1 条文原文
令和8年12月1日施行の公益通報者保護法(平成16年法律第122号。令和7年法律第62号による改正後)第10条は、次のとおりである。
(他人の正当な利益等の尊重) 第十条 第三条第一項各号及び第六条第一項各号に定める公益通報をする者は、他人の正当な利益又は公共の利益を害することのないよう努めなければならない。
条文はわずか一文である。しかし第2章「公益通報をしたことを理由とする不利益な取扱いの禁止等」(第3条から第10条まで)の末尾に置かれ、章全体の性格を規定する位置にある。第3条から第9条までがすべて事業者を規律の名宛人とするのに対し、本条だけが通報する側を名宛人とする。第2章はこの一条をもって閉じられ、第11条以下の第3章「事業者がとるべき措置等」へと接続する。
2 新旧対照――三段階の変遷
本条は、制定以来、条文の実質は一度も変わっていない。変わったのは、条番号と引用先の条項番号、そして名宛人の呼称である。
| 段階 | 条番号 | 条文 |
|---|---|---|
| 原始法(平成16年法律第122号) | 第8条 | 第三条各号に定める公益通報をする労働者は、他人の正当な利益又は公共の利益を害することのないよう努めなければならない。 |
| 令和2年改正法(令和2年法律第51号) | 第10条 | 第三条各号及び第六条各号に定める公益通報をする者は、他人の正当な利益又は公共の利益を害することのないよう努めなければならない。 |
| 令和7年改正法(令和7年法律第62号)=2026年12月1日施行 | 第10条 | 第三条第一項各号及び第六条第一項各号に定める公益通報をする者は、他人の正当な利益又は公共の利益を害することのないよう努めなければならない。 |
令和2年改正の改め文は「第八条中『第三条各号』の下に『及び第六条各号』を加え、『労働者』を『者』に改め、同条を第十条とし」というものであった。役員が保護対象に加えられたことに伴い、名宛人を労働者から「者」へと一般化した改正である。
令和7年改正での変更は、引用条項に「第一項」を挿入する形式的整理にとどまる。改正後の第3条は、第1項に保護要件(1号通報・2号通報・3号通報)を、第2項に解雇等特定不利益取扱いの無効を、第3項に1年以内の不利益取扱いに関する推定を置く三項構成となった。第6条も、第1項に役員に対する不利益取扱いの禁止(各号に通報先ごとの要件)を、第2項に解任された場合の損害賠償請求権を置く二項構成となった。各号が第1項に収納された結果、引用の特定が必要となったのである。
したがって、第10条の解釈に関する従来の議論と裁判例の蓄積は、施行後もそのまま妥当する。もっとも、後述のとおり、名宛人の実質的な広がりは令和7年改正で確実に拡大している。
3 立法背景と趣旨
3.1 パブリックコメントが生んだ条文
消費者庁の逐条解説によれば、本条は原始法の法案検討過程で実施された「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)」に対する意見公募手続がきっかけで置かれた。そこには「取引事業者の営業秘密や個人情報を公表した場合には、通報者も損害賠償責任等を免れないこととすべき」という意見が寄せられていた。
制定当時、経済界には、通報者保護制度が濫用され、企業秘密の流出や無責任な外部告発を誘発するのではないかという警戒があった。本条は、その警戒に一定の応答を与えつつ、保護要件そのものを厳格化するのではなく、通報者側の配慮を努力義務として求めるという形で均衡を図った規定である。
3.2 想定された不都合
消費者庁の逐条解説は、公益通報に際して他人の正当な利益や公共の利益が害されうる場面として、次のものを挙げる。
- 取引先事業者の営業秘密が併せて通報された場合
- 顧客の個人情報や信用情報が併せて通報された場合
- 国の安全に関わる情報が併せて通報された場合
- 通報に際して窃盗などの犯罪行為が行われた場合
- 軽率に報道機関等の外部通報先に通報し、その内容や通報先の対処の仕方によって、名指しされた事業者、その従業員、取引先事業者等に回復し難い信用上の損害が生じた場合
通報対象事実は、それ単体で孤立して存在するわけではない。不正の証拠となる帳票には取引先の価格情報が載っており、虐待の記録には被害児童の氏名が載っている。通報という行為は、構造的に、通報対象事実以外の情報を巻き込みやすい。本条はこの構造を前提に置かれている。
3.3 なぜ努力義務にとどめたか
消費者庁の逐条解説は、努力義務とした理由を明示する。個々の事例によっては、他人の正当な利益や公共の利益を全く害さずに通報することが困難な場合もありうるため、法的義務とはしなかった、というものである。
