第1条から第24条までの逐条解説を終えた。しかし本法を実際に運用する場面で最初に問われるのは、しばしば本則ではない。
「令和8年11月に受け付けた通報は、新法と旧法のどちらで処理するのか」 「令和8年10月に締結した退職合意書の口外禁止条項は、12月1日以降どうなるのか」 「この通報内容は、そもそも公益通報者保護法の対象なのか」
前二者に答えるのが附則であり、後者に答えるのが別表と政令である。本則がどれほど精緻でも、この三つを読まなければ具体的事案は処理できない。本稿はこの三つを対象とする。
第一部 附則
1 附則とは何か(用語解説)
新任担当者向けに、まず語の意味を確認する。
附則
法令の末尾に置かれ、その法令の施行期日、経過措置、他法令の改正、検討条項などを定める部分をいう。本則が「何を定めるか」を書くのに対し、附則は「いつから、どの範囲に及ぼすか」を書く。
施行期日
法令が効力を生じる日をいう。公布(官報で国民に知らせること)とは別の概念であり、両者の間に準備期間が置かれるのが通例である。本改正は公布が令和7年6月11日、施行が令和8年12月1日で、約1年6月の間隔がある。
経過措置
法令の改正に際し、改正前の状態と改正後の状態をどう接続するかを定める規定をいう。改正前に生じた事実に新法を適用するのか旧法を適用するのかを個別に指定する。
「なお従前の例による」
その事項については改正前の法令がそのまま適用され続けるという意味の法令用語である。単に「旧法を適用する」と言うのではなく、旧法に基づく命令・告示なども含めた法体系全体を適用する趣旨を含む。
読替規定
ある条文を別の場面に適用するにあたり、条文中の特定の語句を別の語句に置き換えて読むことを命じる規定をいう。附則第3条第3項がこれに当たる。
検討条項(見直し条項)
施行後一定期間を経過した時点で施行状況を検討し、必要な措置を講ずる旨を政府に義務付ける規定をいう。附則第9条がこれに当たる。
2 原始附則——平成16年法律第122号の附則
現行の法令データで「附則」として本則の直後に置かれているのは、制定当時の附則である。条文原文は次のとおり。
附 則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日から施行し、この法律の施行後にされた公益通報について適用する。
(検討)
第二条 政府は、この法律の施行後五年を目途として、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
この附則第1条を受けて、平成17年政令第145号により平成18年4月1日が施行日と定められた。本法が動き出した日である。
原始附則第1条の後段に注目したい。「この法律の施行後にされた公益通報について適用する」。すなわち平成18年3月31日以前の通報行為には本法の保護が及ばない。トナミ運輸事件(富山地判平成17年2月23日労判891号12頁)や大阪いずみ市民生活協同組合事件(大阪地堺支判平成15年6月18日労判855号22頁)が本法ではなく民法・労働契約法理で処理されたのは、この適用時点の問題による。
原始附則第2条の5年後検討条項は、平成23年前後の消費者委員会公益通報者保護専門調査会での審議、さらに令和2年改正へとつながった。
3 令和7年法律第62号の附則——条文全文
本連載が扱ってきた改正を実現したのが令和7年法律第62号である。その附則は9か条から成る。全文を掲げる。
附 則 (令和七年六月一一日法律第六二号)
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して一年六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただし、附則第八条の規定は、公布の日から施行する。
(令和七年政令第四〇八号で令和八年一二月一日から施行)
(経過措置の原則)
第二条 この法律による改正後の公益通報者保護法(以下「新法」という。)の規定(罰則を除く。)は、この附則に特別の定めがある場合を除き、この法律の施行前にされたこの法律による改正前の公益通報者保護法(附則第六条において「旧法」という。)第二条第一項に規定する公益通報にも適用する。
(労働者に対する不利益取扱いに関する経過措置)
第三条 新法第三条第一項及び第二項の規定は、この法律の施行後にされた解雇その他不利益な取扱いについて適用し、この法律の施行前にされた解雇その他不利益な取扱いについては、なお従前の例による。
2 新法第三条第三項の規定は、解雇以外の不利益な取扱いについては、この法律の施行後に懲戒(同条第二項に規定する懲戒をいう。)としてされたものについて適用する。
3 この法律の施行前にされた解雇に係る新法第三条第三項の規定の適用については、同項中「前項」とあるのは、「公益通報者保護法の一部を改正する法律(令和七年法律第六十二号)による改正前の第三条」とする。
(派遣労働者に対する不利益取扱いに関する経過措置)
第四条 新法第四条第一項(第一号に係る部分に限る。)の規定は、この法律の施行後にされた同号に掲げる行為について適用し、この法律の施行前にされた同号に掲げる行為に相当する行為については、なお従前の例による。
(通報妨害に係る法律行為の無効に関する経過措置)
第五条 新法第十一条の二第二項の規定は、この法律の施行後にされた公益通報をしない旨の合意その他の法律行為について適用し、この法律の施行前にされた当該法律行為については、適用しない。
(報告及び勧告に関する経過措置)
第六条 この法律の施行前に旧法第十五条の規定により報告を求められ、かつ、この法律の施行の際現に報告がされていないものについては、なお従前の例による。
2 この法律の施行前に旧法第十五条の規定による勧告を受けた事業者が当該勧告に従わなかった場合における公表については、なお従前の例による。
(罰則に関する経過措置)
第七条 この法律の施行前にした行為及び前条第一項の規定によりなお従前の例によることとされる場合におけるこの法律の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(政令への委任)
第八条 附則第二条から前条までに定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置(罰則に関する経過措置を含む。)は、政令で定める。
(検討)
第九条 政府は、この法律の施行後三年を目途として、新法の施行の状況を勘案し、新法の規定について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
4 附則の逐条解説
附則第1条——施行期日
本文は、公布日から1年6月を超えない範囲内で政令に施行日の指定を委ねた。これを受けたのが令和7年政令第408号であり、令和8年12月1日が指定された。公布から約1年6月弱、法定の猶予幅をほぼ使い切った設定である。
