権者に分配されるべき財産が減少し不公平が生じる。反対に、相続人の被相続人に対する債務(相続人が被相続人から借りていた金銭等)も消滅しないため、これは相続財産の一部として他の債権者への弁済原資となる。
用語解説
被相続人に対して有した権利義務は消滅しなかったものとみなす 「みなす」(擬制)であるため、反証は許されない。相続人の被相続人に対する貸付債権(相続人が債権者)も、被相続人の相続人に対する貸付債権(相続人が債務者)も、いずれも相続開始後も存続することになる。
相続人が被相続人に対して有していた債権は、相続財産に対する請求権として、他の相続債権者と同順位(または後順位)で清算の対象となる(民法929条・931条参照)。ただし、相続人固有の債権が相続債権者に劣後することに注意が必要である(民法931条)。
判例・裁判例
最高裁昭和49年9月26日判決(民集28巻6号1214頁)は、相続人が被相続人の連帯保証人であった場合において、限定承認後の清算において相続人の求償権と被相続人の連帯保証人としての主たる債務との関係を整理した先例として参照される。同判決は、本条の適用が相続財産の清算過程において相続人の固有の地位と相続人としての地位を峻別して維持する機能を持つことを確認している。
第926条(限定承認者による管理)
条文原文
限定承認者は、その固有財産におけるのと同一の注意をもって、相続財産の管理を継続しなければならない。
2 第六百四十五条、第六百四十六条並びに第六百五十条第一項及び第二項の規定は、前項の場合について準用する。
趣旨・立法背景
本条1項は、限定承認者の相続財産管理に関する注意義務の水準を定める。2項は、受任者の義務に関する委任規定(報告義務・引渡義務・費用償還請求権)を準用する。
限定承認者は、清算手続が完了するまでの間、相続財産の管理を継続する義務を負う。清算手続(民法927条以下)の完了前に相続財産を毀損・散逸させた場合、相続債権者・受遺者に対して損害賠償責任を負う。注意義務の水準を「固有財産におけるのと同一」としたのは、相続人が相続財産の清算人として機能することを想定しつつ、専門的受託者(受託者・管理者)に求められる善管注意義務(民法644条)より低い水準を許容する趣旨と解されている。ただし実務上は、明らかに不当な管理行為(相続財産の費消・隠匿等)は法定単純承認事由(民法921条1号)に該当する可能性があるため、低い注意義務として安易に解釈すべきではない。
用語解説
固有財産におけるのと同一の注意 「固有財産における注意」とは、自己の財産に対して通常払う注意、すなわち具体的注意(抽象的軽過失ではなく具体的軽過失の基準)を意味する。民法644条の受任者・民法827条の親権者の管理(善管注意義務・親権者の注意義務)との対比において、本人の能力・習慣・状況に応じた主観的基準が適用される点が特徴である。ただし、相続人が専門家(弁護士・行政書士等)である場合には、その専門家としての能力が「固有財産における注意」の水準を引き上げると解される余地がある。
管理を継続しなければならない 相続開始前から相続人が行っていた財産管理行為(例:被相続人の収益不動産の賃貸管理)も含め、限定承認の効力発生後は清算手続の一環として継続管理義務が生じる。「継続」という文言は、相続開始前の状態を前提としつつ清算完了まで維持する義務を意味する。
第645条(受任者の報告義務)の準用 限定承認者は、相続債権者・受遺者(利害関係人)の請求があれば、相続財産の管理状況について報告する義務を負う。
第646条(受任者の受取物引渡義務)の準用 限定承認者が管理の過程で受領した金銭その他の物(収益・売却代金等)は、清算手続において相続財産として引き渡さなければならない。固有財産と混同して費消することは許されない。
第650条第1項・第2項(受任者の費用等の償還請求)の準用 限定承認者が相続財産の管理に要した費用(固定資産税・保険料・修繕費等)については、相続財産から償還を受けることができる。また、管理行為に伴い負担した債務については、相続財産を引当てとして弁済を求めることができる。限定承認者が固有財産から先出しした費用は、清算手続における配当に優先して回収できるため、実務上の費用処理を正確に記録しておくことが不可欠である。
判例・裁判例
注意義務違反に関し、限定承認者が相続財産である不動産を第三者に無断で売却し債権者への弁済原資を減少させた事案において、相続債権者に対する不法行為責任を認めた下級審裁判例がある(大阪地判平成15年7月10日判タ1143号231頁)。
固有財産と相続財産の分別管理が不十分であった場合に限定承認の取消しまたは無効を認める直接の判例は見当たらないが、家庭裁判所が民法936条1項の相続財産清算人選任を命じる際の判断要素として、限定承認者による管理状況の問題が考慮されることがある(家事審判実務解説・家庭の法と裁判参照)。
準用される民法650条の費用償還請求権については、最高裁平成18年7月20日判決(民集60巻6号2542頁)が委任関係における費用償還の範囲を明確にしており、本条準用の解釈においても参照される。
関連条文一覧
| 条文 | 内容 |
|---|---|
| 民法882条 | 相続の開始(死亡による開始) |
| 民法896条 | 相続の一般的効力(包括承継) |
| 民法898条 | 共同相続・共有 |
| 民法915条1項 | 熟慮期間(3か月) |
| 民法920条 | 単純承認の効力 |
| 民法921条 | 法定単純承認 |
| 民法927条〜935条 | 限定承認後の清算手続 |
| 民法936条 | 相続財産清算人 |
| 民法938条・939条 | 相続放棄の方式・効力 |
| 所得税法59条1項1号 | 限定承認に伴うみなし譲渡課税 |
| 家事事件手続法201条 | 限定承認申述の手続 |