この判断は理にかなっている。仮に本条を法的義務とし、その違反に保護の喪失という効果を結びつけたならば、通報者は「自分の通報が第三者の利益を一切害しないか」を事前に判断できないまま、保護の有無を賭けて通報するほかなくなる。真実相当性の判断ですら通報者にとって負担であることは、消費者庁の調査で「通報しようとする内容の真偽がつかめなかった」という回答が19.2パーセント、「通報する内容が公益通報者保護法で保護される通報か自信がない」という回答が10.1パーセントに達したことに表れている。ここに第三者利益への配慮義務違反という不確定な失権事由を加えれば、制度は機能しなくなる。
3.4 国会の附帯決議
原始法の審議に際して、衆参双方の内閣委員会が附帯決議を行い、いずれも本条に言及している。
- 衆議院内閣委員会(平成16年5月21日)第4項「他人の正当な利益等の尊重の規定が公益通報をする労働者を萎縮させることのないよう、十分留意すること。」
- 参議院内閣委員会(平成16年6月11日)第2項「他人の正当な利益等の尊重の規定が公益通報をする労働者を萎縮させることのないよう、十分留意すること。」
同一文言の決議が両院で行われたことは、立法者自身が本条の萎縮効果を懸念していたことを示す。本条を解釈・運用する際の第一の指針は、この附帯決議に求められる。事業者が社内規程や研修で本条に言及する場合、「通報者にも義務がある」という切り取り方をすれば、附帯決議の趣旨に反する運用となる。
4 用語解説
4.1 「第三条第一項各号及び第六条第一項各号に定める公益通報をする者」
本条の名宛人である。「する者」と現在形で書かれているが、これから通報しようとする者と、既に通報した者の双方を含むと解される。通報の前後を通じて配慮が求められる趣旨だからである。
引用されているのは第3条第1項各号と第6条第1項各号のみであり、第4条(派遣労働者)と第5条(特定受託事業者)は引用されていない。ただしこれは、第4条第1項が「前条第一項各号に定める公益通報」を、第5条が「第三条第一項各号に定める公益通報」をそれぞれ保護の基礎としているためである。派遣労働者もフリーランスも、行う公益通報は第3条第1項各号に定めるものであるから、本条の名宛人に含まれる。役員のみが第6条第1項各号という別立ての要件体系を持つため、明示的に併記されている。
令和7年改正により第2条第1項第3号として特定受託業務従事者(フリーランス法上の定義による)が公益通報者に加えられ、また第2条第1項第4号として請負その他の契約に基づく事業に従事する労働者等・特定受託業務従事者が加えられた。第10条の文言自体は動いていないが、名宛人となる者の範囲は改正により確実に広がった。あわせて、退職後1年以内の退職者も第2条第1項各号の「……であった者」として名宛人に含まれる。
4.2 「他人」
通報される側の事業者に限られない。消費者庁の逐条解説が挙げる例からも明らかなとおり、次の者が広く含まれる。
- 役務提供先の事業者そのもの
- 役務提供先の他の従業員(不正に関与していない同僚を含む)
- 取引先事業者
- 顧客、患者、利用者、児童等のサービス受給者
- 被通報者(不正行為を行ったとされる者)本人
被通報者も「他人」である点は見落とされやすい。通報の段階では被通報者の非違行為はなお疑いにとどまるのが通常であり、その名誉・信用は保護に値する利益である。
4.3 「正当な利益」
法的保護に値する利益をいう。典型的には次のものが該当する。
- 営業秘密(不正競争防止法第2条第6項の要件を満たすもの)
- 個人情報・要配慮個人情報(個人情報の保護に関する法律)
- 信用情報(金融機関の顧客の与信情報等)
- プライバシー
- 名誉・信用
- 知的財産権
「正当な」という限定が付されている点に注意を要する。違法行為それ自体を秘匿する利益は正当な利益ではない。不正の隠蔽を「営業秘密の保護」と称して主張することはできない。本条は、通報対象事実そのものの秘匿を通報者に求める規定ではない。
4.4 「公共の利益」
国の安全、公共の安全と秩序の維持、円滑な行政運営、司法手続の適正といった、特定の私人に帰属しない一般的利益をいう。特定秘密の保護に関する法律の対象情報、捜査の密行性を要する情報、防災・危機管理上の脆弱性情報などが具体例となる。
4.5 「害することのないよう努めなければならない」
行為規範としての努力義務であり、私法上の作為義務・不作為義務ではない。したがって本条違反を根拠として直ちに損害賠償請求権が発生することはなく、また本条違反を理由として公益通報者たる地位が否定されることもない。
もっとも、法的効果がないわけではない。詳細は次章で扱う。
5 逐項分析――本条の法的効果
5.1 保護要件との切断