なぜ長期の準備期間が必要とされたか。改正法は事業者に対し、従事者指定義務違反への行政措置の強化(第15条から第15条の2、第16条)、通報妨害の禁止(第11条の2)、通報者探索の禁止(第11条の3)といった新たな行為規範を課す。また第3条の直罰化と推定規定は、人事処分の意思決定過程そのものの見直しを求める。指針(内閣府告示第118号)の一部改正が令和8年3月31日、指針の解説の最終改正が同日、国及び地方公共団体向けガイドラインの改正が令和8年5月29日、公益通報ハンドブック改正法準拠版の公表が令和8年6月30日と段階的に進んだのも、この準備期間があってのことである。
ただし書により、附則第8条(政令への委任)のみは公布日である令和7年6月11日から施行された。経過措置政令を施行日前に制定できるようにするための技術的な措置である。
附則第2条——経過措置の原則
本改正の適用関係を理解する上で、最初に押さえるべき条文である。
原則は「新法の規定(罰則を除く。)は……この法律の施行前にされた……公益通報にも適用する」。すなわち、令和8年11月30日以前に行われた通報であっても、令和8年12月1日以降は新法の規律が及ぶ。
この立て方は、令和2年改正(令和2年法律第51号)の附則第2条とは方向が逆である。令和2年改正附則第2条は「この法律の施行後にされる新法第二条第一項に規定する公益通報について適用し、この法律の施行前にされた……公益通報については、なお従前の例による」と定めていた。通報行為の時点を基準に新旧を切り分ける方式である。
令和7年改正はこれを採らなかった。通報時点ではなく、通報後に事業者が何をしたかの時点で切り分ける方式に転換したのである。理由は、改正の中心が通報行為の要件緩和ではなく、通報後の事業者側の作為・不作為に対する規律の強化にあったことに求められる。通報者探索の禁止(第11条の3)を例にとると、令和8年10月に通報した者に対して令和8年12月以降に探索行為が行われた場合、通報が旧法下であったことを理由に禁止規定の適用を免れさせる理由はない。
実務上の含意は具体的である。施行日前から社内に係属している通報案件について、令和8年12月1日以降は新法の規律の下で対応しなければならない。施行日をまたぐ調査案件を抱える事業者は、施行日を境に対応手順を切り替える必要がある。「旧法下の通報だから旧法で処理する」という理解は誤りである。
附則第3条——労働者に対する不利益取扱い
附則第2条の原則に対する例外の第一である。第3条は三つの項から成り、それぞれ適用範囲が異なる。
第1項は、新法第3条第1項及び第2項について、施行後にされた解雇その他不利益な取扱いに適用し、施行前のものは従前の例によるとする。新法第3条第2項が定める解雇等特定不利益取扱いの無効という効果は、行為時点を基準に判定される。令和8年11月30日にされた解雇の効力は旧法第3条で判断される。
第2項は、新法第3条第3項の推定規定について、解雇以外の不利益取扱い(すなわち懲戒)に関しては、施行後に懲戒としてされたものに適用するとする。
第3項が技術的に込み入っている。施行前にされた解雇についても新法第3条第3項の推定規定は適用されるが、その際、同項中の「前項」を「令和7年改正前の第3条」と読み替える。
条文構造を追う。新法第3条第3項は「前項の規定の適用については、当該解雇等特定不利益取扱いは、当該公益通報をしたことを理由としてされたものと推定する」と定める。「前項」とは新法第3条第2項、すなわち無効規定である。施行前の解雇には新法第3条第2項が適用されないため(附則第3条第1項)、そのままでは推定規定が働く先を失う。そこで読替えにより、推定の効果を旧法第3条(旧法における解雇無効規定)の適用に接続させたのである。
この帰結は実務的に軽くない。施行日前にされた解雇であっても、公益通報の日から1年以内であれば、令和8年12月1日以降の訴訟手続において、公益通報を理由とする解雇であるとの推定が働く。施行日時点で係属中の地位確認訴訟にも影響が及ぶ。事業者側は、施行日前の解雇についても、公益通報との無関係性を基礎付ける資料を保全しておく必要がある。
推定規定の性格は事実認定に関する法技術であり、行為規範そのものではない。だからこそ遡及的な適用が許容されたと理解できる。これに対し、直罰規定(第21条第1項)は行為規範であり、後述する附則第7条によって遡及が明確に排除されている。
附則第4条——派遣労働者に対する不利益取扱い
新法第4条第1項第1号は、派遣先が公益通報を理由として労働者派遣契約を解除する行為を禁ずる。この規定は施行後にされた行為に適用され、施行前の相当行為は従前の例による。附則第3条第1項と同じ構造である。
第1号に限定されている点に注意を要する。同項第2号以下(派遣労働者の交代を求める行為その他不利益な取扱い)は、この限定の外にあり、附則第2条の原則に従う。
附則第5条——通報妨害に係る法律行為の無効
新法第11条の2は次のように定める。
第十一条の二 第二条第一項各号に定める事業者は、当該各号に掲げる者に対して、正当な理由がなく、公益通報をしない旨の合意をすることを求めること、公益通報をした場合に不利益な取扱いをすることを告げることその他の行為によって、公益通報を妨げてはならない。
2 前項の規定に違反してされた合意その他の法律行為は、無効とする。
附則第5条は、この第2項の無効効果を施行後にされた法律行為に限定し、施行前の法律行為には適用しないと明言する。「なお従前の例による」ではなく「適用しない」と書かれている点が、他の経過措置と異なる。
そこで問題となるのが、施行日前に締結済みの誓約書・退職合意書・和解契約に含まれる口外禁止条項の帰趨である。附則第5条により第11条の2第2項の無効効果は及ばない。しかし、これらの条項が当然に有効になるわけではない。公益通報を封じる合意は、公序良俗違反(民法第90条)として無効とされる余地が残る。本法が保護しようとする通報の自由は、単なる私人間の利益調整にとどまらず、国民の生命・身体・財産の保護に関わる法令遵守という公益に直結するからである。
実務対応としては、施行日前に締結された定型的な口外禁止条項について、施行日までに文言を見直すことが穏当である。既存契約についても、通報対象事実に関する通報を妨げる趣旨ではない旨を確認する運用が考えられる。
附則第6条——報告及び勧告
旧法第15条は、内閣総理大臣が事業者に対し報告を求め、助言・指導・勧告をし、勧告に従わない場合に公表することができる旨を定めていた。改正により、この機能は第15条(助言・指導)、第15条の2(勧告)、第15条の3(命令等)、第16条(報告徴収・立入検査)へと分解・強化された。
