条文原文
第三十二条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
趣旨・立法背景
本条は、職員が職務を遂行する際に従うべき規範の体系を定めた規定である。条文は二つの義務から構成される。一つは法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従う義務であり、もう一つは上司の職務上の命令に忠実に従う義務である。前者を法令等遵守義務、後者を職務命令服従義務と呼んで区別するのが一般的である。
地方公共団体の事務は、首長を頂点とする組織によって遂行される。組織の内部では、上司が部下に指示を与え、部下がそれに従って職務を遂行することで初めて行政の統一性と一体性が保たれる。本条は、この上命下服の関係を法律上の義務として明文化したものである。職員が個々の判断で法令解釈や職務命令の当否を独自に審査して従わないという事態が頻発すれば、行政組織の機能は維持できない。本条はそのような事態を防ぐための根本規定として位置付けられる。
なお、本条にいう法令等遵守義務は、職務の遂行に関する限度で課されるものである。職員が一市民として遵守すべき法令一般への違反は、本条の違反を構成しない。あくまで職務遂行の場面における規範遵守を定めた規定である点に注意を要する。
用語解説
法令 国の法律及び命令(政令・省令等)を指す。地方公共団体の事務処理に関係する国の法規範全体を含む。
条例 地方公共団体の議会が制定する自主法である。地方自治法第14条に基づき、法令に違反しない限りにおいて制定される。
規則 地方公共団体の規則とは、長その他の執行機関が定める規程のうち、地方自治法第15条に基づき長が定めるものを中心とする概念である。
地方公共団体の機関の定める規程 教育委員会、人事委員会、公安委員会等、長以外の執行機関が定める訓令、内部規程等を含む。条例・規則に至らない内部的な規範も対象となる。
上司 職務上の上位者を指す。身分上の上下関係(職位の高低)とは区別される概念であり、当該職員を指揮監督する権限を有する直系の上位者をいう。組織図上の指揮命令系統に属さない者は、たとえ職位が高くても本条の上司には該当しない。
職務上の命令 上司が部下である職員に対し、その職務に関して発する指示である。文書による場合と口頭による場合のいずれも含み、特定の職員に対するものと不特定の職員一般に対するもの(訓令)のいずれも含む。上級行政機関が下級行政機関に対して発する訓令は、当該機関に属する職員に対する職務命令としての性質を併せ持つ。
忠実に従う 単に命令の存在を認識するだけでなく、命令の趣旨に沿って誠実かつ確実に職務を遂行することを意味する。
国家公務員法との比較
国家公務員法第98条第1項は「職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定める。地方公務員法32条と国家公務員法98条1項は、職員が法令に従い上司の職務命令に忠実に従うべきとする基本構造において共通する。
両者の相違点は、従うべき規範の範囲にある。国家公務員法98条1項は法令のみを対象とするのに対し、地方公務員法32条は法令に加えて条例、地方公共団体の規則、地方公共団体の機関の定める規程を明示的に列挙する。地方公務員法32条は、法令に加えて、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程にも従わなければならないとされており、これは地方自治の本旨に基づき条例・規則という自主法規が独自の規範体系として存在することを反映したものである。
人事院が示す職務命令の有効性要件として、権限ある上司の発したものであること、命令を受ける職員の職務の範囲内であること、手続・内容に客観的に明白な違法性がないことの三要件が挙げられている。この要件は地方公務員法32条における職務命令の解釈にも妥当する一般的な枠組みである。
国家公務員法98条2項は争議行為等の禁止を同一条文内に併せて規定するが、地方公務員法では争議行為等の禁止は第37条に独立して置かれている。本条が定めるのは法令等遵守義務と職務命令服従義務の二つに限られる。
補論 行政法上の論点(職務命令の有効要件と服従義務の限界)
職務命令の有効要件
職務命令が職員に対して服従義務を発生させるためには、一定の要件を満たすことが前提となる。実務上整理される要件は次の三点である。第一に、権限を有する上司が発したものであること。第二に、命令を受ける職員の職務権限の範囲内にとどまるものであること。第三に、手続及び内容において法律上要求される形式を備えていることである。これらを欠く命令は、そもそも有効な職務命令として成立しない。
重大明白説と服従義務の限界
職務命令が形式的には成立しているものの、内容に違法の瑕疵を含む場合に、職員に服従義務があるかという論点が生じる。この点について、行政処分の無効原因に関する一般理論である重大明白説が職務命令にも適用されると解する見解が通説である。すなわち、職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合、その命令は当然無効であり、職員に服従義務は生じない。これに対し、瑕疵が重大であっても外形上客観的に明白とまでは言えない場合、当該命令は取消しうべき瑕疵を帯びるにとどまり、上司による取消し又は変更がない限り、職員はこれに従う義務を負う。