第3条第1項、第4条第1項、第5条、第6条第1項による保護は、それぞれの条項が定める要件(不正の目的でないこと、通報先に応じた真実相当性等の要件)を充足すれば発生する。第10条の遵守は保護要件ではない。本条に配慮を欠いた通報であっても、各条の要件を満たす限り、解雇は無効となり、不利益取扱いは禁止される。
実務上、この切断を明確に認識しておく必要がある。「通報の際に他人のプライバシーに触れる情報が含まれていたから、この通報は公益通報者保護法の保護を受けない」という論法は、条文構造上成り立たない。
5.2 「不正の目的」との関係
第2条第1項は、公益通報の定義から「不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的」による通報を除外する。他人の正当な利益を害する態様の通報が、同時に「他人に損害を加える目的」による通報と評価されることはありうる。この場合、本条ではなく第2条第1項の要件によって公益通報該当性が否定される。
本条は目的を問わず結果的な侵害を対象とするのに対し、第2条第1項の「不正の目的」は主観的要素を問う。両者は重なる場面があるものの、別の判断枠組みである。
東京地判平成25年3月26日(労経速2179号14頁)は、いったん是正勧告と関係者への厳重注意という形で決着した通報内容について、通報者が自らの異動希望を実現させるという個人的目的のために長期間経過後に再度通報した事案で、これを「不正の目的」による通報と認定した。同判決は、事業者のコンプライアンス増進以外の動機が存すること自体や、再度の公益通報であること自体をもって保護を否定するのは相当でないとも判示しており、「不正の目的」の認定が慎重であるべきことを併せて示している。
5.3 一般法上の責任との関係
本条は民事・刑事の一般法理を修正しない。すなわち、通報に伴って行われた行為が名誉毀損、営業秘密侵害、個人情報保護法違反、窃盗、不正アクセス禁止法違反等の要件を満たす場合、その責任は一般法に従って判断される。第7条(損害賠償の制限)が制限するのは「公益通報によって損害を受けたことを理由とする」賠償請求であり、通報に付随する別個の違法行為に基づく責任までは免責しない。
この点が本条の実務上の核心である。本条は独自の制裁を課さないが、通報者が一般法上の責任を負う可能性があることを条文上明示する機能を果たしている。
5.4 懲戒・解雇の相当性判断における考慮要素
裁判実務では、通報に付随する行為(資料の収集・持出し、外部への配布等)を理由とする懲戒処分の効力判断において、本条の趣旨に相当する考慮がなされている。判断枠組みは概ね次のとおり整理できる。
- 通報内容が真実であるか、真実と信じるに足りる相当の理由があるか
- 通報目的が不正の目的でないか
- 通報の手段・方法が相当か
このうち第3の要素において、他人の正当な利益への配慮の有無が評価される。東京地判令和3年3月18日(労判1260号50頁)は、この三要素を明示的に掲げたうえで、三要素をすべて満たす場合は懲戒事由に該当せず又は違法性が阻却され、すべては満たさず懲戒事由に該当する場合であっても、三要素の検討で考慮した事情に照らして選択された懲戒処分が重すぎるときは労働契約法第15条により懲戒処分は無効となる、と判示した。
6 判例・裁判例
6.1 消費者庁逐条解説が引用する裁判例
消費者庁の逐条解説は、「通報が他人の正当な利益を著しく害すると認定した裁判例」として東京地判平成13年12月26日(コニカ〔東京事業場日野〕事件)を掲げる。同判決は、社内の機密を漏えいすると発言して注意を受けながら撤回を拒否した従業員について、その言動が同業他社と激しい競争を展開する被告の業務に大きな損害を与えるおそれがあるとし、実際にも事業譲渡に関する重要な経営情報を外部に漏らしたこと、株主総会において議事を妨害したこと等を認定して、これら一連の行為が被告の正当な業務を著しく妨害するものと評価した。
原始法制定前の事案であるが、通報を名目とする情報流出が正当化されないことを示す先例として位置づけられている。
6.2 資料の収集・持出しが正当と認められた裁判例
証拠なしに通報することは実際上困難であるから、資料の収集・持出しは通報に不可避的に付随する。裁判所は、この行為を一律に違法とはせず、事案ごとに判断している。
大阪高判平成21年10月16日は、勤務先の司法書士事務所において書類の写しをとったうえで、司法書士が非弁行為を行っている旨を通報した事案である。証拠資料もなしに公益通報を行うことは困難な場合が多いから、公益通報のために必要な証拠書類(又はその写し)を持ち出す行為も公益通報に付随する行為として法による保護の対象となる、と判示した。本判決は、公益通報者保護法の保護範囲を通報行為そのものから証拠収集行為へと及ぼした点で先例的価値を持つ。