附則第6条第1項は、施行前に旧法第15条により報告を求められ、施行の際に報告がされていないものについて従前の例によるとする。施行日をまたぐ報告要求は旧法の枠組みで完結させる趣旨である。
第2項は、施行前に旧法第15条の勧告を受けた事業者が従わなかった場合の公表について従前の例によるとする。改正法では勧告不服従に対して命令(第15条の3)という強い手段が設けられたが、施行前の勧告に対して施行後に命令を発することはできない。旧法下の勧告には旧法下の効果しか結び付かない。
附則第7条——罰則に関する経過措置
第七条 この法律の施行前にした行為及び前条第一項の規定によりなお従前の例によることとされる場合におけるこの法律の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
刑罰法規の不遡及は、憲法第39条前段及び刑法第6条が定める原則である。附則第7条はこれを確認したものであり、附則第2条が「罰則を除く」と括弧書きしているのと呼応する。
改正で新設された第21条第1項(公益通報を理由とする解雇等特定不利益取扱いに対する6月以下の拘禁刑又は30万円以下の罰金)、同条第2項、第23条第1項第1号(法人に対する3000万円以下の罰金刑)は、いずれも施行日である令和8年12月1日以降の行為にのみ適用される。令和8年11月30日にされた報復解雇に刑事責任は及ばない。
後段の「前条第一項の規定によりなお従前の例によることとされる場合における……施行後にした行為」とは、施行前に旧法第15条の報告要求を受け、施行後に虚偽報告をした場合などを指す。手続が旧法で進む以上、その手続に対する違反も旧法の罰則で処理する。
なお、継続的な状態については別途の検討を要する。従事者を指定していない状態が施行日をまたいで続いている場合、施行後の不指定状態は新法第11条第1項違反として第15条の2の勧告、第15条の3の命令の対象となり得る。命令に違反すれば第21条第2項の罰則が適用される。この場合に処罰されるのは施行後の命令違反行為であるから、附則第7条には抵触しない。施行日前から従事者を指定していない事業者が「施行前の不作為だから対象外」と考えるのは誤りである。
附則第8条——政令への委任
附則第2条から第7条までに定めるもののほか、必要な経過措置を政令に委ねる規定である。附則第1条ただし書により公布日から施行されている。
附則第9条——検討
施行後3年を目途とする見直し条項である。令和2年改正の附則第5条が「新法第2条第1項に規定する公益通報をしたことを理由とする……不利益な取扱いの是正に関する措置の在り方及び裁判手続における請求の取扱いその他新法の規定について」と検討事項を具体的に列挙していたのに対し、今回は「新法の規定について」と包括的な書き方に変わっている。
令和2年改正附則第5条が名指しした「是正に関する措置の在り方」と「裁判手続における請求の取扱い」は、今回の改正で直罰化・推定規定として一定の答えが出された。残された課題としては、行政による通報者の救済命令制度、通報者に対する報奨金制度、公務員に対する適用範囲の整理などが論じられている。令和8年12月1日施行であるから、令和11年12月頃が検討の目途となる。
5 施行日をまたぐ場面の整理
| 場面 | 適用される規範 | 根拠 |
|---|---|---|
| 施行前の通報に対する施行後の対応(調査・是正・秘密保持) | 新法 | 附則第2条 |
| 施行前の通報者に対する施行後の通報者探索 | 新法第11条の3 | 附則第2条 |
| 施行前にされた解雇の効力 | 旧法第3条 | 附則第3条第1項 |
| 施行前にされた解雇についての推定 | 新法第3条第3項(読替えあり) | 附則第3条第3項 |
| 施行前にされた懲戒についての推定 | 適用なし | 附則第3条第2項の反対解釈 |
| 施行後にされた解雇・懲戒 | 新法第3条、第21条第1項 | 附則第3条第1項、第7条 |
| 施行前に締結した口外禁止条項 | 第11条の2第2項の適用なし(民法第90条の余地は残る) | 附則第5条 |
| 施行後に締結した口外禁止条項 | 新法第11条の2第2項により無効 | 附則第5条 |
| 施行前の旧法第15条報告要求 | 旧法 | 附則第6条第1項 |
| 施行前の勧告への不服従 | 旧法(公表のみ、命令不可) | 附則第6条第2項 |
| 施行前の行為に対する罰則 | 旧法(新設罰則の適用なし) | 附則第7条 |
| 施行日以降も継続する従事者不指定 | 新法第11条第1項、第15条の2、第15条の3 | 附則第7条の射程外 |
第二部 別表
1 別表の条文原文
別表(第二条関係)
一 刑法(明治四十年法律第四十五号)
二 食品衛生法(昭和二十二年法律第二百三十三号)
三 金融商品取引法(昭和二十三年法律第二十五号)
四 日本農林規格等に関する法律(昭和二十五年法律第百七十五号)
五 大気汚染防止法(昭和四十三年法律第九十七号)
六 廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和四十五年法律第百三十七号)
七 個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十七号)
八 前各号に掲げるもののほか、個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律として政令で定めるもの
法令データに付された沿革注記は「(平一八法六六・平二五法七〇・平二九法七〇・令二法五一・一部改正)」である。ここに令和7年法律第62号は現れない。すなわち今回の改正で別表は動いていない。改正の焦点が通報者の保護と事業者の体制整備にあり、通報対象の範囲そのものには及ばなかったことを示している。
新旧対照の観点では、別表について変更点は存在しない。連載の他の回で扱った条文の多くが番号移動や文言修正を受けたのとは対照的である。
2 別表と第2条第3項の連関
別表は単独では意味を持たない。第2条第3項が定義する「通報対象事実」の構成要素として機能する。
一 この法律及び個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律として別表に掲げるもの(これらの法律に基づく命令を含む。以下この項において同じ。)に規定する罪の犯罪行為の事実又はこの法律及び同表に掲げる法律に規定する過料の理由とされている事実
二 この法律及び別表に掲げる法律の規定に基づく処分に違反することが前号に掲げる事実となる場合における当該処分の理由とされている事実(当該処分の理由とされている事実がこの法律及び同表に掲げる法律の規定に基づく他の処分に違反し、又は勧告等に従わない事実である場合における当該他の処分又は勧告等の理由とされている事実を含む。)