行政処分の無効要件としての明白性の意義については、最高裁昭和34年9月22日第三小法廷判決(民集13巻11号1426頁)が、瑕疵が明白であるとは処分成立の当初から、誤認であることが外形上客観的に明白である場合を指すと判示している。最高裁昭和36年3月7日第三小法廷判決(民集15巻3号381頁)も同様の立場に立ち、行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落としたかどうかは、処分の外形上客観的に明白な瑕疵があるかどうかの判定に直接関係を有するものではないとしている。これらは行政処分一般についての判断であるが、職務命令の無効要件を論じる際の理論的基礎として参照される。
なお、瑕疵の明白性を要件から後退させる例外的な判例も存在する。神奈川県臨時特例企業税条例に関する事案では、条例が地方税法に違反し無効であることを理由に、明白性を欠いても処分を無効と解した判断が示されている。学説上はこれを明白性補充要件説と呼ぶ整理がある。実務上は、重大かつ明白な瑕疵という厳格な基準で出題・解説されることが多い。
違法な職務命令に従った職員の責任
取消しうべき瑕疵にとどまる職務命令に従った職員の法的責任について、最高裁平成15年1月17日判決(判例時報1813号64頁)が参考となる。違法であるが当然無効とまでは言えない瑕疵を有する職務命令に従って行為した職員は、その行為及び結果について免責されると解されている。これに対し、当然無効な職務命令、すなわち重大かつ明白な瑕疵を有する命令に従った職員は、その行為及び結果について自ら責任を負うこととなる。予算の根拠を欠くにもかかわらず支出命令に従って公金を支出した職員が、法令違反による懲戒処分の対象となり、かつ違法支出に基づく損害賠償責任を負う場合がこれに該当する。
思想及び良心の自由と職務命令の合憲性
職務命令の内容が職員の思想及び良心の自由(憲法第19条)と抵触するのではないかという問題が、公立学校教職員に対する国歌斉唱・伴奏命令を巡って繰り返し争われている。
最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決は、入学式における国歌伴奏を命じる校長の職務命令について、当該命令が地方公務員法32条及び第33条に関わる事案で発せられたものであることを前提に、思想及び良心の自由を侵害するとの主張を排斥し、命令を合憲と判断した。
その後、最高裁第一小法廷、第二小法廷、第三小法廷は、平成23年5月30日から同年6月21日までの間に相次いで判決を下し、卒業式等における国旗に向かっての起立及び国歌斉唱を命じる職務命令について、いずれも「校長の職務命令は思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反しない」と合憲の判断を示した。各判決は思想・良心の自由の間接的な制約となる面があると認定する一方、命令が教育上の行事にふさわしい秩序を確保し、式典の円滑な進行を図るという目的から制約には必要性、合理性があると判断している。
懲戒処分の量定についても、最高裁は一定の歯止めを示している。平成24年1月16日第一小法廷判決は、起立斉唱命令を合憲と判断した上で、減給や停職には過去の処分歴や本人の態度に照らして慎重な考慮が必要との判断を示し、停職の処分及び減給の処分の一部を取り消す一方、学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内として戒告処分は維持した。同種の事案である最高裁平成24年2月9日判決も、職務命令に繰り返し従わない場合に懲戒処分が累積加重的に重くなる危険があることを前提とした判断を示している。
これらの判例から導かれる実務上の含意は、職務命令の内容が職員の基本的人権に影響を及ぼす場面であっても、命令自体の合憲性と、命令違反に対する懲戒処分の量定の適正性とは区別して審査されるという点である。職務命令服従義務を定める本条は、上司の命令を無条件に正当化するものではなく、命令の目的の正当性及び制約の必要性・合理性が個別に検討される枠組みの中に置かれている。
まとめにあたっての留意点
地方公務員法32条に基づく服従義務は、当然無効に至らない瑕疵がある職務命令についても職員を拘束する。命令の当否に疑義がある職員には、上司に対して意見を具申する手段が実務上認められているが、上司が命令を取り消し又は変更しない限り、職員は当該命令に忠実に従わなければならない立場にある。本条の運用に当たっては、命令の発出者である上司の側にも、権限の範囲及び手続的適正性を確保する責務が存在することを併せて理解する必要がある。
本記事の内容は令和8年4月1日施行の地方公務員法改正後の現行法に基づく。職務命令の有効性、瑕疵の評価及び懲戒処分の適否は個別事案の事実関係により結論が異なるため、具体的な事案への適用に当たっては最新の判例及び行政実例を直接確認されたい。
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