東京地判平成19年11月21日(判時1994号59頁)は、在職中に勤務先の内部書類を鍵のかからないキャビネットから取り出して複写し、退職後に東京国税局や取引先に情報提供した事案で、資料収集の態様が就業時間もしくは休日出勤の際に取出しに事実上の制約のないキャビネットから資料を取り出して複写するというものであったことから、社会相当性を欠くものとはいえず、正当行為として違法性が阻却されるとした。
大阪地堺支判平成15年6月18日(労判855号22頁。大阪いずみ市民生活協同組合事件)は、生協の副理事長らが勤務先を私物化している旨を、生協が管理する多種の文書を無断で複写して持ち出したうえで総代に送付するなどして情報提供したところ懲戒解雇等がされた事案である。裁判所は、文書の無断複写・持出しについて、内部告発を行うために不可欠であること、持ち出した文書の財産的価値自体はさほど高いものではなく原本を取得するものではないため事業者に直ちに被害を及ぼすものでもないこと、事業者を害する目的で用いたり不用意にその内容を漏洩したりしていないことを認定して、懲戒解雇等を違法とした。
ここで挙げられた三つの認定事実は、そのまま本条の要請と重なる。すなわち、目的との関連性、侵害の程度、二次的な漏洩の有無である。
福岡高宮崎支判平成14年7月2日(労判833号48頁。宮崎信用金庫事件)は、情実融資・迂回融資を行っていることを示す文書を、顧客の信用情報等に無断でアクセスして取得するなどして衆議院議員の公設秘書や県警に提出した事案である。取得した文書等は外部に漏えいしない限り事業者に実害を与えるものではないため、直ちに窃盗罪として処罰される程度の悪質なものではないとして、懲戒事由該当性を否定した。顧客の信用情報という他人の正当な利益に直接関わる情報を扱った事案であるが、提出先が公設秘書と県警という限定された相手であった点が結論を支えている。
鹿児島地判平成3年5月31日(労判592号69頁)は、勤務先の脱税の証拠となり得るメモを持ち出して税務署に通報した事案で、メモ1枚のコピーに過ぎないこと、その記載内容が不正な経理操作の存在を一応推測させるものであることから、懲戒事由には当たらないとした。
6.3 資料の収集・持出しが正当と認められなかった裁判例
福井地判平成28年3月30日(判時2298号132頁)は、勤務先の理事長らのメールファイルに無断でアクセスした事案について、当該アクセスが不正行為とは無関係なものに対するものが多く、警察からの求めがあってもアクセスによって得た情報を提供しなかったことから、不正行為を通報するためのものであるとは認められないとし、解雇を適法とした。
広島高松江支判平成25年10月23日は、公益通報をする目的での持出しとはいえないこと、持出しの態様が悪質であること、通報に係る不正がほぼ解決したにもかかわらず内部情報を通報内容との関連性とは無関係に取得し続けたことを認定して、解雇を適法とした。裁判所は、通報者が勤務先に自らの要求や意見を受け入れさせるために不利な情報を入手することを目的として不正にデータの取得を繰り返してきたと認定している。
東京高判平成24年9月14日(労判1070号160頁)は、公益通報のために帳票、元帳、議事録、契約書等を持ち出したとの主張について、経営者と株主との対立に関する話合いの場で通報者が中立的立場ではなく一方当事者側に与して着席・発言したことなどから、持出しの目的の正当性には疑問がないわけではないとした。
これら三つの裁判例に共通するのは、収集した情報と通報対象事実との関連性の希薄さである。関連性を欠く情報の収集は、通報のための行為とは評価されず、本条の要請にも反する。
6.4 真実相当性を欠く通報により事業者に損害が生じた裁判例
東京地判平成25年11月12日(判時2216号81頁)は、勤務先のハラスメントや外見的理由による人事処分、従業員に対する自社商品の購入強制がある旨がマスメディアに通報された事案で、通報内容の真実性・真実相当性が認められず、勤務先に社会的評価の低下、名誉毀損、商標価値の低下が生じたと認定した。
東京地判平成23年1月28日(労判1029号59頁)は、勤務先の元理事長が不正な業務運営を行っていた等として週刊誌記者に通報がなされた事案で、真実性・真実相当性が認められず、勤務先に名誉、信用等の低下、機密等の漏えいが生じたと認定した。
東京地判平成23年6月21日は、勤務先の製品の原料に腐敗卵が使用されている等の内容が取引先や監督行政機関に通報された事案で、真実性・真実相当性が認められず、取引停止による損害、他の取引先との納品単価下落に伴う損害、行政機関の調査対応に生じた費用相当額の損害が認定された。
これらは本条が想定する「軽率な外部通報による回復し難い信用上の損害」が現実化した事案である。ただし、これらの判決も本条を直接の請求原因としてはいない。不法行為の一般法理により処理されている。