この定義から、通報対象事実に該当するためには三つの関門を通過しなければならないことが読み取れる。
第一の関門——法律の特定
問題となる事実が、本法自身か、別表第一号から第七号までの7本の法律か、別表第八号を受けた政令に列記された法律のいずれかに関わるものであること。これらの法律に基づく命令(政令・府省令等)も含まれる。
第二の関門——制裁の種類
その事実が、当該法律に規定する罪の犯罪行為の事実であるか、過料の理由とされている事実であること。刑罰も過料も定められていない義務違反は該当しない。
第三の関門——処分違反型の迂回路
直接には犯罪行為・過料理由に当たらなくても、当該法律に基づく処分(改善命令、業務停止命令等)に違反することが第一号の事実となる場合には、その処分の理由とされている事実も通報対象事実となる。行政処分を介して刑事罰につながる構造を捉えた規定である。
3 別表掲載は通報対象事実の十分条件ではない
新任担当者が最も誤りやすい点である。「別表または政令に載っている法律の違反ならすべて通報対象事実になる」という理解は正しくない。
具体例で確認する。健康保険法(大正11年法律第70号)は別表第八号政令の第8号に掲げられている。しかし、保険医療機関による診療報酬の不正請求は通報対象事実に当たらない。厚生労働省関東信越厚生局は、公益通報窓口の案内において、健康保険法等には当該行為に懲役や罰金を科す規定がないため、公益通報者保護法に基づく公益通報の要件に該当せず、法に基づく公益通報として受理することができない旨を明示している。そのうえで、他の法令違反のおそれもあるため所管の指導監査課に直接寄せるよう案内している。
第一の関門は通過しても第二の関門で止まる典型例である。逆に、通報対象事実に当たらないからといって行政機関が何もしないわけではない、という運用の実際も示している。
同様の判断は民間事業者の内部通報窓口でも生じる。「別表・政令に載っている法律だから公益通報だ」ではなく、「その事実に刑事罰または過料が定められているか」を確認する手順が要る。窓口担当者向けの研修教材には、この二段階の確認手順を組み込むべきである。
4 別表各号の解説と事例
第一号 刑法
7本のうち唯一、特定の行政分野に属さない一般法である。詐欺、業務上横領、背任、文書偽造、談合(第96条の6)、贈収賄など、企業不祥事の中核を構成する犯罪類型が広く含まれる。実務上、通報内容が個別業法の枠に収まらない場合の受け皿として機能する。
事例——神社本庁事件
宗教法人の職員2名が、代表者らによる不動産取引に関する背信行為を理事に通報したこと等を理由に懲戒解雇された事案である。東京地判令和3年3月18日労判1260号50頁は、通報内容につき真実と信ずるに足りる相当の理由があり、目的が不正なものではなく、手段も相当であるとして、懲戒事由に該当しないと判断し、懲戒解雇を無効とした。控訴審である東京高判令和3年9月16日も労働者側の請求を認め、上告不受理により確定している。
本件の通報対象は代表者らの共謀による背任行為であり、刑法に規定する罪の犯罪行為の事実として別表第一号に位置付けられる。宗教法人という、業法上の監督が薄い組織における法令違反であっても、刑法という一般法を経由して通報対象事実に取り込まれる構造を示した事案である。
事例——雪印食品牛肉偽装事件(平成14年)
輸入牛肉を国産と偽り、補助制度を利用して不正な利益を得た事案である。端緒は取引先である倉庫会社からの告発であった。詐欺(刑法)という枠組みで捉えられる一方、告発した倉庫会社は取引を失い経営破綻に至った。当時は本法が存在せず、取引先事業者の従事者が保護される仕組みもなかった。本法制定の直接の契機となった事案の一つである。
第二号 食品衛生法
食品の安全に関する基本法である。無許可営業、有毒有害物質の含有食品の販売、営業停止命令違反などが罰則の対象となる。
第三号 金融商品取引法
有価証券報告書の虚偽記載、内部者取引、風説の流布等が罰則の対象となる。
事例——オリンパス事件
損失計上の先送りと有価証券報告書の虚偽記載が問題となった事案である。金融商品取引法違反として刑事責任が追及された。
同社をめぐっては、内部通報後の配置転換が争われた別の訴訟もある。東京高判平成23年8月31日判時2127号124頁は、社内のコンプライアンス室への通報後にされた配転命令を人事権の濫用として違法と判断し、上告不受理により確定した。通報の内容が直ちに刑事罰を伴う法令違反に当たらない場合であっても、内部通報を契機とする不利益取扱いが不法行為として評価され得ることを示した先例である。
第四号 日本農林規格等に関する法律
旧「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」(JAS法)が平成29年法律第70号により改称されたものである。別表の沿革注記に「平二九法七〇」とあるのはこの改称に対応する。
事例——ミートホープ事件(平成19年)
食肉加工会社が豚肉等を混入した製品を牛ミンチとして販売していた事案である。元幹部が農林水産省の出先機関や北海道庁に情報提供したものの、有効な調査に結び付かないまま長期間が経過した経緯が明らかになっている。行政機関に対する通報(2号通報)が機能しなかった事例として、その後の行政機関ガイドラインの整備に影響を与えた。
第五号 大気汚染防止法
ばい煙・粉じん・有害物質の排出規制を定める。無届設置、改善命令違反、測定義務違反等に罰則がある。環境分野の代表として掲げられている。
第六号 廃棄物の処理及び清掃に関する法律
不法投棄、無許可営業、委託基準違反、マニフェスト(産業廃棄物管理票)の虚偽記載等に罰則がある。不法投棄については未遂・目的行為も処罰され、法人重科の規定も置かれている。
事例——食品廃棄物の不正転売事案(平成28年)
産業廃棄物処理業者が、外食事業者から処分を委託された食品廃棄物を食品として横流ししていた事案である。廃棄物処理法上の委託契約違反・処理基準違反として行政処分がなされた。委託した排出事業者の側にも排出事業者責任が及ぶことが確認された事案であり、サプライチェーン上の委託先に関する通報が自社のリスクに直結することを示している。
第七号 個人情報の保護に関する法律
令和2年法律第51号により追加された。それまで別表は6本であった。個人情報保護委員会の命令違反、個人情報データベース等の不正提供(いわゆる名簿屋規制)等に罰則がある。
デジタル分野の法令違反が通報対象として明示された意義は大きく、個人情報保護委員会も公益通報窓口を設置して受付を行っている。
第八号 政令委任
第一号から第七号までのほか、「個人の生命又は身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保その他の国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律として政令で定めるもの」とする包括委任規定である。