6.5 通報の相当性に関する一般法理
大阪地判平成10年3月26日(判タ1003号225頁)は、医師が他の病院の医師による医療過誤の疑いを警察へ通報した事案で、仮に内容が結果として正確でなかったとしても、それゆえに直ちに違法となるものではなく、通報に理由のないことを知りながら他人を陥れる目的であえて通報するなど、その内容・方法において相当性を欠く場合にのみ違法となるとした。
東京地判平成28年2月8日(判時2330号56頁)は、警察の事情聴取で他の従業員の横領行為を申告した事案で、私人の告発行為についてはその捜査能力に限界があることに鑑み、当該告発が犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を確認して行われた場合には、不当告発による不法行為は成立しないとした。
最判平成19年4月24日(民集61巻3号1102頁)は、弁護士法第58条第1項に基づく懲戒請求が事実上又は法律上の根拠を欠く場合において、請求者がそのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことにより知り得たのにあえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには違法な懲戒請求として不法行為を構成する、と判示した。通報類似行為の相当性判断の基準として参照される。
最判昭和53年5月31日(刑集32巻3号457頁)は、公務員に対して守秘義務に抵触する秘密の漏示をそそのかす取材活動について、当該取材活動が真に報道の目的から出たものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為となるとした。目的と手段の両面から違法性阻却を判断する枠組みは、通報に付随する行為の評価にも応用されている。
6.6 弁護士への相談と守秘義務
東京地判平成15年9月17日(労判858号57頁)は、上司による同僚への嫌がらせ・差別について弁護士に相談したことに関し、弁護士は職務上知り得た秘密を保持する義務を有するから、相談者が自己の相談について必要であると考える情報については、たとえその中に企業機密に関する情報が含まれている場合であっても、企業の許可を得なくてもこれを弁護士に開示することは許される、と判示した。
守秘義務を負う専門家を経由することで、他人の正当な利益への侵害リスクを制度的に抑制できることを示す判決である。外部窓口を弁護士に委託する実務上の合理性の一端がここにある。
6.7 内部での是正努力と外部通報
富山地判平成17年2月23日(労判891号12頁。トナミ運輸事件)は、違法行為是正のための内部努力は不十分であったが、仮に当該努力をしたとしても勤務先が是正のための措置を講じた可能性はきわめて低かったとして、全国紙の新聞社への通報は正当な行為であって法的保護に値すると判示した。
東京地判平成28年1月29日(労判1136号72頁)は、裁判で無効が確定した解雇を含めた処分の撤回を文書で求めたにもかかわらず勤務先がこれを無視したため、内部での努力では是正を期待し得ないと判断することにも無理からぬものがあったこと等を認定し、勤務先や役員を批判するブログの開設等は雇用契約の更新拒絶の合理的な理由となるような不当な行為であったとまではいえないとした。
本条は外部通報を抑制する規定ではない。内部での是正が期待できない状況では、外部通報こそが公共の利益に適う。第10条の「公共の利益」は、外部通報を思いとどまらせる方向にのみ働く概念ではない。
7 企業における内部通報の実例と対応
7.1 通報受付時に生じる典型的場面
企業の内部公益通報受付窓口が実際に直面する、本条に関わる場面を挙げる。
場面1:関係のない同僚の個人情報が混入した通報 経費不正の通報とともに、同じ部署の別の従業員の勤務評価や家庭事情が記載された文書が提出された。通報対象事実と無関係な部分は、調査資料として使用せず、原本を返却するか受領記録上分離管理する。関係のない従業員の情報を調査担当者に共有してはならない。
場面2:顧客リストごと提出された通報 架空取引の通報の裏付けとして、取引先の全顧客リストが提出された。通報対象事実の立証に必要な範囲を特定し、それ以外はマスキングまたは返却する。取引先の営業秘密を自社が保有し続けること自体がリスクとなる。
場面3:録音データに無関係な会話が含まれる通報 ハラスメントの通報に添付された録音に、他の従業員の私的会話が含まれていた。該当部分の文字起こしを行わず、再生範囲を限定する運用が求められる。
場面4:SNSへの投稿を伴う通報 通報者が通報と並行して匿名アカウントで社内の状況を投稿していた。投稿行為自体は公益通報ではない。投稿を理由とする懲戒の可否は、投稿内容の真実性、目的、社会的相当性から別途判断される。通報を理由とする不利益取扱いと混同しないよう、判断過程を記録に残す必要がある。
7.2 事業者側の設計上の要点
本条は通報者への努力義務であるが、実効性を持たせる責任は事業者側にある。通報者が「どこまで出してよいか」を判断できる仕組みを用意しなければ、努力しようがないからである。
- 通報受付フォームに「通報対象事実に関連する範囲で資料を提出してください」という案内を置く
- 提出資料に第三者の個人情報が含まれる場合の取扱い方針を規程に明記する
- 外部窓口を弁護士に委託し、通報者が守秘義務者を経由して相談できる経路を確保する
- 通報者に対し、通報したこと自体を本人が第三者に語ることのリスクを説明する
- 「不必要な資料を提出した」ことを理由とする不利益取扱いを禁止する旨を規程に明記する
最後の一点は特に軽視されやすい。本条を根拠に通報者を責める運用が生じれば、附帯決議が懸念した萎縮そのものである。
7.3 令和7年改正が加えた実務論点
改正法第11条の2は通報妨害行為を禁止し、第11条の3は正当な理由のない通報者探索を禁止する。事業者が「他人の正当な利益を害するおそれがある」ことを理由として通報を控えるよう求めた場合、第11条の2第1項の通報妨害に該当しないかが問題となる。
指針の解説は、通報妨害行為の「正当な理由」は限定的な場合にとどまるべきとし、特段の根拠もないのに単なる思い込みで報道機関や取引先等に通報行為をしないよう文書又は口頭で求めることは通報妨害に該当し得る、としている。第10条を援用した通報抑止は、この線を越えやすい。本条を社内で説明する際には、通報を控えさせる文脈ではなく、通報の仕方を助ける文脈で提示しなければならない。
8 地方公共団体における実例
8.1 京都地判令和元年8月8日(労判1217号67頁)――児童記録データの持出し
地方公共団体の職員による通報と第三者情報の関係を扱った代表的な裁判例である。
事案は次のとおりである。B市の児童相談所職員Aが、市の公益通報処理窓口の外部窓口担当弁護士に対し、市内の児童養護施設で発生したと疑われる児童虐待事案につき児童相談所が適切な対応をとっていないとの通報を2回(平成27年3月及び10月)行った。B市は同年12月、Aが通報に際して児童に関する記録データを複写し自宅に無断持出しのうえ廃棄した行為が地方公務員法上の懲戒事由に該当するとして、停職3日の懲戒処分をした。
京都地裁は、持出しの違法性阻却を認めなかった。既に同一内容の文書を通報先に交付しており記録を手元に保管しておく必要性は大きく減じていたこと、証拠保全という観点についてもセキュリティの完備されていない自宅に記録を保管する必要性があったとは言い難いことから、2回目の内部通報を行ううえで不可欠な行為であったとはいえない、というのが理由である。
もっとも、懲戒処分自体は取り消された。裁判所は、Aの資料持出行為が(公益通報者保護法上の公益通報には該当しないものの)市の内部規程である要綱上の内部通報に付随する形で行われたものであり、原因や動機において強く非難すべき点はないことなどを考慮し、停職3日の懲戒処分は重きに失し、社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権を逸脱又は濫用した違法があるとした。
本判決から地方公共団体が読み取るべき点は二つある。第一に、児童の個人情報は本条にいう「他人の正当な利益」の中核であり、自宅保管という管理態様が独立に評価されること。第二に、通報目的の存在は懲戒事由該当性を否定しなくとも、処分の相当性判断において通報者に有利に働くこと。懲戒権者は、通報に付随する行為への処分を検討する際、この二段階の判断構造を意識しなければならない。
8.2 熊本地判令和2年11月11日(労働判例ジャーナル108号22頁)――USBメモリの新聞社送付
児童の個人情報が保存されたUSBメモリを新聞社に送付したことを理由としてなされた小学校教諭の懲戒免職処分について、同人の行為は公益通報目的によるものではないとして、懲戒免職処分の取消しが認められなかった事例である。
京都地裁判決と対照的な結論であるが、判断の軸は一貫している。通報目的の有無が、第三者情報を含む媒体の外部送付という行為の評価を分ける。目的が認められなければ、それは単なる個人情報の漏えいである。
8.3 兵庫県の文書問題――評価が分かれている事例
2024年3月に兵庫県の元西播磨県民局長が県知事に関する疑惑を記載した文書を報道機関等に送付し、翌4月に同内容を県の公益通報制度を通じて通報した事案は、地方公共団体における公益通報対応の論点を集約した事例として広く論じられている。