この規定によって、実質的な通報対象法律の大半は政令に置かれることとなった。次章で扱う。
5 なぜ7本だけが法律本体に書かれているか
立法技術上の理由は明快である。通報対象法律は国会の立法活動に応じて絶えず増減する。新法が制定されるたびに公益通報者保護法本体を改正していては、国会の審議資源を過大に費消する。そこで、制度の象徴となる代表的な7分野(一般刑事、食品安全、金融、農林規格、大気環境、廃棄物、個人情報)を法律本体に掲げ、残りを政令に委ねる構成が採られた。
もっとも、この構成には批判もある。通報対象事実の範囲という、通報者の保護の可否を直接左右する事項の大部分が政令で定められることは、法律事項と政令事項の配分として適切かという問題である。附則第9条の検討条項に基づく見直しの際に、対象範囲の定め方自体が論点となり得る。
第三部 別表第八号の法律を定める政令
1 政令の位置づけと形式
正式名称は「公益通報者保護法別表第八号の法律を定める政令」(平成17年政令第146号)である。
冒頭部分の条文原文は次のとおり。
内閣は、公益通報者保護法(平成十六年法律第百二十二号)別表第八号の規定に基づき、この政令を制定する。
公益通報者保護法別表第八号の政令で定める法律は、次のとおりとする。
一 爆発物取締罰則(明治十七年太政官布告第三十二号)
二 削除
三 二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律(明治三十三年法律第三十三号)
四 鉄道営業法(明治三十三年法律第六十五号)
五 担保付社債信託法(明治三十八年法律第五十二号)
末尾部分は次のとおり。
四百七十六 重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律(令和七年法律第四十二号)
四百七十七 円滑な事業再生を図るための事業者の金融機関等に対する債務の調整の手続等に関する法律(令和七年法律第六十七号)
四百七十八 盗難特定金属製物品の処分の防止等に関する法律(令和七年法律第七十五号)
附 則
この政令は、公益通報者保護法の施行の日(平成十八年四月一日)から施行する。
形式面の特徴を三点挙げる。
第一に、条を建てず、柱書に続けて号を列記する形式を採っている。政令全体が実質的に一箇条であり、その内容が法律名の列挙のみで構成される。
第二に、法律の制定順(公布年月日順)に配列されている。第1号が明治17年の爆発物取締罰則、末尾が令和7年の法律である。新法が対象に加わる際は末尾に追加されるのが原則であるが、既存の号の間に挿入すべき場合には「五十二の二」「百三十九の三」のような枝番号が用いられる。政令中に枝番号は40箇所存在する。
第三に、対象から外れた法律の号は「削除」と表示され、番号は空けたままとされる。第2号、第97号、第149号など14の番号が削除されている。既存の号番号を繰り上げると、他の法令からの引用関係が崩れるためである。
2 令和8年12月11日施行分の内容
条文全体を数え上げると、号として立てられた番号は最終番号478に枝番号40を加えた518、そのうち14が削除されており、実際に法律名が掲げられているのは504である。別表第一号から第七号までの7本を加えると、通報対象法律は511本となる。
消費者庁が公表する「通報の対象となる法律一覧」は、令和8年6月1日現在で509本とされていた。今回の施行分との差2本が、令和8年12月11日施行分で新たに加えられた法律である。同一覧の更新履歴と照合すると、次の2本が該当する。
| 号 | 法律名 | 法律番号 |
|---|---|---|
| 四百七十六 | 重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律 | 令和7年法律第42号 |
| 四百七十七 | 円滑な事業再生を図るための事業者の金融機関等に対する債務の調整の手続等に関する法律 | 令和7年法律第67号 |
前者はいわゆる能動的サイバー防御に関する法律であり、特別社会基盤事業者による特定侵害事象等の報告義務等を定める。基幹インフラ事業者の従業員が、自社が報告義務を怠っている事実を知った場合、これが通報対象事実となり得ることを意味する。電力・ガス・通信・鉄道・金融等の事業者は、内部通報規程における通報対象の説明を更新する必要がある。
後者は事業者の債務調整手続に関する法律であり、金融機関等との関係における手続の適正を担保する。
なお、法律の施行日と政令への追加日は連動する。政令改正は、対象法律の罰則規定が実際に効力を生じる日に合わせて施行されるのが通例である。改正法の施行日である令和8年12月1日と、この政令改正の施行日である令和8年12月11日が10日ずれているのは、両者が別個の理由に基づくためである。改正法の施行と政令改正とを混同しないよう留意されたい。
3 対象法律数の推移と更新の実際
消費者庁「公益通報者保護法において通報の対象となる法律について」に掲載された更新履歴から、近年の追加状況を抽出する。
| 更新日 | 追加された法律 |
|---|---|
| 令和8年6月1日 | 盗難特定金属製物品の処分の防止等に関する法律(令和7年法律第75号) |
| 令和8年5月25日 | 事業性融資の推進等に関する法律(令和6年法律第52号) |
| 令和8年4月1日 | 公益信託に関する法律(令和6年法律第30号) |
| 令和7年12月18日 | スマートフォンにおいて利用される特定ソフトウェアに係る競争の促進に関する法律(令和6年法律第58号) |
| 令和7年4月1日 | 特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律(平成13年法律第137号) |
| 令和7年2月3日 | 資源循環の促進のための再資源化事業等の高度化に関する法律(令和6年法律第41号) |
年に複数回の頻度で更新されている。内部通報規程や研修教材に対象法律の本数を記載している事業者は、記載を「約510本」のように幅を持たせるか、消費者庁ウェブサイトへの参照に置き換えることが実務的である。
政令は法律名の改称にも追随する。従来「下請代金支払遅延等防止法」(昭和31年法律第120号)として掲げられていた第141号は、現在「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」と表示されている。法律番号は変わらないため、旧名称で検索すると見つからない。窓口担当者が対象法律の該当性を確認する際は、法律番号で照合する習慣を付けるべきである。
4 分野別に見た主要な掲載法律
504本すべてを掲げることはできないため、実務で参照頻度の高いものを分野別に示す。号番号は令和8年12月11日施行分による。