県が設置した「文書問題に関する第三者調査委員会」は2025年3月に調査報告書を公表し、県民局長による文書の配布は公益通報に当たるとしたうえで、通報者を捜し出した行為は公益通報者保護法に照らして違法である旨の結論を示した。県はこれとは別に、通報者の公用パソコン内に存した私的情報の漏えいに関する第三者調査委員会も設置し、2025年5月に報告書を公表している。
本条との関係では、二方向の論点が現れている。一つは、告発文書に第三者の名誉に関わる記述が含まれていたことを理由に、当該文書を「誹謗中傷文書」と評価して公益通報としての取扱いを否定できるかという論点である。第三者調査委員会はこれを否定した。もう一つは、通報者自身の私的情報が組織側から漏えいしたという、通報者が「他人の正当な利益」の被侵害者となる場面である。
本件については、県当局、県議会の百条委員会、複数の第三者調査委員会の間で評価が分かれており、司法判断も確定していない。ここでは、公表された第三者調査委員会報告書の内容として紹介するにとどめる。各報告書は兵庫県ウェブサイトで公表されている。
8.4 地方公共団体特有の考慮
地方公共団体の職員が扱う情報は、その多くが住民の個人情報であり、しかも要配慮個人情報に該当するものが少なくない。生活保護、児童福祉、税務、保健、教育の各分野がそうである。民間企業の営業秘密と異なり、住民は自らの情報が行政に保有されることを選択していない。
さらに、職員には地方公務員法第34条の守秘義務が課され、その違反には同法第60条により罰則がある。通報のための資料持出しが守秘義務違反に問われる可能性は、民間の場合よりも構造的に高い。
この二重の制約に対応するため、地方公共団体は次の運用を整備すべきである。
- 内部公益通報受付窓口が、通報者に代わって庁内の記録を取り寄せる仕組みを設ける
- 通報者が原本や複写を持ち出さずに通報できるよう、窓口での閲覧・記録作成の手続を用意する
- 通報に必要な範囲での情報提供が守秘義務違反に問われないことを、内部規程で明示する
- 通報時に提出された第三者情報の管理・廃棄手続を定める
第一の点が最も重要である。通報者が自ら証拠を確保しなければならない状況こそが、本条違反のリスクを生む。窓口が調査権限を持ち、通報者の申告のみで記録にアクセスできるならば、そもそも持出しは不要となる。
9 指針・指針の解説・地方公共団体ガイドラインとの接続
9.1 指針の構造
第10条は事業者への義務規定ではないため、「公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針」(令和3年8月20日内閣府告示第118号。令和8年3月31日一部改正内閣府告示第15号)に本条を直接の対象とする定めはない。
しかし、「公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号)の解説」(令和3年10月13日消費者庁。令和8年3月31日最終改正)は、四層構造(指針本文/指針の趣旨/指針を遵守するための考え方や具体例/その他に推奨される考え方や具体例)のうち第四層において、本条と接続する記述を置いている。
9.2 指針の解説の関連記述
第3のⅡの2の(2)「範囲外共有、通報妨害及び通報者探索の防止に関する措置」の「④その他に推奨される考え方や具体例」は、受付時の取組として次を掲げる。
公益通報者本人からの情報流出によって公益通報者が特定されることを防止するため、自身が公益通報者であること等に係る情報管理の重要性を、公益通報者本人にも十分に理解させることが望ましい。
これは、通報者自身の情報についての記述である。しかし、通報者本人に情報管理の観点を持たせる教育の場を事業者が設けることを推奨している点で、本条の実効化と接続する。同じ研修の機会に、提出資料の範囲についての説明を組み込むことができる。
同じく「④その他に推奨される考え方や具体例」は、通報事案に係る記録・資料に記載されている関係者の固有名詞を仮称表記・マスキングにすることを挙げる。この措置は、事業者側の範囲外共有防止策であると同時に、通報に巻き込まれた第三者の利益保護でもある。
第3のⅡの3の(3)「労働者等に対する周知に関する措置等」は、周知・啓発すべき事項としてイからリまでを列挙する。本条は列挙項目に含まれないが、指針の解説は周知の方法として階層別研修、理解度テスト、FAQのイントラネット掲載、ガイドブックの作成などを挙げており、これらの媒体に本条の内容を含めることは可能である。その際、義務の押しつけではなく、通報者を守るための実務知識として提示する構成が求められる。
9.3 地方公共団体ガイドライン