| 分野 | 号 | 法律名 |
|---|---|---|
| 競争秩序 | 二十 | 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 |
| 競争秩序 | 三百十九 | 不正競争防止法 |
| 競争秩序 | 三百九十二の二 | 入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律 |
| 労働 | 十八 | 労働基準法 |
| 労働 | 二百三十三 | 労働安全衛生法 |
| 労働 | 五十八 | 労働組合法 |
| 労働 | 二百八十一 | 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律 |
| 取引適正化 | 百四十一 | 製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律 |
| 取引適正化 | 四百六十七 | 特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律 |
| 会社・金融 | 四百十 | 会社法 |
| 会社・金融 | 十四 | 金融機関の信託業務の兼営等に関する法律 |
| 建設・不動産 | 五十四 | 建設業法 |
| 建設・不動産 | 八十四 | 建築基準法 |
| 建設・不動産 | 百十六 | 宅地建物取引業法 |
| 運輸 | 百四 | 道路運送車両法 |
| 運輸 | 百七十五 | 道路交通法 |
| 医療・福祉 | 四十六 | 医師法 |
| 医療・福祉 | 五十 | 医療法 |
| 医療・福祉 | 三百四十 | 介護保険法 |
| 教育・こども | 十七 | 学校教育法 |
| 教育・こども | 二十五 | 児童福祉法 |
| 教育・こども | 三百六十八 | 児童虐待の防止等に関する法律 |
| 表示 | 四百三十六の三 | 食品表示法 |
| 新分野 | 四百七十六 | 重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律 |
事例——道路運送車両法(第104号)
自動車メーカーによるリコール隠しは、道路運送車両法上の報告義務違反等として問題となる。過去に発覚した大規模なリコール隠し事案では、監督官庁への匿名の情報提供が端緒となった。本法制定前の事案であるが、行政機関に対する通報が制度化されていなかった時期の限界を示している。
事例——独占禁止法(第20号)
トナミ運輸事件(富山地判平成17年2月23日労判891号12頁)は、運送業界の価格カルテルを新聞社に告発した従業員が、その後長期にわたり研修所への隔離等の処遇を受けた事案である。裁判所は不法行為の成立を認め損害賠償を命じた。本法施行前の事案であり、現行法であれば独占禁止法違反の事実が別表第八号政令第20号を通じて通報対象事実となる。
5 政令に掲げられていない法律——実務上の盲点
対象法律の一覧を見るだけでは気付きにくいのが、掲げられていない法律である。地方公共団体のコンプライアンス担当者にとって、こちらの方が実務的な意味を持つ場合がある。
政令を検索した結果、次の法律は掲げられていない。
| 掲げられていない法律 | 実務上の帰結 |
|---|---|
| 国家公務員法・地方公務員法 | 職員の服務規律違反、信用失墜行為、職務専念義務違反は通報対象事実に当たらない |
| 地方自治法 | 議会運営、財務会計行為に関する同法違反は通報対象事実に当たらない |
| 補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律 | 補助金の不正受給は同法違反としては通報対象事実に当たらない |
| 公職選挙法・政治資金規正法 | 選挙違反、政治資金の不正処理は通報対象事実に当たらない |
| 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律 | 高齢者虐待は通報対象事実に当たらない(児童虐待防止法は第368号として掲載) |
| 障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律 | 障害者虐待は通報対象事実に当たらない |
| 所得税法・法人税法 | 脱税は同法違反としては通報対象事実に当たらない |
| 民法 | 私法上の義務違反は通報対象事実に当たらない |
ただし、これらの行為が同時に刑法上の犯罪(詐欺、業務上横領、背任、虚偽公文書作成、傷害、保護責任者遺棄等)に該当する場合には、別表第一号を通じて通報対象事実となる。補助金の不正受給が詐欺罪に当たる場合、高齢者虐待が傷害罪・保護責任者遺棄罪に当たる場合が典型である。
窓口担当者は、通報内容が公務員法制や虐待防止法制に係るものであっても直ちに対象外と判断せず、刑法上の犯罪構成要件に該当し得ないかを検討する必要がある。判断に迷う場合、内部公益通報として受理して対応する方が、事後の紛争リスクは小さい。この点は次章で扱う指針の解説の考え方とも整合する。
第四部 通報対象事実の該当性が争われた裁判例
別表・政令の該当性は、実際の訴訟では通報の保護要件の一部として現れる。本法の適用が争点となった裁判例を、消費者庁の裁判例収集・分析業務の成果物等を手掛かりに整理する。
神社本庁事件(東京地判令和3年3月18日労判1260号50頁、東京高判令和3年9月16日)
背任行為という刑法上の犯罪行為の事実に関する通報について、本法及びその趣旨に照らして懲戒事由該当性を否定した。判決は、①通報内容が真実であるか真実と信ずるに足りる相当の理由があること、②通報目的が不正の目的でないこと、③通報の手段方法が相当であることという枠組みを示し、これらを満たす場合には懲戒事由に該当せず、又は違法性が阻却されるとした。さらに、①から③を満たさない場合であっても、選択された懲戒処分が重すぎるときは無効となるとした。本法第3条の要件を機械的に当てはめるのではなく、判断枠組みとして再構成した点に特徴がある。
オリンパス配転事件(東京高判平成23年8月31日判時2127号124頁)
社内のコンプライアンス室への通報後にされた配置転換について、人事権の濫用に当たり違法とした。通報内容が刑罰法規に直結しない場合であっても、内部通報を契機とする不利益取扱いが不法行為を構成し得ることを示した。
トナミ運輸事件(富山地判平成17年2月23日労判891号12頁)
独占禁止法違反行為に関する報道機関への告発後、長期にわたる不利益な処遇が続いた事案について、不法行為の成立を認めた。本法施行前の事案であり、通報者保護の必要性が立法事実として認識される契機となった。
大阪いずみ市民生活協同組合事件(大阪地堺支判平成15年6月18日労判855号22頁)
役員の不正経理等を内部告発した職員に対する解雇等について、告発が公益目的であるとして解雇を無効とした。本法制定前の判例法理を代表する事案である。
消費者庁は「公益通報等に関する裁判例の収集・分析業務」として裁判例一覧表を継続的に公表している。通報対象事実の該当性が否定された事案も収録されており、窓口担当者の教材として有用である。個人情報保護条例違反となる情報の漏えいを伴う通報について、公益通報目的であっても必要やむを得ない漏えいとは認め難いとして懲戒処分を有効とした裁判例なども含まれている。通報行為の手段の相当性が、対象事実の該当性とは別個に問われることを示している。
第五部 消費者庁の運用データ
外部通報の所管分布
消費者庁は、同庁の外部の労働者等からの通報窓口について、同庁に行政指導・行政処分の権限がある事案のほか、犯罪事実に関する事案、勤務先の労働条件・ハラスメント等に関する事案、地方公共団体に処分等の権限がある事案、一般消費者としての消費生活に関する相談などが寄せられることが多く、割合としては所管外が約8割であることを公表している。所管外の事案については、適切な所管行政庁や相談窓口を教示する運用がとられている。
この数値が示唆するのは、通報者の側で「どの法律のどの条文に違反するか」「どの行政機関が処分権限を有するか」を正確に判別することが困難であるという実態である。別表と政令によって対象法律を精密に画しても、通報の入口では機能しない。行政機関側の教示義務(第13条第3項)と、事業者側の窓口における丁寧な振り分けが、制度を実際に動かす鍵となる。
行政機関における施行状況調査
消費者庁は「行政機関における公益通報者保護法の施行状況調査」を実施し、国の行政機関及び地方公共団体における通報受付件数、体制整備状況等を公表している。同調査は都道府県・市区町村の回答に基づくため、自治体は自らの回答内容が公表対象となることを踏まえた運用記録の整備が求められる。過去の調査資料は国立国会図書館インターネット資料収集保存事業に保存されている。
通報対象法律一覧の更新
消費者庁は50音順の一覧表をPDFで公表している。令和8年6月1日現在の版は同年6月24日に修正が加えられた。一覧は政令改正の反映に時間を要する場合がある旨が注記されており、正確な確認にはe-Gov法令検索の政令本文に当たることが望ましい。
第六部 指針及び指針の解説との関係
1 指針の解説の記載構造
「公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号)の解説」(令和3年10月13日消費者庁。令和8年3月31日最終改正)は、各項目について「①指針本文」「②指針の趣旨」「③指針を遵守するための考え方や具体例」「④その他に推奨される考え方や具体例」の四つの見出しを設けて記述している。①及び③は法第11条第1項・第2項の義務の内容を画するものであり、④は義務ではないが望ましい取組を示す。この区別を意識せずに読むと、努力目標を法的義務と誤解するおそれがある。
2 窓口の対象範囲を通報対象事実より広く設定する
別表・政令との関係で参照すべきは、指針の解説が「その他に推奨される考え方や具体例」として示す次の内容である。
・ コンプライアンス経営を推進するとともに、経営上のリスクに係る情報の早期把握の機会を拡充するため、内部公益通報受付窓口の利用者及び通報対象となる事項の範囲については、例えば、以下のように幅広く設定し、内部公益通報に該当しない通報についても公益通報に関する本解説の定めに準じて対応するよう努めることが望ましい。
▶ 通報窓口の利用者の範囲:法第2条第1項各号に定める者のほか、通報の日から1年より前に退職した労働者等及び通報の日から1年より前に業務委託契約が終了した特定受託業務従事者並びに子会社・取引先の従業員、特定受託業務従事者(いずれも退職した者及び業務委託契約が終了した者を含む。)及び役員
▶ 通報対象となる事項の範囲:法令違反のほか、内部規程違反等
別表・政令の該当性判断は、窓口の入口で行うべきものではないという含意が読み取れる。窓口では広く受け付け、対応の過程で法的な位置付けを整理する。この順序を逆にすると、担当者が該当性判断を誤った瞬間に通報が失われる。
第五部で見た「所管外が約8割」という数値も、同じ方向を指している。
3 国及び地方公共団体向けガイドライン
「公益通報者保護法を踏まえた国の行政機関の通報対応に関するガイドライン(内部の職員等からの通報)」(平成17年7月19日関係省庁申合せ、令和8年5月29日最終改正)及び地方公共団体向けの同名ガイドライン(令和8年5月29日最終改正)は、指針及び指針の解説を踏まえた対応を求めている。
地方公共団体向けガイドラインは、契約の相手方又は補助金等の交付先について、法令遵守及び不正防止を図るために必要と認められる場合には、相手方事業者に対して法・指針・指針の解説に基づく取組の実施を求めることなどに努めるものとしている。必要と認められる場合として、過去に不正が発生し同種事案の再発防止の必要性が高い場合、事業者の専門性に大きく依存する事業など外部からの監督だけでは不正の発見が困難な場合、不正が発生すると個人の生命・身体・財産その他の利益が侵害されるおそれがある場合が挙げられている。
同ガイドラインはまた、通報対象事実又はその他の法令違反の事実に関し処分又は勧告等をする権限を有する行政機関が複数ある場合の連携、権限を他の行政機関に委任等している場合の情報共有・助言についても定めている。別表・政令に掲げられた法律は多岐にわたり、一つの通報が複数の行政機関の所管にまたがることが珍しくないためである。
なお、国及び地方公共団体には第15条から第16条までの規定が適用されない(第20条)。助言・指導、勧告、命令、報告徴収・立入検査の対象外である。それゆえ、公的部門における体制整備の実効性は、これらのガイドラインと各団体の自律的な運用に委ねられている。この構造は本連載で繰り返し確認してきたとおりである。
第七部 実務チェックリスト
民間事業者向け
施行日前(令和8年11月30日まで)に完了すべき事項
- 施行日をまたいで係属する通報案件を洗い出し、令和8年12月1日以降は新法の規律で対応する体制に切り替える
- 定型の誓約書・退職合意書・和解契約書に含まれる口外禁止条項を点検し、公益通報を妨げる文言を削除又は限定する
- 施行日前に締結済みの口外禁止条項について、公益通報を妨げる趣旨ではない旨を確認する運用を定める
- 従事者を未指定の場合、施行日までに書面による指定を完了する(施行日以降の不指定状態は新法第11条第1項違反となる)
- 過去1年以内に公益通報がなされた者に対する人事処分の予定を点検し、公益通報との無関係性を基礎付ける記録を整備する
- 内部通報規程における通報対象の記載を更新し、対象法律の本数を固定的に記載している場合は消費者庁ウェブサイトへの参照に改める