「地方公共団体向けガイドライン」は、通報対応の各段階で「適正な業務の遂行及び利害関係人の秘密、信用、名誉、プライバシー等の保護に支障がない範囲において」通知を行うべきことを繰り返し定める。是正措置等の通知(内部通報)、措置の通知(外部労働者等からの通報)、受理後の教示に伴う資料提供のいずれについても同じ限定が付されている。
これは行政機関側の配慮義務であるが、本条が通報者側に求める配慮と同じ利益を保護対象としている。通報から調査、通知に至る一連の過程を通じて、利害関係人の秘密・信用・名誉・プライバシーが一貫して考慮されるという構造である。
さらに同ガイドラインは、通報関連資料の管理について、適切な保存期間を定めたうえで通報に関する秘密保持及び個人情報の保護に留意して適切な方法で管理することを求める。通報者が提出した第三者情報も、この管理義務の対象となる。
「国の行政機関向けガイドライン」も同様の定めを置いており、通報関連資料の管理については「管理しなければならない」と義務的な語尾を用いている。
10 施行日と経過措置
令和7年法律第62号の施行日は、附則第1条により「公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日」とされ、2026年12月1日と定められた。同条は続けて「この法律の施行後にされた公益通報について適用する」と定める。
第10条については、条文の実質が変わらないため、適用関係に実務上の問題は生じない。ただし、引用先である第3条第1項と第6条第1項の要件内容は改正により変動しているため、2026年12月1日より前にされた公益通報には改正前の第3条各号・第6条各号が適用され、同日以後にされた公益通報には改正後の規定が適用される。
なお、附則第2条は、政府が施行後5年を目途として施行状況を検討し、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものと定める。本条についても、萎縮効果の有無を含めた検証の対象となる。
11 実務チェックリスト
11.1 企業のコンプライアンス担当者
- 内部規程に、提出資料に第三者情報が含まれる場合の取扱い方針を定めているか
- 受付フォームに、通報対象事実に関連する範囲での資料提出を案内する記載があるか
- 通報者が「どこまで出してよいか」を事前相談できる窓口を設けているか
- 外部窓口として、守秘義務を負う弁護士等を配置しているか
- 受領資料のうち通報対象事実と無関係な部分を分離・返却・廃棄する手続があるか
- 通報事案の記録における関係者の固有名詞について、仮称表記・マスキングの運用があるか
- 「不必要な資料を提出した」ことを理由とする不利益取扱いを禁止する旨を明記しているか
- 研修において、第10条を通報抑止の文脈で説明していないか
- 通報を控えるよう求める発言が改正法第11条の2の通報妨害に該当しないか、幹部に周知しているか
- 通報者本人に対し、自身が通報者であることの情報管理について説明しているか
11.2 地方公共団体のコンプライアンス担当職員
- 内部公益通報受付窓口が、通報者に代わって庁内記録を取り寄せる権限を規程上有しているか
- 通報者が原本・複写を持ち出さずに通報できる手続(窓口での閲覧、記録作成)があるか
- 通報に必要な範囲での情報提供が地方公務員法第34条の守秘義務違反に問われないことを規程で明示しているか
- 要配慮個人情報を含む記録の取扱いについて、通報対応手続の中に個別の定めを置いているか
- 通報時に提出された第三者情報の管理・廃棄手続を定めているか
- 通報関連資料の保存期間を定め、施錠管理・アクセス権限の設定を行っているか
- 通報者への通知に際し、利害関係人の秘密・信用・名誉・プライバシーへの支障の有無を確認する運用があるか
- 通報に付随する行為への懲戒処分を検討する際、通報目的の存在を相当性判断で考慮する運用があるか
- 外部窓口として弁護士等を配置し、組織の長その他幹部からの独立性を確保しているか
- 出先機関等を含めた全職員に対し、周知・研修を実施しているか
12 次条への接続
第10条をもって第2章が終わり、第11条から第3章「事業者がとるべき措置等」が始まる。第11条は、公益通報対応業務従事者の指定義務(第1項)と内部公益通報対応体制の整備義務(第2項)を定める、本法の実務上の中核規定である。令和7年改正では、第2項に「労働者等に対するその周知」が明記され、また第15条の2により従事者指定義務違反に対する勧告・命令と第21条第2項第1号による命令違反への罰則が新設された。
次回は第11条を扱う。指針および指針の解説の四層構造を条文の各要素に対応させながら、体制整備義務の内容と、令和7年改正による行政措置・刑事罰の強化を解説する。
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