施行日以降の運用
- 窓口受付時に「別表・政令掲載の法律か」「刑事罰又は過料が定められた事実か」の二段階で該当性を確認する手順を明文化する
- 該当性が不明な通報も内部公益通報に準じて対応する運用とし、入口での門前払いを避ける
- 通報対象事実に当たらない通報(公務員法制違反、高齢者虐待、税法違反等)についても、刑法上の犯罪該当性を検討する
- 基幹インフラ事業者は、重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律に係る報告義務違反が通報対象となることを窓口案内に反映する
- 消費者庁の通報対象法律一覧の更新を年2回程度確認し、研修教材に反映する
地方公共団体向け
- 令和8年5月29日最終改正の地方公共団体向けガイドライン(内部の職員等からの通報・外部の労働者等からの通報)に沿って要綱・要領を改正する
- 第20条により第15条から第16条までの適用がないことを前提に、内部監査・外部評価等の自律的な実効性確保手段を設計する
- 職員からの通報のうち、地方公務員法違反・地方自治法違反・補助金適正化法違反・選挙関係法令違反は通報対象事実に当たらないことを窓口担当者に周知しつつ、刑法上の犯罪該当性の検討を必須手順とする
- 高齢者虐待・障害者虐待に関する通報は本法の通報対象事実に当たらないが、各虐待防止法上の通報制度で受け止める体制との連携を整理する(児童虐待防止法は通報対象法律である点も併せて確認する)
- 契約の相手方及び補助金等の交付先に対し、法・指針・指針の解説に基づく取組の実施を求める場面の基準を定める
- 処分権限を有する行政機関が複数ある場合の連携手順、権限委任先との情報共有手順を定める
- 消費者庁の施行状況調査への回答内容を根拠付ける運用記録(受付件数、処理期間、体制整備状況)を年度単位で整備する
- 通報文書の取扱いをめぐって組織の長その他幹部が関係する事案が生じ得ることを前提に、独立性を確保した受付・調査ルートを常設する
連載の締めくくりに代えて
第1条から第24条まで、そして附則・別表・政令。本連載が扱った条文はここで一巡した。
改めて全体を見渡すと、令和7年改正が本法にもたらした変化は、規範の量ではなく規範の性質にある。旧法は、不利益取扱いを受けた通報者が事後的に司法救済を求めるための私法上の根拠を中心としていた。改正法は、これに刑事罰(第21条、第23条)、行政上の命令(第15条の3)、立証責任の転換(第3条第3項)、事前の禁止規範(第11条の2、第11条の3)を積み重ねた。事業者の側から見れば、通報対応の巧拙が損害賠償リスクにとどまらず、刑事責任と行政処分に直結する構造に変わった。
そして本稿で確認したとおり、その規律は令和8年12月1日を境に一斉に発動するのではない。附則第2条により、施行前の通報にも新法が及ぶ。附則第3条第3項により、施行前の解雇にも推定規定が及ぶ。施行日を待って準備を始めるのでは間に合わない。
通報対象事実の範囲もまた固定的ではない。511本の法律は、国会が新法を制定するたびに増えていく。窓口担当者に求められるのは一覧の暗記ではなく、該当性を確認する手順と、迷ったときに広く受け止める判断である。
次回予告
本連載の逐条編は本稿をもって完結する。次回からは応用編として、内部公益通報対応体制の設計と運用を主題に、規程例、従事者指定の書式、受付から是正までの標準手順、教育研修の設計、実効性評価の方法を順に扱う予定である。
参考資料一覧
法令
- 公益通報者保護法(平成16年法律第122号、令和8年12月1日施行)
- 公益通報者保護法の一部を改正する法律(令和7年法律第62号)
- 公益通報者保護法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(令和7年政令第408号)
- 公益通報者保護法別表第八号の法律を定める政令(平成17年政令第146号、令和8年12月11日施行分)
告示・解説・ガイドライン
- 公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(令和3年内閣府告示第118号、令和8年3月31日一部改正内閣府告示第15号)
- 公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号)の解説(令和3年10月13日消費者庁、令和8年3月31日最終改正)
- 公益通報者保護法を踏まえた国の行政機関の通報対応に関するガイドライン(内部の職員等からの通報/外部の労働者等からの通報)(令和8年5月29日最終改正)
- 公益通報者保護法を踏まえた地方公共団体の通報対応に関するガイドライン(内部の職員等からの通報/外部の労働者等からの通報)(令和8年5月29日最終改正)
消費者庁公表資料
- 公益通報ハンドブック 改正法(令和8年12月施行)準拠版(令和8年6月30日)
- 公益通報者保護制度Q&A(令和8年5月29日時点)
- 公益通報者保護法において通報の対象となる法律について(通報の対象となる法律一覧、令和8年6月1日現在) https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview/subject/
- 公益通報者保護法と制度の概要 https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview/
- 公益通報等に関する裁判例の収集・分析業務(裁判例一覧表)
- 行政機関における公益通報者保護法の施行状況調査
- 外部の労働者からの公益通報等(受付状況・所管分布) https://www.caa.go.jp/policies/application/whistleblowing
その他の行政機関資料
- 厚生労働省関東信越厚生局「公益通報者保護」(健康保険法違反と通報対象事実の関係)
- 個人情報保護委員会「個人情報保護委員会における公益通報の受付について」
- e-Gov法令検索(公益通報者保護法別表第八号の法律を定める政令) https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=417CO0000000146
裁判例
- 神社本庁事件・東京地判令和3年3月18日労判1260号50頁、東京高判令和3年9月16日
- オリンパス配転事件・東京高判平成23年8月31日判時2127号124頁
- トナミ運輸事件・富山地判平成17年2月23日労判891号12頁
- 大阪いずみ市民生活協同組合事件・大阪地堺支判平成15年6月18日労判855号22頁
◆通報窓口を受任中。希望組織はまず問い合わせを。https://compliance21.com/contact/


